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崩れ始める日常と電話

 「こんにちは、幸治先輩」



 数学の授業中、いちるは小声でそう話しかけた。少し離れていたのだが、いちるの方からわざわざ近づいてきた。



「! 赤池か」


「あの、やっぱし失礼ですよね。『幸治先

 輩』なんて……」


「あいつには、前から振り回されてきたから

 な。大丈夫だ」


「三月ちゃん、ですか」



 授業は前回のおさらいをしているところ。それほど集中する場面でもないため、いちるは話しかけるチャンスだと思ったようだ。



 だが幸治は、委細かまわず目を教授へ向けている。時にノートもとっていて、いちるとは耳で会話していると言っても、過言ではない。



「先輩、そういえば三月ちゃんとおそろいの

 バッグですよね。どないしたんですか?」



 幸治は、純真な後輩がいることに喜びつつあったのだが、今ばかりは、少し冷たくてもよかったかもしれないと、そう思ってしまった。



 いくら席が遠いとしても、周りにもちろん人はいるし、集中して理解もしたい。幸治は、『赤池もミツ寄りなのか?』と残念がったが、ここははっきり伝えることにした。



「バッグは高校の卒業式で、別れるからって

 ミツにもらった。結局大学は同じところに

 通ったがな」


「はああ……やっぱりそないなエピソードの

 1つや2つ、あるんですねぇ」


「それより赤池、授業に集中してもいい

 か?」



 いちるは、はっとして口許に手を当てた。今までの行動のあやまちに気づいていないその仕草は、さらに幸治の、喜びからの裏切りを増長させた。



「あ! かんにんです。じゃあ私、戻りま

 す。ファイトです!」


「ああ、赤池も、工学部だから大丈夫だとは

 思うが。頑張れよ」



 幸治はその後大人しく、本格的な授業に参加していった。いちるは戻るとき、後ろの半開きになった扉の近くにいる、影をみた。



 三月だった。いちるは遠めの会釈をし、ふふっと笑いかけた。三月も笑い返したが、それはぎこちなく感じられるものだった。



「三月センパイ,前のご飯から変やな」



 いちるは、先日そう書いたメモ紙を、こっそり見返した。いちるはいちるなりに、三月の様子を怪しんでいたのだ。



 ――確かにあないな言い方したら、やきも

ち焼くかもしれへんけど、ちょいおかしすぎるな。



 いちるは、そんなことが心に引っかかりながら、ノートをとることにした。三月もすでに、去っていた。



 このわずかな時の間に、三月といちるは大きな葛藤を抱えていた。ただ、前のみをみていた幸治には、欠片(かけら)も気づけなかった。



    ♦︎     ♦︎     ♦︎



 いちるにとって、数十回目の部活動が始まった。



 いちるは、生き物が大好きだ。一般民が嫌うような昆虫なども、極端に反応するようなことはしない。



 また、社会貢献も望んでいる。小学生ぐらいで、だいたいの日本の問題を知り、それへの危機感を抱く。よくあることだ。そして、それは基本、数日で忘れ去られる。



 だがいちるは、その危機感が今まで消えていない。常日頃から、『日本の未来のため、なにかしなければ』と思い続けているのだ。



 それと自分の大好きな生き物に繋がりがあるというだけで、いちるは歓喜した。毎日愛しいものに触れながら、望みへの足かせにもなる。



 それを今いちるは、教授に説明していた。



「これには、『罪のない生き物を傷つける

 な』っちゅう声もありますが、私は反対や

 あらしません」


「確かに、問題には、生き物たちにも被害が

 及ぶかもしれないものもあるからね。協力

 してもらうとありがたいよな」


「ほんま、そうですよねぇ」



 引っ越してきて、環境に慣れないはずの京少女。それが、気軽に教授と論じているのを男子たちはみて、いちるにますます引き込まれていった。



 幸治は例外であったが、卓司は典型的に惹かれていた。



「幸治ー、お前いちるちゃんのことなんにも

