工藤とAZたち
工藤は浮遊薬を知れば知るほど、これがとんでもない薬だということを思い知らされた。
浮遊薬は、小さなスプレーボトルに入っている。
この薬をスプレーすると、薬のかかった物は、軽い物なら宙に浮き、重い物でも指一本で動かすことができるようになる。
不思議なのは、薬をスプレーした物が浮くのに、薬が入った容器は浮かないのだ。
辰巳に尋ねると、よく気が付いたね、という顔をして教えてくれた。
「浮遊薬って、空気に触れないと効果が出ないんだ。じゃないと、運ぶこともできないし、そもそも地上に留めておくこともできないだろう?」
なるほど、そのとおりだ。
それにしても、浮遊薬の売り方は変わっていた。
普通、こういうものは、スーパーとかDIYで売るものなのに、地域の高校の生徒会や商店街とか何かの協同組合を通じて売っているのだ。
いうなら、売っている生徒会やいろいろな組合の収入源になっているのだ。
工藤は、講義が終わった後で、辰巳と一緒にあちこちの高校や組合へ配達に行くことになった。
自転車に段ボールに入った浮遊薬を積んで町中を走り回るのだ。どんなに積んでも、浮遊薬をスプレーすれば、重さを感じない。
楽勝だった。
夏休みになって、辰巳が野菜作りのために別行動をとるようになり、何人かが遠山の指令を受けて各地の農場へ研修に出かけると、浮遊薬の配達は、工藤一人に任されるようになった。
この夏、AZビルに残ったのは、工藤の他には、営業担当の外回りだとうそぶくCEOの遠山、会社の経営責任者である社長の大滝、浮遊薬の製造責任者の森とその助手の小林、何を研究しているのか分からない神崎と山本と大野、それと食料担当の渡瀬と野菜作り担当の辰巳だけになった。
配達担当メンバーが工藤一人になっても、浮遊薬を売らなければならない。売上げがAZの活動資金や工藤や辰巳の奨学金になるのだ。
工藤は、無茶苦茶こき使われた。
ときどき、手の空いたメンバーが手伝ってくれるが、焼け石に水だ。
これだけ使われるなら、奨学金をもらうのに何の遠慮もいらない、とさえ思った。
ただ、辰巳以外のメンバーと配達することで、その性格に触れることができたのは収穫だった。
特に、遠山は、配達帰りの自転車で喜々として手放し運転や曲乗りをするのだ。
知れば知るほど、子供みたいなヤツだった。
話の内容も子供っぽくて、どうして、こいつがリーダーになっているのか分からなかった。
夏休みが終わって、実家へ帰っていた学友たちがキャンパスへ戻ってくる頃には、工藤は配達の責任者になっていた。
大学の講義が終わって事務所に戻ると、その日の配達伝票を渡される。頭の中で、ザッと効率の良い配達コースを組み立てて、浮遊薬を積んだ自転車を走らせるのだ。
辰巳は、夏休み以降、AZビルの屋上とAZが郊外に借りている畑で野菜を作るのに夢中で、配達業務から抜けた。
辰巳が抜けた穴埋めに、他のメンバーが手伝ってくれるようシフトの変更があって、工藤は心底ホッとした。配達を一人でこなすのは結構大変だったのだ。
新しく配達を手伝ってくれるようになったのは夏休みにはAZビルにいなかった連中で、この機会に工藤は、辰巳以外のメンバーと親しくなることができた。
少しずつ知り合いが増えて行く。
何となく仲間として認められつつあるような気がして、嬉しかった。
工藤の友人たちもキャンパスへ帰って来た。
相変わらず気楽な長田も、工藤の生活パターンが変わったことに気が付いたようで、それとなく探りを入れてきた。
引っ越ししたことやAZでアルバイトしていることを伝えると、興味津々で身を乗り出した。
予想どおりの反応だ。
AZは、男も女もレベルの高さで有名だったのだ。
「あそこって、メンバー選ぶのに、顔を基準にしてるって話だけど、確かに、お前は良い男だし、採用条件に合ってるよなあ」
「お前もその噂、聞いたのか?」
「ああ、バイトの販売員だって容姿で選んでるって噂だ。
お前の場合、正規のメンバーだろ?
だったら、絶対、顔で選ばれてるはずだ」
と、一人で納得している。
そんなものなんだろうか?
確かに、美形が揃っている。
天使のような遠山は論外として、辰巳の人の良さそうな顔、大滝の精かんな顔、森の凛とした顔を思い浮かべた。
いずれも、人並み以上の容姿を誇っている。
だが、夏の経験で分かったが、AZはそんなに裕福なわけじゃない。
工藤の奨学金を出すのは、AZにとっても大変なのだ。
そんな大変なことを顔だけ選んでいるというのだろうか?
工藤は、毎日繰り広げられるドタバタを思い出して言った。
「容姿は良いかもしれないけど、やってることは、無茶苦茶なんだ」
長田は、工藤の話を全く聞いていない。
口ではいくら不満そうに言ったとしても、長田にとっては自慢話にしか聞こえないからだ。
せいぜい好きに言ってろ。
勝ち組のくせに。自慢しやがって。
そう思ってるのが、ありあり分かる。
長田は、不貞腐れたように言った。
「今度から、お前を筆頭に連中のことをAZビューティーズって呼んでやるよ。
これって、もしかして、流行るかも。
良いなあ。法学部の例のヤツにも会えるんだろ?」
「法学部の例のヤツって?」
「法学部に、AZの陰のリーダーがいるって噂がある。
そいつが、人間離れした容姿で、無茶苦茶かっこ良いんだって」
法学部の人間離れした容姿のかっこ良いヤツ。
遠山のことだろう。
AZの世話になるようになって、しばらくした頃、工藤は、森と言葉を交わす機会を得た。
森の美しさに動揺する。
落ち着け、自分。
こいつをゲットできるなら、AZと行動を共にするのも悪くない。
はやる心を抑えて、差し障りのない会話をした。
まずは、お友達から始めましょう、だ。
森の気を惹きたかった。できれば、恋人になりたかった。
女の子にとってはそれなりに興味のある、しかし工藤にとってはどうでも良い話が続き、そのうち、話題が遠山のことに及んだ。
工藤は笑いながら尋ねた。
「遠山って、男だと思うんだけど、本当のところ、男、女、どっちなの?」
それまで、穏やかで友好的だった森の態度が急変した。
まるで、目の前でシャッターが降りたようだ。
「どっちかって?ハルがどっちでも、あなたには関係ないでしょ」
「関係ないって?」
「もし、女なら、口説きにかかるか、夜這いでも決行する?
でも、ハルはあなたなんか相手にしないわ。
もし、男なら、あの体型と顔立ちだから構わないって、口説いたり襲ったりする?
でも、ハルは、やっぱり、あなたなんか相手にしないわ。
結局、どっちにしても相手にされないんだから、どっちかなんて知る必要ないのよ。
単なる興味本位で知りたいって?
それこそ無意味だわ。
ハルが男でも女でも、仕事には何の関係もないでしょ?
それを知るのは、どうしてもそれを知らなければ付き合っていけない人だけよ」
「どうしてもそれを知らなければ付き合っていけない人って、どんな人?」
「少なくとも、あなたじゃないってことよ」
そう言うと、森は美しい顔に薄い笑いを浮かべた。
よく分からない説明だが、工藤が、森にも遠山にも相手にされていないことだけは、分かった。
工藤は、少しずつAZに馴染んできます。
AZには、いろんなタイプの人間がいるのです。頑張れ、工藤。
 




