何もできない真由子
一同、チャーターしたマイクロバスに乗って、まるで商店街の慰安旅行だ。
工藤によれば、大滝はAZの会社の社長で、遠山はAZ全般のリーダーだという。
さっき話題に上った岩崎とは何者だろう?
一番後ろの席で大滝や遠山と並んで座っている。
工藤に訊くと、面白くなさそうに教えてくれた。
「ええっ、菱田商事の会長の孫ですって?」
「ああ、俺達より十歳上の三十六。三十のときから、菱田商事で浮遊薬の担当をしている。
AZと菱田商事のパイプなんだ」
「AZって、その岩崎さんと親しいの?」
思わず、振り返って岩崎をガン見した。
何と素敵な玉の輿。
岩崎の背中に七色に輝く後光が見えた。
これに乗れるなら、田所病院なんか目じゃない。
「AZと親しいっていうより、ハル、つまり遠山と親しいんだ」
「遠山さんって、確かに鑑賞に値する人だわ。背が低めなのが惜しいけど、あの美しさなら、女も男も夢中になるでしょうね」
「AZは、あいつのカリスマ性で保ってるんだ」
工藤の言い方に引っかかるものを感じて、真由子は尋ねた。
「遠山さんって、男、女、どっちなの?」
「さあ、どっちかな」
「工藤先生、知らないの?」
「聞いたことないから」
「みんな知らないの?」
「いや、知ってるヤツもいるらしい。
でも、あいつは、そのミステリアスな存在感が売りなんだ」
遠山が女なら、工藤が恋をしてもおかしくない。
いや、遠山の前に森がいた。
あのAプラスの美女が目の前にいるのだ。
真由子は、危機感を感じた。
「遠山さんだけじゃなく、森さんも綺麗な人ね。
どっちか、工藤さんの良い人だったりして」
「でも、男の方もイケメン揃いだろ?
だから、そんなに都合良くいかないんだ」
「でも、他の人たちもみんな美女揃いだわ」
「でも、真由子ちゃんだって、ウチのメンバーと並んでも遜色ないよ」
『でも』の応酬に、『でも』で応えられて、上目遣いで媚びた。
「それって、褒めてくれてるの」
「もちろん、褒めてるんだ。君は本当に綺麗で可愛いよ」
真由子の心臓がトクリと鳴った。
岩崎は、真由子より十三も年上だからだろう。
大人の魅力に溢れていた。
だが、真由子の見るところ、岩崎の心は遠山に向かっていて、他のメンバーは目に入らないようだ。
岩崎は、森でさえ眼中にないのだ。
ましてや、真由子に至っては、いてもいなくてもどうでも良いのだろう。
通り一遍の挨拶をすると、すぐに遠山に向き直ってしまった。
無視されたに等しい。
今までこんな扱いを受けたことはない真由子は面白くなかった。
バスは八時に出発して、目的地に到着したのは午後二時を回っていた。
直線距離では近いのだが、隣の山を迂回して、あるかないか分からないような山道を進まなければならないのだ。
昼食は、バスの中で弁当が出た。
仕出しでも見たことのないような豪華な弁当だ。
工藤によれば、AZの調理担当の渡瀬が、女性陣を指揮して作ったという。
AZは、見てくれだけじゃなく、仕事面でも優秀だから。
以前聞いた婦長の台詞を思い出した。
ようやく着いたのは、三方を山に囲まれ、断崖から海を見渡せる小さな廃村だった。
驚いたことに、誰も住んでいないのに、田畑が耕されていて作物が育っている。
工藤に訊いたら、AZが借りてるんだ、と説明してくれた。
ひなびてはいるが、ゆったりしたきれいな場所だ。
空気も澄んでいる。
だが、本当に何もないのだ。
何年も前に、積雪で切れてしまったのだろう。
電線も電話線も切断されたままになっている。
着くとすぐ、遠山たち主要メンバーは、近くの山へ散策に出かけた。
岩崎まで同行するようなので、真由子も行きたかったが誘ってもらえない。
仕方がないので、残ったメンバーと行動を共にすることにした。
残ったメンバーは、ほとんどが畑仕事だ。
田畑を借りると、農作業が付いて来るのだ。
工藤は長田と一緒にテントを張ったり、食事の準備を手伝ったりしている。
真由子も手伝うことにした。
だが、ここで問題が起きた。
真由子の爪は美しくネイルアートされている。
下手な仕事をすると爪が割れかねないのだ。
テントの設営はもとより、食事の支度には向かない。
工藤や渡瀬がフォローしてくれなかったら、大恥をかくところだった。
用事が終わっても、山へ出かけたメンバーは帰って来ない。