 思わねぇのか?」


「……集中しているから、黙っていろ」


「返事くらいはできるだろ」


「……思うと言われても、純粋なまっすぐな

 後輩ってだけだ。それ以上でもそれ以下で

 もない」


「かっこいいね〜」



 幸治は白い机を背景に、プログラミングに夢中になっていた。それを切りのいいところで終了させると、やっと違和感に気づいた。



「ん? 卓司は工学部だったか?」


「へ、違うけど。俺教育学部」


「そういえば、子供が好きとか言ってたか」


「そう。お前の凄技(プログラミング)と、

 いちるちゃんをみにきたんだよ」



 ――要するに、サボりか。幸治は呆れてためいきをつき、へらへら笑う卓司から目を離した。そして、コンピューターにまた、向きなおった。



「おい! 無視すんなっ!」


「期待してなかったが。少しでも大事だと思

 ったんだけどな」


「大事だったら、こんな雑談してねぇよ」


「ふふ、お二人。えらい仲がいいんですね」



 男同士の会話に、工学部の紅一点が近づいてきた。教授との話し合いは終わったようで、ずいぶんと晴れやかな顔をしていた。



「ほんまに仲がよくて、まるで幸治先輩と三

 月ちゃんみたいです」


「おっ、俺は三月ちゃん枠か」


「三月ちゃん……?」


「前の昼飯で決めただろ。俺、そういうこと

 は覚えてるぜ」


「やけど、先輩のこと『幸治』って言うてま

 へんでした?」


「いやー、やっぱり男にちゃん付けはなぁ。

 こいつ可愛くないし」



 生活していれば何気ない会話だが、本来、いちるも幸治も卓司も、部や科がちがう。起こるはずのない会話である。



 この時間があるのは、それぞれがそれぞれを求めているからだろう。特段、話しかける必要もないのだが、そうしたいという気持ちが強まった結果がこうだ。



「まあ、幸治先輩って男前って感じですよ

 ね」


「そうそう、そういうこと!」


「そうや! 幸治先輩のプログラミング、み

 せとぉくださいよ」


「なんでだよ……」



 幸治は忙しく動かしていた指先や、その元となる肩を休ませたかった。だから、軽くストレッチをしてから、画面に向かおうとしていたのだ。



「俺もみたいな〜」


「お願いしますよぉ」


「卓司はさっき、みていたんじゃないのか」



 しかめっ面をした幸治は、渋々ながらも機械を起動させた。見た目や口調に合わず、彼は優しいのだ。お人好しとも言える。



 「少しだけだからな」と、溜息をつきながら指をキーに、そっとのせる。本人は自然な動きをしているつもりだが、いちるたちにとって、それはプロ、職人技に思えた。瞬間。



 カタカタカタカタカタカタカタカタ。



 ほとんど動きを止めることなく、アルファベットの羅列ができあがっていった。幸治の言ったように、それは数秒にも満たない時間の中で行われていた。



 本当の熟練者からみれば、それは甘い動きだった。だったのだが、まったくの素人にはそれが完璧に感じられ、小さく拍手していた。



「すっげー!プロじゃんプロ!」


「カッコええです、憧れるなぁ」


「こんなのタイピングと同じだぞ? 覚えれ

 ばすぐできる」



 機械を終了させ、ストレッチを始めた彼のいう通りだった。ただ今は、用意された練習用の羅列を打ち込んでいるだけだった。だから、それほど褒められるようなことはしていないはずなのだが。



 小学生が、最新鋭のものに「面白そう!」と異常に食いつくのと同じことだ。初めてみるものに、2人はとても興味を持っていた。



「はぁー。もう疲れたから、一旦休憩な」



 輝きに満ちた顔から幸治は脱出し、丸テーブルを迂回して、近くのソファーに寝転ぶ。

深呼吸をして一拍おいてから、自己流のストレッチを始めた。



 肩甲骨を意識して肩を回す。その後、現代人にありがちな凝った肩を、手動で揉みほぐしていく。固いところに重点をおきながらやっていくと、仕上げに目を温める。ブルーライトを浴びまくり、しょぼしょぼとした目は血流が良くない。温めることで、それが良くなるのだ。



