岩崎の恋
御曹司岩崎の常識が覆されます。
さあ、AZ。僕が出て来たからには、遊びは終わりだ。
どっちに、する?
君たち自身に選ばせてあげよう。
岩崎の問いに対して、遠山から信じられない返答がありました。
「どちらも不可です。
我々は、菱田系列への採用を望んでいるわけでも、傘下に入りたいわけでもありません。
AZは、あくまでも自立し、浮遊薬を使って、儲けるだけ儲ける。
それだけです」
浮遊薬で儲けるだけ儲ける。
だが、吉村が調べたところによれば、浮遊薬は、いろんな学校の生徒会や協同組合なんかに卸しているだけです。
本格的に儲けるには、もっと幅広い市場を求めるべきでした。
「浮遊薬で儲けるだけ儲けると言っても……。
君たちは、浮遊薬で何をしたいんだい?
あの薬を利用して何をしたいのか教えて欲しい。
ウチが責任を持って君達の利益を図ろう」
岩崎にとっては、大幅な譲歩でした。
だが、『利益』という言葉で食い違いが出たのです。
AZの考える利益と岩崎が考える利益は同じ単語でも意味が違っていました。
日本語が通じないのです。
ジェネレーションギャップでしょうか。
岩崎は焦りました。
こんなことは、初めてです。
株式会社である以上、会社の利益を追求するのが本来の姿です。
でも、遠山は、別に上場しているわけじゃないから周りの思惑はどうでも良い、自分たちが利益だと思うことが利益なんだ。と言い切りました。
「実は、別の会社からも接触があるんです。
でも、なかなかウチのやりたいことを理解していただけないんです。
現在、ウチのやりたいことに協力してくれるところを探しているところなんですが……」
一体、どんなことをやりたいというのでしょう?
「ウチは、二十年先、三十年先のことなんか考えていません。
考えているのは、十年後、資産がこのぐらいになっていて欲しいということだけです。
それだけの金額をどうやって儲けるか。
まず、その方法を教えていただきたいんです。
それと、儲けたお金を使って手に入れたいものがあるんです。それに協力していただきたい。
特殊なものが多いんですが、おたくは商社だから、協力していただけるんじゃないか、と期待してます。
その二点がクリアできるなら、浮遊薬の権利をおたくにお渡ししても構わない、と思ってます。
山本にも了解済みです」
示された金額を見て、その額に、絶句しました。
AZは十年後に必要な物品を手に入れることだけを目標としていて、そのために必要な金額が提示されていたのです。
「あと、それまでの活動費も儲けなければならないんです。
だから、結構大変だということは、分かってるつもりです」
「君は、そんな簡単に財産を殖やすことができると思っているのか?」
「できるはずです。このビルや機械設備なんかの今の財産だって、ゼロから儲けたんです。銀行から融資を受けて始めた事業じゃない」
「無茶だ!君たちには、経営というものが分かってない」
岩崎は、ここが交渉の場だということも忘れてしまいました。
それだけ、遠山の押しが強くて、年上の岩崎が、振り回されているのです。
遠山の態度がガラリと変わりました。
「おじさんに説教される趣味はないんだ。
おたくで無理なら、別の会社を探すだけだ」
岩崎はおじさん呼ばわりされて、ムッとしました。
だが、確かに、十歳は年上なのです。
「君が考えているのは、資産を増やすこととだけなのか?」
「いや、我々の労働が軽減されることも期待している。
現状では、浮遊薬の製造販売で手一杯で、本来やるべきことがやれてないんだ」
「やるべきことって?」
「契約を締結するまで……秘密だ」
宗教画の天使のような顔に口の端が少し上がって、不思議な微笑が浮びます。
その力強い美しさは、見たことないものでした。
目の力が強くて、眼だけで気圧される、そんな気さえします。
「何をやりたいのか知らないが、子供が大金を弄ぶのは感心しないな」
「だから、おじさんの知ったこっちゃないと申し上げた」
完敗でした。
遠山の人を人とも思わない態度に、完敗したのです。
謎が残りました。
AZが手に入れたいものとは、一体何なんでしょう。
それがはっきりしないうちは、契約することができません。
ただ、遠山や大滝の態度からAZが十年後に手に入れたいものというのは、何か特別な意味があるのだろう、と確信しました。
それが何で、何のために必要なのか、興味が湧きました。
何度か足を運ぶうち、岩崎は自分の気持ちが変化したのに気付きました。
仕事とは別に、遠山が、何を考え、何をやろうとしているのか、知りたくなったのです。
遠山は、岩崎たちと対峙するときは、鋭い視線と圧倒的な存在感で押して来ます。
でも、AZのメンバーたちに対しては、瞳をきらめかせて輝くような笑顔を浮かべるのです。
一瞬、辺りが明るくなるような、そんな笑顔です。
自分でも驚いたことに、岩崎は、あの、きらめく瞳を側に置いておきたくなったのです。
部下としてじゃなく、自分だけの鑑賞対象にしたくなったのです。
それまでの岩崎の周りには、自薦他薦の友人候補や恋人候補で溢れていて、望まなくても、友人にも恋人にも恵まれていました。
今回、生まれて初めて、他人を欲しいと思ったのです。
側に置きたくなったのです。
そうなると、遠山の性別が気になりました。
最初、単純に少年だと信じていたのですが、何度か会ううちに、女かもしれない、と思うようになったのです。
ビジネスに性別は関係ありません。
交渉の場で男か女か訊くのもどうかと思われました。
さりげなく、近くにいたメンバーに訊いてみましたが、訊かれたメンバーは異口同音に同じ台詞を口にしました。
「どっちだと思います?