真由子は食事の支度も手伝えないので、工藤や長田とともに釣りをした。
真由子にも釣り竿を渡されたが、釣るのはもっぱら工藤と長田で、真由子は一匹も釣れない。工藤や長田が釣り上げるのを見て楽しんだだけだった。
でも、もし釣れたとしても、魚(天然物の鮎だ)を針から外す作業なんか、真由子の手に負えなかっただろう。
結局、全部で七匹しか釣れなかった。
釣った鮎は、調理担当の渡瀬の判断で、真由子や岩崎たちゲストへのご馳走になった。
私たちはしょっちゅう食べてるから、と笑いながら下ごしらえする小林を、真由子は眩しく感じた。
真由子は、今時の娘だ。
大学へ進学したのは、楽しい学生生活を送るためだ。
今を盛りと美しく装い、優秀で優しい男と結ばれたいと願っていた。
それが工藤のような男前なら、願ったりかなったりだ。
だが、今回のキャンプで岩崎や遠山を知ると、目移りして動揺した。
岩崎なら年齢が多少離れていても構わない。
何といっても、あの旧財閥系の菱田家の跡継ぎだ。
遠山の美しさなら、医者でなくても構わない。
父の思惑を無視して、そう思ってしまう。
だが、散策から帰った後も、岩崎は、遠山たちと話し込んでいた。
誰も気にも留めない。
遠山にしても、他の女性と話をするわけでもない。ひたすら岩崎始め他のメンバーと打ち合わせしているのだ。
ここに来て、真由子はようやく理解した。
遠山も岩崎も、このキャンプへ仕事をしに来ているのだと。
岩崎や遠山が相手にしてくれない以上、さっさと諦めて、他の男を射止めなければならない。
大滝の精かんな顔を盗み見た。
だが、大滝は、明らかに森狙いだ。遠山の非常識な美貌も目に入っていない。
やっぱり、工藤しかいない。
もともと、田所病院の跡継ぎという意味でも、真由子の相手は医者でなければならないのだ。
だが、AZには敵も多い。
イケメンも多いが、美女も多いのだ。
工藤が言うように、そうそう都合良くいかないのだ。
AZの女性陣がどんなに美人揃いでも、真由子の方が若い。
若いということは、それだけで魅力的なのだ。
肌の艶だって、張りだって、若い方が数段良いはずだ。
負けない。
当初の予定どおり工藤を落とそう。と心に誓った。
夕食が終わると、遠山たち散策組が、後片づけを担当した。
驚いたことに、岩崎まで手伝わさせられている。
AZでは、仕事も平等に振り分けられるらしい。
空が段々暗くなって、薄墨を刷いたような色になる。夕焼けの茜色から少しずつ藍色に変わっていく色合いの変化は、ため息が出るほど美しい。
その美しい過程を見ていると、やがて、月明かりと星明かりだけになった。
真由子は、工藤に誘われて、畑の脇の空き地へ出た。
あっちこっちの物陰に、AZのカップルが並んで座っている。
明らかに愛を語っていた。
暗くてよく見えないことを良いことに、キスしたり、抱き合ったりする気配がする。
キャンプファイアーでもするのかと思っていたが、ここでは、そんなことはしないらしい。
恋人同士が愛を語ったり、風流な人が星を見たりするだけだ。
拍子抜けしたが、工藤と二人だけのロマンチックな時間を持てるのだ。下手なキャンプファイアーより良いかもしれない、と思った。
真由子も工藤と並んで座って、星空を見上げた。
空気が澄んでいるせいだろうか。星が降るようだ。
夜空に白く見えるのは、天の川だ。
とりとめのない話の途中で、不意に工藤が黙り込む。
目が合う。
ここで目を閉じるとキスされる。そう思って目をつぶる。
工藤の唇が真由子の瞼に触れる。それから、少しずつ下がって行って、唇にたどり着く。
最初は触れるだけのキス。
段々深くなって、工藤の舌が真由子の口腔へ入り込んだ。
初めて工藤が真由子に侵入したのだ。
真由子は歓喜に震えた。
どのぐらいキスしていたのか覚えていない。
長いキスの後で、工藤の唇が真由子の首筋に落ちた。
陶然とする真由子に工藤のささやきが聞こえた。
「八月二十九日、開けといて」
「何があるの?」
「俺の誕生日」
「お祝いしなくっちゃ」
「欲しいものがある」
「何?」
「君」
あまりの幸福感に胸が震えた。
ここが野外でなく、ホテルかどこかだったら良かったのに、とさえ思った。
計算高い真由子ですが、目移りした挙句、工藤一択だと気付き、思いが強くなります。
 




