シンプル成人式と電話
「おい、ミツ?」
「あっ、なに? 幸ちゃん」
先程から、よそよそしく廊下の端を歩く三月に、幸治は疑問の声を投げかけた。案の定、三月は動揺したようで、慌てて返事をした。
「なんで、赤池を避けるんだよ」
「避けてなんか、ないよ。たまたまこっちに
寄りたかっただけ」
「そうか? なんかなかったのか」
「ないって、なんにも」
ほんの数秒前、いちるが狭い廊下を歩いてきたのだ。いちるは、目線こそ向けなかったものの、恐らく三月の為に微笑んでいた。「こんにちは、幸治先輩」とだけ言って、授業に向かっていった。
それを幾分、三月は不気味に思っていた。これは俗にいう、三角関係というものならば、相当な気まずい空気が漂うはずだが。いちるはむしろ、楽しんでいるようにみえた。
「なんにしたって、明るくしておけよ。卓司
にからかわれるぞ」
「そうだね……ったくあいつは、面倒くさい
な!」
「シンプル成人式も、その調子でな」
幸治のいった、「シンプル成人式」。それは、幸治や三月の友人たちを集めて、自分たちだけの成人式を行うのだ。
友人らはみな晴れて、今月中に20歳となった。飲酒は流石にしないが、全員で成人最初のジュースを飲もうということになった。
「……まあそんなの、建前でしょ?」
「だろうな。提案はあいつ、卓司だから。成
人にかこつけて、たまには飯を食いたいっ
てことだろうな」
「まったくもう、トラブルメーカーなだけは
あるなぁ。あの電話のことといいさ」
「だな。電話については、本当に気をつけた
方がいいが」
三月の心は、静かに燃えていたはずだった。しかし、今は幸治とのいつもの雑談によって、穏やかな気分になっていた。そういった意味合いでも、三月にとっての幸治の存在は大きいのだろう。
ちなみに、成人式には見届け人ということで、いちるも参加することになっている。もちろん卓司の推薦だ。後にそれを知った三月は、ひどく落胆することとなるが。
♦︎ ♦︎ ♦︎
「ねえー卓司ー、今何時?」
「人をこき使うなよ、亜樹。えーと……もうすぐ7時だな」
授業も部活もすっかり終わり、成人式と称した食事会が、居酒屋で行われていた。幸治・三月・いちる・卓司・そして三月の友人の、亜樹と美央の面々は、割り勘を前提に、自由に飲食していた。
「うっわー、微妙。帰ったらいいかわかんな
いよー」
「美央先輩、明日のことを気にするのなら、
帰ってええんじゃないですか?」
「それって遠回しに帰れっていってるよね
ー。……ま、可愛いから許すけど!」
居酒屋、座敷席の雰囲気はまるで宴のようだった。それにそぐわず、三月は座敷のすみでじっとしていたが、いちるは目もくれず友人の輪を広げていった。
三月は、いちるの魂胆を理解した気になっていた。新天地で友人を作り、群れを作りつつ、他人の想い人をかすめとるという、そんな思惑があるのだろうと考えていた。
――前から変だと思った。科が違うだけで、あんなに関わるなんて。
三月は抱えた膝を、腕でぎゅっと抱えた。それでは満ち足りず、ももをロングスカートの上からガッと引っかいた。そっとめくる。赤い線ができていた。
「ミツ。楽しんでるか? 辛いなら、送って
やってもいいけど」
「……ううん。いいよ、自分で帰る」
「帰るんだったら、せめてタクシーぐらい
は」
幸治は会を楽しみつつも、気持ちの乗らない三月をずっと、気にかけていたのだ。高校からの馴染みということもあるが、先日からの様子の異変に、幾分の奇妙さを感じていたこともある。
三月はこれに、心惹かれたのだ。今の落胆の、原因となってしまった。優しさに微笑みたくなったが、こらえた。あくまで真顔を貫いた。
「じゃあ、お願いしようかな」
「ああ、みんなに声かけてくるから――」
「やめて」
「えっ?」
「い、いや。幹事さんにだけでいい
よ。それと、部室に忘れものしちゃって。
一緒に来てもらっていい?」
「もちろん。荷物まとめて、入り口で待っ
てろ」
三月は、特にいちるに知られないように、こそこそと居酒屋を出て行った。幸治を待つその間、鋭い夜風が体に吹きつけていた。気温自体はそこまで低くないが、気分的にも寒くなるようになっていった。
デニムのバッグを握りしめて、月明かりのさす空を、じっとみつめていた。
「ミツ、終わったからいくか」
「あ、うん。タクシーは……きたね」
「ああ。一応、卓司以外には知られないよう
気にはしたからな」