どっちにしても、仕事には関係ありません。本人に訊いてください」
それで、雑談を装って本人に尋ねると、
「興信所でも使って調べますか?」
と、すこぶる皮肉っぽい答えが返って来ました。
その目は、興信所や何かで調べるようなことをしたら、あなたとの付き合いを止める――興信所何かを使うことは許さない――と言っていました。
岩崎は焦りました。相手は十歳も年下。しかも、男か女かさえも分からないのです。
友人というには若すぎるし、性別不詳では恋愛対象にもなり得ません。
男か女かも分からない相手に惹かれるなんて、と自制しました。
それなのに、時間が経つにつれて、遠山が女だったら恋人にしたい、とさえ思うようになったのです。
ここに至って、岩崎は認めました。
最初に会った時から、遠山に惹かれていたことを。
あの圧倒するような美しさ、いえ、存在感に惹かれたことを。
それは三十にならんとする男にとって、信じられないほど新鮮な感情でした。
いつも付き合う女性とは、全く違ったタイプだったせいでしょうか。
恋、しかも、思春期のそれのような純粋な思いでした。
最初の頃、遠山が男かもしれないという可能性は、岩崎を臆病にしました。そして、遠山が女であることを祈りました。
でも、時間が経つにつれて思いが募り、終いに、遠山が男だったとしても、恋愛感情で付き合いたい、とさえ思うようになりました。
何てたって、同性愛は最近の流行なのですから。
自分はゲイじゃない、と思いながらも、遠山を得ることができるなら、それでも構わないと思ってしまうのです。
岩崎が自分の気持ちに気付いてから、事態はいつもと異なる展開をみせました。
いつもなら相手の方からモーションを掛けてくるのですが、遠山は仕事でしか会ってくれません。
世の中には思い通りにならないことがあることを知ったのです。
今までにない経験でした。
それまで岩崎が会いたいと連絡すると、相手は万難を排して会いに来ました。
何てったって、旧岩崎財閥の直系ですし、頭脳明晰、容姿端麗、その上、岩崎本人には不本意なことですが、性格もお坊ちゃん育ちのせいか素直で付き合いやすいのです。
男も女も友人や恋人になりたがり、迫ってくる人々を断るだけで一苦労だったのです。
遠山は、今までにないパターンでした。
あの子にとって、岩崎は、ビジネスパートナーになり得るかどうかという程度です。
会いたいと連絡して、忙しい、と拒まれる生まれて初めての経験をしました。
こうなったら、なりふり構っていられません。
公私混同なんて言ってられないのです。
AZが浮遊薬を使って岩崎の知らない本来の目的(それが、何か分かりませんが、そんなことは、知ったこっちゃありません)を果たそうとするなら、できる限り協力することにしました。
AZの目論見どおりの展開でした。
AZは、岩崎を通じて、菱田グループを利用することにしたのです。
でも、岩崎にとっては、例え彼らの計画に踊らされることになったとしても、遠山と付き合うことができるなら構わない、と思いました。
岩崎は、AZが十年後に必要なものを手に入れるために、儲けるだけ儲けようというのなら、それに協力することにしました。
上等だ。菱田グループの総力を挙げて協力しようじゃないか。
お手並みを拝見させてもらおう。
そうなると、岩崎にとっても遠山にとっても仕事です。
遠山が窓口になるなら全面的に協力する、と申し入れました。
そして……岩崎は、AZの計画を聞いて驚きました。
まさか、廃村に移住して独立国家を作ることを目的としているとは、思いも寄らなかったからです。
でも、驚くのはまだ早かったのです。
何度目かの打合せで、入手したいもののリストを渡されて、絶句しました。
トラクターにコンバイン、牛、豚、鶏、果樹や野菜の苗といった農業に必要なものの他、発電用の風車、太陽光発電装置、蓄電用バッテリー、海水淡水化装置、共同住宅、それに気象制御装置と結界バリア(最後の二つは設計図を渡すので、どこかの工場か研究所で作って欲しいと頼まれました)まであったのです。
岩崎は計画のスケールの大きさに圧倒されました。
そして、この計画が、遠山の発案だと知ります。
岩崎は、遠山が自分の掌の中にしまっておけるような人間じゃないことを思い知らされました。
生まれて初めて知る挫折でした。
これまで恋人に不自由しなかったせいか、プラトニックに誰かを求めるということ自体、初めての経験だったのに、手に入れることができないのです。
手に入れたい気持ちが大きかっただけに、得ることができない失望に苦しむことになりました。
でも、良いこともありました。
岩崎が協力的になったので、遠山が軟化したのです。
ときには、お茶に付き合ったり、食事に付き合ったりしてくれるようになりました。
岩崎の初めての恋かもしれません。今までが、あまりのも都合が良すぎただけでしょうが、恋に苦労するという経験は彼にとって新鮮なものです。
頑張れ岩崎。恋には、岩崎の御曹司という肩書は使えないんだ。裸の自分で勝負するしかないっしょ!
 




