引っ越し
工藤はAZと合流します。
一週間後、工藤は引っ越しした。
引っ越しすれば、家賃がかからない。
早ければ早いほど良かったのだ。
AZビルは、大通りから一筋入ったところにあった。
『株式会社AZ』と手書きした看板に気が付かなければ、通り過ぎてしまうような地味な建物だ。
中古だがしっかりした造りで、一階が工場と研究スペース、二階が事務室と食堂に兼用される会議室や風呂、三階以上がメンバーの寮になっている。
工藤は、最上階、五階の一室を与えられた。
女は四階、男は五階に割り当てられるらしい。三階は、寮の共有スペースだ。部屋がいくつか余っていて、倉庫として使われていた。
今回、工藤は、そういう部屋の一つを提供されたらしい。
二階にある風呂や各階にあるトイレは共同だ。
特に、風呂は、男の時間と女の時間が決まっていて、男女の時間に入りそびれた人が、所定の時間が終わった後で、入り口に使用中の札をつって適当に利用するとの説明があった。
今まで、ワンルームで暮らしていた工藤には新鮮だった。
もちろん、自室の掃除の他に、風呂やトイレの掃除当番がある。
光熱水費の節約のため、ここまでやるのだ。
部屋に備え付けのユニットバスに慣れた身には、わざわざエレベーターや階段を使って二階まで下りるのは面倒に思えた。
だが、些細な面倒と引き替えに、食費も光熱水費も面倒みてくれるのだ。
礼金や敷金を棒に振っても、下宿を引き払うのに、何の後悔もなかった。
引っ越しが終わった後で、工藤は大滝に呼ばれた。
「今夜の夕食の席で、正式にメンバーに紹介しよう」
「よろしくお願いします」
真面目に頭を下げた。
これから世話になるAZは、こいつが仕切ってるのだ。せいぜい、仲良くしよう。
「今日から仲間だ。敬語は止めてくれ。
AZは全員、お前と同じ二回生だ。だから、タメで良い。
おれのことは、『D』と呼んでくれ」
大滝は、悪戯っぽく片目をつぶった。
えっ、こいつって、俺と同い年なのか?
社長の名刺をもらったせいだろうが、とても同じ年には見えなかった。
それにしても、ニックネームが『D』とはあきれた。
そう言えば、前回の全員揃った話し合いで、そう呼ばれていたっけ。
辰巳は『A太郎』だった。他にBとかCとかあるんだろうか?
それこそ、AからZまであるのかもしれない。
その晩、夕食の席で、工藤はAZのメンバーに紹介された。
男女併せて十人以上いたせいだろう。
しまいに、誰が誰だが分からなくなった。
自慢じゃないが、人の名前を覚えるのは、得意じゃない。
最低覚えなければならないのは、看護科の小林可奈だ。
この娘に講義で聴いた内容を右から左に教え込まねばならないのだ。
小林は、丸顔で可愛い顔立ちの元気そうな娘だった。側にいるだけで、病気や怪我が治りそうな癒し系でもあった。
想像どおり、ニックネームが『C』という男がいた。
神崎 秀という。名前の『シュウ』から来ているのだろう。
工学部で、理系の総責任者だという。浮遊薬を発明した山本賢治(ケンジだからだろう、この男は『G』と呼ばれていた)とともに、AZを支えているという話だ。
メンバーの中に、楚々とした美女がいた。
腰まである長い髪を涼しげなポニーテイルにして、メンバーたちと和やかに談笑している。
森 奈津子というらしい。
薬学部で浮遊薬の製造責任者よ、と自己紹介して、友人の輪へ戻った。
工藤に特段の敬意も注意も払わない。
生まれてこの方、女からこんな扱いを受けた覚えがない工藤は、面白くなかった。
だが、今まで出会った女とはレベルが違うことも確かだ。
工藤は、森が看護科でないことを残念に思った。
名前と『ナツ』というニックネームを心に刻んで、そのうち親しくなろう、と心に決めた。
気が付くと、辰巳が側にいて、ウインクして笑った。
「奨学金出してもらえることになってよかったね。僕も嬉しいよ。
当分の間、浮遊薬の配達は、僕とチームを組むことになるから、僕たちは、相棒ってことになる。
僕のことは、『A太郎』って呼んで」
神崎がC、大滝がD、山本がG、こいつがAだ。B、E、Fはどこにいるのだろう?
そんなことより、友人たちと笑いさざめく森の美しさに心を奪われて、半ば放心状態だ。
「俺は『大輔』で良い」
工藤が上の空で言うと、辰巳が仕事の説明を始めた。
だが、工藤の目は森を追っていて、話が半分も理解できない。
その様子に気が付いたのだろう。辰巳が面白そうに笑った。
「工藤くん。いや、大輔。ナツはダメだよ。
AZの男は、みんなあの人狙いなんだ。
Dだって、首っ丈なんだ。
でも、残念ながら、ナツには大事な人がいる。しかも、全員で束になっても太刀打ちできる相手じゃないし」
「全員って」
「うぬぼれじゃなくて、AZってレベルが高いだろ?女子も男子も。
そのレベルの高い男子が束になってもかなわないってことだよ」
そんなヤツがいるのだろうか?