 ぼーっとしながら、幸治はこんな知識を持っていることに、我ながら嫌気のようなものを感じた。



「幸治先輩、いけますか?」


「ん、いつものことだ。……今日はもう休む

 か」


「私、送ります」



 余った部活動の時間は、休んだり雑談をしたりした。卓司は結局、プログラミングの後に幸治に一喝され、自分の部に帰っていった。



 何十分の間、部屋にはみえない壁ができたようだった。仲むつまじそうな幸治といちるは、話し合う男子たちの眼中に、全く入っていなかった。



 完全に、2人きりの時だった。



    ♦︎     ♦︎     ♦︎



 「ちょっと、待って」



 部室を出たばかりのいちるに、三月は厳かに声をかけた。その威圧感には、誰もが震えるようだった。



「は、はい?」


「なんだミツ、俺はもう帰るが」


「幸ちゃんは帰っていいよ。というか、帰っ

 て」



 幸治は不思議がりながら、外へつながる大扉を目指していった。だが、いちるの帰りは許されず、ホール中央に立たされた。



 「あの、なんですか?」と聞きつつも、当の本人は理由など分かりきっていた。カフェの帰りでの、あの一言。どうやら、良くしてくれていた先輩は、どうしようもない誤解をしているようだと、いちるは知っていたのだ。



「わかってるでしょ? 覚えてるよね、ほ

 ら、前のカフェのさ」


「……はい」



 三月は、自分から話しかけたのにも関わらず、急速に引っこみ始めた。いちるはその、三月の態度に若干あきれ……いや、いちるは思い直した。彼女は三月の態度に心底あきれ、ため息までつきそうになった。



「あ、あのときさ……」


「先輩、もうええです」


「えっ?」



 すっとんきょうな声を出す先輩に、いちるは内心、クスッと笑った。なんて、馬鹿みたいに素直で愛らしいのだと、そう思ったのだ。



「三月ちゃんは、そらあほみたいな勘違いを

 してます」


「勘違い?」


「三月ちゃん、幸治先輩を自分だけのもの

 と、誤解してまへん?」


「……」



 沈黙が颯爽と流れた。刹那にして、通り過ぎていった。三月の無言を、いちるは物ともしなかったようだが。と、沈黙を作りだした張本人は、すぐに口を開いた。震えながら。



「それは……いちるちゃん、のものでもある

 って……こと?」


「細かく言うとちゃいます。幸治先輩ってい

 う1人の人は、みんなのもんです。ただ、

 特別に想うてる人が一部、いるってだけ

 で」


「特別……」



 三月はその言葉を、深く噛みしめ、味わっていた。そしてそれは、三月の精神をズキッと蝕んだ。彼女にも、やっと火がついた。



「いちるちゃん、勘違いはあなたの方」


「ふうん、そうですか」


「そうやって、中立な立場をとっていれば好

 かれるとでも思っているの? 私は純粋だ

 けど、いちるちゃんは少しおかしい」


「おかしい? 私が?」



 そういうといちるは、先ほどの笑いを増幅させ、嘲笑にも近い笑みを浮かべた。それを三月は、不気味そうに悪寒を感じながらみていた。



「失礼は承知の上ですが、高校から一緒ちゅ

 うだけで、向こうと同じ思いとは限りまへ

 ん。その、もっと努力してはいかがど

 す?」


「なっ……」



 三月にとって、その物言いは、嘲笑うように見下すように、そうにしか聞こえなかった。確実に、格の差をみせつけてくるように。



 やはり、数日の友情の構築では、もろい絆しかできなかったようだ。今になって急激に、いちると三月の間には亀裂が大胆に入った。



「おーい、みつきちゃーん」


「あ、あきちゃん」



 三月の友人が近づいてきた。案の定、「あき」と呼ばれた大学生は、いちるに興味を示していた。だが、いちるは用があるとこの場を離れる意を伝えると、すんなり諦めてくれた。



 三月は勝手に去っていくいちるに、敵意のこもった睨みをきかせた。けれどいちるは、それをさっぱり流した。得意げに、微笑したのみだった。



 この日から、2人は気まずいでは済まされない、不可思議な関係になった。数週間後は、幸治や拓司、三月らの簡易成人式だった。



 そして、決心した。



 ――殺して、私のものにする。

お読みいただきありがとうございます。

次回、最終話です。

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