諸々を済ませた幸治は、レディーファーストの姿勢で、タクシーに乗り込んだ。代金は討論の末、割り勘となった。車中、幸治は三月に話しかけようとも思ったが、窓ガラスの向こうを黙ってみている様子から、それをやめた。
タクシー運転手は、普段から世間話に慣れているものと思っていたが、この重苦しい雰囲気には勝てなかった。1人の少女は外を向き、1人の青年は腕を組みうつむいている。無駄話は避け、指定された大学に、直行することにした。
「お客さん、着きましたよ」
「ありがとうございます。代金です」
小銭の音をたて終わり、アスファルトに足をつけると、タクシーはゴオォオォと去っていった。
「いくか」
「うん」
最低限の会話。これは、配慮してのことなのだろうか。ただ、2人の中では、これが理想の形なのだろう。黒雲を見上げたり、ビルのネオンをみたりしながら、大学の文学部室へ向かっていた。
「はあ、夜の学校ってやっぱり、怖いものだ
よね。幸ちゃん」
「まあ、電気は一応つくし、雰囲気だけはあ
るな」
大学に入って、まだ誰にもあっていない。全員が帰っているはずの大学には、物音1つしない。電気はつけていくが、三月は幸治の服の裾を、細い指と指でつかんでいる。
「あ、ここだよ幸ちゃん」
「わかった、開けるぞ」
新築の建物とはいえ、開閉音は響く。キキィ……ィイ、とゆっくり音は鳴る。部屋に入る時点で妥協すべき出来事なのだが、三月は震え、歯をカチカチとさせるほどだった。
「ほら、怖がってないで、取りにいけよ」
「う、うん。向こうの小部屋にあるから、こ
こで待ってて」
三月はそういって、そーっと電気をつけドアを開け、仕切られた部屋の奥深くへ潜っていった。
幸治は三月が事を済ませるまで、手近な机にデニムバッグを置いた。窓は先ほどのタクシーとは打って変わって、漆黒に染まっていた。恐怖というよりは、不思議さを感じた。
奥の部屋はガラス仕切だったが、棚が多くあるため、棚影に隠れて三月はみえなくなっていた。
ずいぶんな時間が経った。三月はまだ戻ってこない。誰もいないとはわかっているが、流石に不安になってきた。
「ちょっと、みてくるか?」
幸治がそう、呟いた時。
ブー、ブー、ブー。
携帯電話の、バイブレーションが鳴った。幸治は突然の響音に、やや驚いたが、すぐさま携帯電話を手に取り、画面をみた。
そこには、電話番号が書かれていた。三月の、電話番号が。幸治は彼女の身になにかあったのかと、慌てながらも応答した。
「ミツ? 大丈夫か。今行ったほうがいい
か?」
幸治はそういうが、返事はない。サーと幽かな騒音が耳に届くばかりで、何も起こらない。
「……ミツ、もしもし?」
その時、幸治の頭に嫌なものがよぎった。
――卓司の、不幸無言電話。
応答した者は、不幸になる。だがその考えを、幸治は捨て去った。これは三月からの電話なのだから、そう危惧することはない、と。
それでも、体は正直だった。袖の奥の腕は、鳥肌が立っていた。今現在の恐怖値を、明らかに表している。
だが……本人にも、知り得なかったようだが。幸治には、それを超える好奇心、探究心が、急速に生まれた。
電話の正体。それには噂が多様に飛び交っていた。卓司からもそれを聞いていた幸治は、これが切れる前にと、思わず勢いで、聞いてしまっていた。
「あの! あなたは……この大学内で、無言
電話をするあなたは」
幸治は、深呼吸を1つ、深く大きくする。そして、引っかかりを吐き出した。
「もしかして……人間、ですか? それも、
この大学に関連のある」
相変わらず、返事は来ない。だが、初めて知る反応があった。プツッ、と。電話の主の方から、電話を切ったのだ。主は、姿を自ら消した。
「くそっ」
電源ボタンを押し黒に染まったそれを、大きな掌でギリっと握りしめる。
恐怖と、覚悟だった。幸治は仕切りの先の、不気味な明かりの下を進もうかと、葛藤していたのだ。一体自分は、どう動けばいいのだろうかと。
幸治が己と戦っている。そんな時、悪魔の誘いが響いた。
カシャァシャカシャカシャ。カシャ。
「これは……」
文学部に昔の名残としてあるという、タイプライターの、キー音だった。向こうから、その無機質な音で、妖しさを演出している。
あちらには、三月がいる。幸治は行かないわけには、いかなかった。彼の背中を、悪魔が押した。