一同を見回すが、大滝以上の男は、見当たらない。
もしかして……あいつ、だろうか?
「今日は、仕事で遅くなるって言ってたから」
簡単に言われて、絶句した。
こいつ、結構人が悪い。
工藤の反応を面白がっているのだ。
そういえば、腹の中にタヌキを飼っていたっけ。
食事が終わる頃、小柄な少年が現れた。
「遅れて、悪い」
そう言いながら入って来たのは、あの美しい少年だ。
満面に微笑みを浮かべて、一同に手を挙げると、工藤に向き直って、
「遠山 遙。法学部だ。AZのリーダーなんだけど、会社ではCEOをしている。
いうなら、営業担当の外回りだ。よろしく」
と、手を差し出す。
思わず握手して気が付いた。身長差二十センチ、いや二十五センチ以上はある。どんなに高くても一七〇ないだろう。
体つきもほっそりしていて、少年でも少女でもとおるような中性的な雰囲気がある。
あえていうなら、天使だ。
男か女か分からない。
服装もユニセックスなジャケットとパンツだ。
思わず、胸の辺りを凝視する。
真っ平らだった。
工藤が握った遠山の手は小さく整っていて、指の形も美しい。
こいつは、造作の端々まで美しいのだ。
だが、驚いたのは、この少年が大滝や辰巳と同じ年、つまり工藤と同い年の十九歳だということだ。
若く見えると言うか、年齢不詳なのだ。
しかも、見てくれだけじゃない。誰もが圧倒される美しさにも関わらず、株式会社AZのCEOだというのだ。
自分のことを営業担当の外回りだと言い切る少年は、いかにも弁がたちそうだった。
こいつは、自分で『AZのリーダー』だと言った。
まさかとは思うが、大滝より格が上なんだろうか。
先日の全員との話し合いでも、結局、この少年が最終的な決断を下したようなものだ。
緊張して、肩に力が入った。
「工藤大輔です。よろしくお願いします。
この度は、お世話になることになり、ありがとうございます」
「いや、卒業したら、こっちが世話になることになってる。こちらこそ、よろしく」
ふわりと微笑むと、悪戯っぽく続けた。
「仲間なんだから、敬語は要らない。こっちも、『工藤』って呼ぶから、ワタシのことは、『ハル』って呼んで」
呆然とする工藤を尻目に大滝に向き直ると、簡単に報告を始める。
その背中から、森が抱きついた。
「ハル~。遅かったじゃない。待ってたのに~」
「悪い。岩崎さんが離してくれなかったんだ」
「あの人、大嫌い。まともにハルに色目使うんですもの。ハル。迫られなかった?」
「お見込みのとおり。いつのもどおりの展開だ。
あの人も、いい加減諦めれば良いのに。こっちが契約したいと思ってるから、足下見るんだろうか」
「……あの作戦、どんな感じ?上手く行ってる?」
「今のところ。
何が何だか分からないから、とまどいながら口説いてるって感じ、かな?」
そう言って、遠山は小さく笑った。
一服の絵のような光景だ。
「もう、イライラするわ。菱田商事、止めた方が良いんじゃない?」
「あそこが、一番条件が良いんだ。こっちの要求も聞いてくれそうだし」
「でも、あなたに夢中な岩崎さんが付いてくるわ」
「邪魔にならなきゃ良いんだ。邪魔に。
そんなに悪い人じゃないし、ナツたちが考えてくれた作戦もあるし、気にしないことだ」
このとき、あちこちから同時に声が上がった。
「ハル~」
「ったくもう、もっと気にしろ」
「そうよ、う~んと気にしてよ」
「何でそんなに平然としてるのよ。危ないよ、あの人!」
「そこは、気にするところだろ」
「お前、天然っ!ていうか、岩崎さんも気の毒!」
一同の遠山に対する思い入れの深さを見せつけられた。
固まってしまった工藤に、辰巳が笑いながらささやいた。
「どうだい、うちのリーダーは?
素敵だろう?」
工藤は、振舞酒に酔っていた。酔っていたから、訊けたのだ。
「A太郎。遠山って、男、女、どっちなんだ?あの胸だ。男なのか?」
男だったら、絶望的だ。でも、女だったら、まだ希望は残る。
辰巳が、ニヤリと笑った。
「さあ、君はどっちだと思う?」
二人の会話が聞こえたのだろう。
遠山は、工藤を見て、少し目を細めて笑った。
そうやってシニカルに笑うと、ますます男女どちらか分からなくなった。
AZは、一癖も二癖もある連中の集団です。工藤は、やっていけるのでしょうか?
頑張れ、工藤。




