遠山の提案
雪は、全ての音を飲み込んで、静かに静かに降っていた。
突然、工藤のスマホが鳴った。
表示を見ると、真由子だ。
工藤がスマホを手に部屋を出ると、後ろから、真由子ちゃんでしょ、と声がかかった。
数日後、工藤は、噂に聞く老舗レストランの個室にいた。
対面に遠山が座っている。
促されて目の前のグラスを取り上げると、芳醇な香りが鼻をくすぐった。
今朝方、遠山から、診察時間が終わったら食事に付き合って欲しいというメールがあった。
都合が悪いようなら別の日に変更するが、都合が付くなら、診察時間が終わる頃、迎えに行くとのことで、深く考えずに了解したのだ。
それが、どうしてああいう大事件になるのか。
予想しなかったのは工藤の失敗だが、頭痛の種が増えたことは確かだ。
何しろ、田所病院にまたまた例のものすごいリムジンが現れて、信じられない美青年が降り立ったのだ。
看護師たちは、まるで大スターと遭遇したファンのようだ。
診察待ちの患者がいるというのに、蜂の巣をつついたような騒ぎだ。
遠山が受付で来意を告げると、受付嬢は真っ赤になって工藤に連絡した。
先の大滝や森のときも大騒ぎしたが、今回はそれ以上の反応だ。
連絡を受けた工藤も周囲の状況を見て仰天した。
朝の約束を軽く考えすぎていたのだ。
慌てて仕事を片づけて受付へ向かうと、輝くような笑みを浮かべた遠山がいた。
遠山には、周囲のパニックが分からないのだろうか。
いや、分かったところで、どうしようもないのだ。達観しているのだろう。
つくづく嫌なヤツだ。
レストランの予約も車の手配も岩崎の世話になったようで、リムジンの中には保護者然とした岩崎が待っていた。
そうして、食前酒の間だけ岩崎に遠慮してもらって、二人きりで密談をしている。
腹黒いAZたちのラスボス(小姑のボスは森だが、AZ計画のラスボスは、やはりこの人だ)だ。
何を考えているか、分かったものじゃない。
工藤は、乗せられないように、と居住まいを正した。
だが、遠山はやはり遠山だった。のっけから工藤の度肝を抜いた。
「率直に言おう。お前、ナツ以外のAZの女の子に興味はないか?」
思わず、口の中の酒を吹き出しそうになった。
何とか飲み下した自分を褒めてやりたいくらいだ。
また、突然、何を言い出すんだ?
こいつが、他人の恋愛に口を挟むなんて。
森の話もワープすることで有名だが、遠山は森の上を行く。
「答えなくて良い。顔見りゃ分かる。
お前、正直だから」
「それが、どうした?悪いか?」
「いや、結構なことだ。あんまり、何考えてるのか分からないヤツは、信用できない」
「わざわざ呼び出して、一体何が言いたいんだ?」
「AZに意中の人がいないなら、外に伴侶を求めることを勧める」
「それって、どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。ナツに告白したいのなら、さっさと告って玉砕でも何でもするんだな。
言っとくけど、ナツには好きな人がいる。
だから、お前の思いが通じる可能性はかなり低い。
でも、お前は、自分の気持ちに素直になるべきだし、せっかくの思いなんだから、告白する意味はある。
ただ、そっから先が問題なんだ。
振られた後で良いから、お前は、別の相手を捜した方が良い」
わけが分からない。
「三年だ。
AZの移住計画は、岩崎さんの協力もあって当初の予想以上に順調に進んでいる。多分、後三年もかからない。
AZが移住を決行するとき、伴侶を連れて行きたいだろう?
じゃないと、お前は、移住後も、こっちへナンパしに来なくちゃならなくなる。
まあ、それで良いっていうなら、別に強制しない。
でも、向こうは忙しいだろうから、そうそうナンパに出歩けない。
下手をすると、嫁がもらえないってことになる。
お前ほど男前で、優秀な男に嫁がいないってのは、気の毒だ。
そこで、提案だ。
誰か別の人と付き合ってみたらどうだ?
例えば、病院の看護師さんとか、事務員さんとか、学生時代の友人とか、それか……真由子さんとか……」
遠山からそういう提案が出たことに、仰天した。
遠山が真由子をターゲットとして選ぶことを容認している。
信じられない幸運のように思えた。
カモがネギしょって飛び込んで来たような気分だ。
だが、遠山の提案は、あくまでも真由子をAZ村に同伴することだ。
二人で田所病院に残ることじゃない。
ここは、形だけでも辞退すべきところだった。
「看護師や事務員はともかく、真由子さんは田所病院の跡取りだ。無茶だ」
「良いんだ。これは、綱引きのようなものだ。
真由子さんがお前を田所病院に引き留めるか、お前が真由子さんをAZに引き込むか、どっちの思いが強いかってことになる」
「俺が負けたら、どうするんだ?」
「負けると思うのか?
向こうは、三つも年下で、世間知らずのお嬢さまだ。
我々AZを手玉にとって奨学金を引き出した工藤先生が負けるとは、到底思えない」
嫌味なヤツだ。
顔が良いので、なお憎らしい。
「でも、そんなことより、ワタシは、お前の心を解放してやりたい」
「俺の心を解放するって?」
「お前は、自分の心を縛っているように見える。
原因は、ワタシたちとの約束があるせいだろう。だから、素直に恋愛もできない。
確かに、リスクはある。
真由子さんと勝負をして、お前が破れることがないとは言えないからな。
でも、ワタシは、お前の心を縛ったまま移住してもらうのは、気の毒に思う。
多分、今のままじゃ、お前は結婚できない。
それじゃ、みんなの幸せを目的とするAZの趣旨に反するんだ」
唖然とした。
雪見酒の晩のことを聞いたのか?
「他のメンバーには、内緒にしといて欲しい。
多分、みんなは、ワタシとは違う意見だろうし。
でも、ワタシはお前が好きだから。
お前の、逆境に負けないしたたかなところとか、人を人とも思わない不遜なところとか、ワタシたちAZを手玉に取る計算高いところとか、そんなところが好きだから。
お前に幸せになって欲しいんだ」
それって褒めてるのか?
とても、褒めているとは思えない。
頭を抱える工藤を無視して持論を展開した。
「例えば、真由子さんと結婚できないまでも、幸せな恋愛をして素敵な思い出を作るとか、結婚しても、AZ村に同行できないって断られて、離婚せざるを得なくなるとか、いろいろなパターンがあるだろう。
確かに、移住に同意してもらえなくて失恋したり、離婚したりするリスクは大きい。
でも、失敗を恐れて恋愛すら諦めるのは、あまりにも不幸だ。
AZは自由に恋をすべきなんだ。
最初から、自分で手足を縛って遠慮する必要はない」
「それを言いたかったのか?」
「ああ、そうだ。
お前はよくやってくれている。
お前のおかげで、AZに幅ができたと思ってる。
できれば、真由子さんを伴って入植してくれれば、言うことがない。
だから、これは、綱引き勝負なんだ」
その綱引きをする俺が、ワザと負けたら、お前は、一体何と言うのだろう?
工藤の腹黒さが炸裂します。
頑張れ、工藤!




