冷夏
岩崎は遠山に気があるようです。
ある日、AZビルに岩崎が現れて、遠山との面会を求めた。
小林が応接室へ案内する。
AZたちは興味津々だ。
契約が成立するまで、岩崎はしょっちゅう遠山に会いに来た。
でも、契約が成立した今、製造については、森と工場長の担当するところだし、販売については、菱田商事側は吉村、AZ側は社長の大滝が打ち合わせしている。
一体何の用事だろう?
まさか、岩崎さんが、ハルに言い寄るってこと、あるかしら?
小林は首を捻った。
まあ、最近、森と工場長の関係が円満だし、岩崎が難しいことを言った(例え、言い寄ったりしたとしても)としても、遠山なら撃退できるはずだった。
気にすることはないだろう。
応接室では、遠山と岩崎が真面目な顔で向かい合っていた。
「わざわざ来てもらって悪い。
来年、ジャガイモを大量に買いたいんだ。
おたくの会社で、買い占めてくれない?
AZの食料にあてたい」
「君のシミュレーションで飢饉でも起きるって出たのか」
「そういうこと。
来年、米は望めない。だから、ジャガイモや小麦でしのごうと思ってる。
自慢するようだけど、ワタシのシミュレーションは的中率が高い。
ジャガイモやなんかが値上がりする前、つまり、他の人が動く前に動きたい。
今から、来年の作付けを農家と提携したいんだ。
そのための商社だし、そのための岩崎さんだ」
「人を便利使いしといて、よく言うよ。
じゃあ、ウチの会社も君のシミュレーションに賭けてみようか」
「やってみれば?買い占めて転売すれば、かなり儲かるはずだよ」
「人を悪徳商人みたいに言うなよ」
岩崎は肩をすくめた。
この子と話すのは、心地良い。
だが、今もって、男か女か分からないのだ。
岩崎は、段々、遠山が男でも女でも関係ないような気になって来た。
遠山は、他人に媚びることのない美しい生き物だ。
猫のように自由で、利害関係が一致すると、側へ寄って来て体をすり寄せる。
だが、危害を加えようとすると、総身の毛を逆立てて襲いかかるのだ。
月見会の一件も噂で聞いていた。
「月見会で、誰かを投げ飛ばしたんだって?結構、大柄な男だったって話じゃないか」
「誰に聞いたの?」
「小林可奈ちゃん」
「あれは、正当防衛」
「やりすぎると、過剰防衛になるぞ」
「気をつけてるつもり」
ふて腐れたように笑って、喉を鳴らした。
「岩崎さんのデスクって東京本社でしょ?」
「ああ、そうだ」
「だったら、あんまりこっちに居座るのは、問題なんじゃない?」
「心配してくれるのか?」
「まさか。あなたは腹黒いから、どうせ手は打ってあるんでしょ?」
「腹黒いは、失敬な。
僕の仕事は、AZのフォローだ。
君たちが、順調に金儲けして、移住できるようにサポートする約束だろ?
それが、契約の条件だった。
こっちにいるのは、僕の大事な仕事だ。
だから、今日だって、呼ばれて来たんじゃないか」
岩崎は、極上の笑顔を浮かべた。
この笑顔を、他の誰でもなく遠山に献上することに意味がある。
「個人的には、君に呼んでもらえて嬉しいよ。
それに、ジャガイモの件、君の言うとおりなら、ウチの会社としても美味しい話だ」
「そう、ジャガイモは美味しいよ。ゆでても、揚げても、焼いても」
満足そうに前髪をかき上げる様も絵のようだ。
岩崎は、話を続けたくて、何となく尋ねた。
「前から訊きたかったんだけど、君の名前って、名刺ではカタカナだったけど、漢字はないの?」
「本当は、『遙』って漢字なんだ。
でも、あの字だと、『ハルカ』って読まれることが多いから面白くないんだ」
「ハルカも良い名じゃないか」
「元々、カール・ブッセの詩から付けたらしい。
苗字が遠山だから、『山のあなたの空遠く』って意味。幸い住むと人の言うってね。
それと、宇宙旅行の映画で、何を思い違いしたか人間をコントロールしようとするコンピューターが出て来たでしょ。
あのコンピューターの名前と掛けたらしいんだ。人をコントロールする機械に負けない、自分をしっかり持った人間になるようにって。
で、シュウなんか、AZの指針を示す立場だから、間違って『ハルカ』って読まれるより、『ハル』って書いた方が良いって」
遠山が『シュウ』と口にすると、声が幾分柔らかくなったような気がして、岩崎は面白くない。
「シュウって、神崎くんのことか?」
「うん」
「君が言うと、Cにしか聞こえないな。
だから、神崎くんは、Cなのか?」
「そうかな。
みんな何となくCって呼ぶようになったように思うけど」
岩崎は、これ以上神崎の話をしたくなくて話題を変えた。
「君のご両親は、君たちが移住することを知っているのか?」
「知ってる。
どっちにしても、ウチの町では、大学出たら、みんな、都会で就職するから、同じなんだ。
だから、自分の好きなようにやれば良いって。
でも、親に頼らず生活できるようにだけはなりなさいって」
それは、都会に住む岩崎が知らない地方の実態だった。
子供は大学へ進学して下宿生活に入ると、そのまま親元を離れて戻ることはない。
お盆と正月だけが、親子で共有できる時間になる。
岩崎は、十分も歩くと町外れに出てしまう遠山たちの故郷――人気のない商店街や疲弊した農村――を思った。
AZたちのルーツは、あの寂しい町なのだ。
あまりにも自分の生まれ育った街と違うので、胸が痛むことさえない。
世界が違うのだ。
何か不思議な感じがした。
翌年は遠山の予測どおり冷夏だった。
米の花が咲かず日本中の米作農家が打撃を受け、記録的な凶作になった。
政府は、東南アジア、カリフォルニアそれにオーストラリアから米の緊急輸入を決めた。
だが、東南アジアで収穫時期にサイクロンが、カリフォルニアでは地震が発生し、輸入を断念せざるをえなくなり、頼れるのはオーストラリアだけとなった。
そのため、代替食料の調達が叫ばれ、米に代わる食料である小麦、ジャガイモ、サツマイモ、トウモロコシなどが高騰した。
AZは、春先に菱田商事を通じてジャガイモの生産農家と提携したため、大量のジャガイモを手に入れることができた。
藤本たち食料調達担当も、ツテを頼って食材の購入に奔走し、メンバー全員の食料確保に成功した。
その上、メンバーの親たちにも同じような情報が送られ、AZ関係者という立場を利用して、菱田商事からジャガイモを購入した。
AZたちの初めての親孝行だ。
一同、特に、大野ルミが喜んだのは、言うまでもない。
その年、米や野菜の不足のせいで、学食始め、食堂やレストランの料金が軒並み値上がり――三割アップは当たり前、下手すると五割以上アップした。
遠山のシミュレーションのおかげで食いっぱぐれなくて済んだAZ一同は、素直に喜んだ。
一同ほど素直に喜べない工藤だって、助かったのは事実だ。
つくづく、AZを選んで正解だった、と思った。
岩崎が遠山の予測に便乗したので、菱田商事は、浮遊薬に続いて大儲けすることができた。
だが、遠山のシミュレーションがそれほどのものなら、移住計画の意味合いもグッと現実味を帯びてくる。
岩崎の思いは、複雑だった。
岩崎にとって、遠山は公私ともに得難い人間となります。
今まで、何もしなくてもモテていた彼にとって、人を口説くというのは初めての経験です。
頑張れ、岩崎。
 