携帯電話をズボンのポケットに入れると、無駄な恐怖を感じないように、間髪入れず扉を押し開いた。電気がついているといっても、実際は一部分のみだった。ほとんど田舎の闇夜と同じだった。
「おい……ミツ……」
幸治は口でそう言いながら、タイプライターにも興味があった。あの音は、前々から三月に、嫌というほど聞かされてきた。間違うわけがないという、絶対の自信を持っていた。
三月の居所も全くつかめないため、唯一照らされているタイプライターに近づいた。先ほどのキー音から、もう文字は打ち込まれていなかったらしい。だからもう、文は完成していた。
「こっちからみるのか?」
ポツンと置いてある丸テーブルの上に、タイプライターはあった。無造作に置いてあるため、正しい位置に動く必要があった。ちょうど、多くの棚に背を向けるような感じだ。
セットはされていたままだったが、打ち込む部分は紙の下の方にあり、恐らく完成しているものであった。
文字はバラバラに打ち込まれており、全てを読んでから、それを理解するのには、多少の時間が必要だった。
「えっと、読んでいくと……」
そこそこ大きな紙に打ってあったのは、以下の通りだった。
「 K I
D U
I
T Y A
T T A ?」
「き、づ、い、ちゃ、った……?」
背筋に悪寒が走る。そして、その次に走った電気信号は――。
「うっ……!?」
――痛み、だった。
背に走った痛みが、刃で刺されたことによるものだということに、数分かけてようやく気づいた。紙に打たれたその文字のせいで、気配に気がつかなかったのだ。幸治はうめきながら、その犯人の手がかりを欲した。
すると、それに応えるように、幸治の顔前に顔が現れた。同時に、声もした。
「大丈夫? 痛い? 幸治……」
「ミツ……」
声は、三月、だった。
幸治が、明らかに苦しんでいるのにも関わらず、それをうっとりと眺めていた。幸治の生を求める目を、じっとりとみつめていた。
「ミツ、お前が、やった……?」
「そうだよ、ごめんね幸治。痛いってわかっ
てるけど、私たちが一緒になるには、これ
しかないって思って。このタイプライター
も、あの電話も、女から幸治を守るために
ね。本当、ごめんね。でもね、もうすぐ楽
だから。それで私もいくから」
三月は語り続ける。幸治は景色がかすみ、本当に天に召されてしまいそうだった。
「悪いのはあの、京都からきたとかいう女の
せいだから。私たちの仲を、愛を引き裂こ
うとする悪魔。許せない。あいつを殺そう
とも思ったけど、この先もきっと、幸治を
誘惑する輩はでるだろうから。だからあの
世で、2人きりでいようね、幸治」
「う……あ……」
「幸治、もういっちゃうの? ねえ、最後に
この世で、言ってよ。三月って。ね、お願
い」
幸治にもう、冷静な判断は下せなかった。耳に聞こえる情報を、繰り返すしかできなかった。
「ぐ……み、つき。みつき……三月……」
「……! あ、ありがとう、幸治。私今、人
生で一番嬉しい。幸治、私も今いく――」
幸治の背に刺さる刃を抜き、心中しようとしたとき。叫び声のような、怒鳴り声のようなものが響いた。
「待ってください! 三月先輩!」
「あ? あ、生意気な奴。どうしてわかった
の?」
「卓司先輩から聞きました! なにを、して
るんです!?」
いちるが、文学部室に殴り込んできた。お互いの心情は、正反対だった。
「あんたが幸治を奪おうとする、泥棒猫だか
らいけないの。幸治がこんなに、苦しむ
の」
「奪う……? 先輩、やっぱり勘違いしてま
す! 私は先輩たちが仲がええってことを
伝えたくて。それが、私の言い回しのせい
で誤解させてもうたみたいで……」
「はは、いまさらいっても意味ないよ。も
う……やっちゃったもん」
三月はあの世へいった幸治の肉体から、刃を抜いた。そしてそれを――
「だめっ!」
「バイバイ、泥棒猫の……いちるちゃん」
いちるは目を閉じる。次にみた景色は、三月の腹に、刃が立っている光景だった。
「そんな……私はただ、2人が仲良うなって
ほしくて……」
「あっ、おいいちるちゃん?」
卓司が遅れて、入ってくる。それにいちるは、ひどく歪んだ顔で抱きついた。
そして、甲高い、静寂も闇も切り裂くような声が、響き渡った。
「せんぱぁああああああああああい!」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。最後に意外性や、驚きを感じていただけたら、幸いです。
次作も、是非お待ちください。