噂の実態と電話
午前の授業を終えた幸治と三月は、大学内の食堂へ向かった。近隣の大学に比べ、最近に造られたため、食堂もトイレも小部屋すらもきれいだ。
2人はこりず雑談しながら席へ向かう。幸治は食堂での席を決めるとき、友人が絡みにくる可能性を考え、テーブル席にいつも着く。そしてその考えは、今日も的中した。
「よう幸治! 今日も伊乃といるのか」
「おう鹿島! 今日もからかいにきたの」
「ミツ、はり合いはやめろ」
トレイに唐揚げ定食を乗せ、鹿島卓司は寄ってきた。揚げたての、旨そうな香りを漂わせている。
「おっ、伊乃はハンバーグか」
「美味しそうでしょ、うらやましいでしょ」
「いいや、唐揚げの方が腹は満たされるな」
どうでもいい会話だな、と幸治は思いながら、いつのまにか聴きいっていた。昼食を食べながら、つかの間の休息に身を委ねていると、その席に近づく影が現れた。
「あ、雪田先輩?」
「赤池、お前も入る――」
「赤池ちゃん! きてくれたんだ」
「おいおい、話をさえぎるなよ」
「おぉ? 後輩か。幸治は可愛い女子ばっか
りと友達なんだな」
一斉にしゃべりだし、収拾のつかなくなったテーブルを、幸治は苦労しながら収めた。「おい」と呼びかけたり、机を適度に叩いたりして。
「じゃあまず、それぞれの自己紹介からだ。
俺から時計回りにいくぞ」
「名前は知れているから省略する。工学部の
情報工学科で、赤池とはそれで知り合っ
た。科は違うが、先輩や周りのやつらに大
学生活での面倒をみるよう、いわれてい
る。以上だ」
三月、卓司の2人はそれぞれハンバーグ、唐揚げを頬張りながら聞いている。対してとなりに座るいちるは、小さな口で少しずつグリーンスープを飲みながら、真剣に聞いている。
新米ならではの一生懸命さだな。そう幸治は思いつつ、「次は赤池だ」と、順番を回す。これは流石に2人も、しっかりといちるの方をみた。食事のペースは変わらなかったのだが。
「私は、赤池いちると申します。雪田先輩と
おんなじ工学部で、科は生物学科です。以
前からそっち方面の勉強が得意で、社会に
貢献したいとも思うとったので、そこに入
りました。これからよろしゅうお願いしま
す」
いちるはそれは丁寧に、自己紹介を終えた。これに三月と拓司は、感服して手を叩いたり声をあげたりした。
「もしかして京都弁? 見た目もいいし、可
愛いなー」
「でしょ、それにこんな丁寧なんだよ。何十
年に一度のイツザイってやつ!」
特に三月は、まるで以前からいちるを知っていたかのように語った。褒めはやされて、いちるは顔を赤に染めた。落ち着こうと水を飲もうとしたが、三月がそれを許さなかった。
「ねえね、いちるちゃん、て呼んでもいいか
な。そっちの方が仲良くなれるよ」
「あっ、もちろんええですけど……」
「それならいちるちゃんも、伊乃のことラフ
に呼んだらどうだ?」
「いいね、じゃあねー。三月ちゃんでいい
よ! それとー、幸ちゃんのことも雪田先
輩じゃなく、幸治先輩でいいよ」
「はっ? おいお前、なに勝手に決めてん
だ」
自己紹介から話題は大きくずれ、あだ名づけ大会が開かれていた。三月がどこからともなく紙を取りだし、拓司もどこからともなくペンを取り渡す。
「まずー、この4人の名前を書きますね」
「ちょ、先輩?」
「それからー、各々のあだ名を書くよな」
「おい、だから勝手に決めるなって!」
食事も話題もすり抜けて、次々にインクがすりつけられていった。誰もなにも止められない、すらすらと進むペン先は、しばらくして紙から離れた。
「かんせいっ!」
「お、みせろみせろ」
「みんな、これからずっとこれで呼ぶんだか
らね。しっかり守りなさい」
三月の若干癖のある字で、リストはできあがった。
「 幸治 → 幸ちゃんor幸治先輩
三月 → 三月ちゃん
いちる → いちるちゃん
卓司 → 卓ちゃんor卓司先輩 」
この1枚の紙は、三月によって誇らしげに掲げられたり、幸治によってグシャリと折られたりと、散々な目にあった。
「抵抗したって無駄よ、いちるちゃん!」
「これで呼ばなかったら、腹筋10回な!」
「わ、わかりました! あの、呼ぶさかい食
事をしましょ。あの……三月ちゃん」
「呼んでくれたー! わぁ、ありがといちる
ちゃん!」
「……赤池、悪いな」
「いいえ、いけます。こちらこそ失礼な呼び
をしてまいます、すみません。……あ、そ
うや」
「ん、なんだ?」
「先輩は三月……ちゃんのこと、ミツって呼
んでましたけど、あらなんですか?」
「単純だよ、みつきのみつを
とって、ミツだ」
「なるほど、おおきにです」
いちるは深くうなずき、静かに食事を再開した。活気も燃焼し、幸治たちのテーブルには数分の沈黙がおとずれた。だが、それは卓司によって、あっさり終了された。
「あーそうだ。なあ、いちるちゃんに幸治
よ、この話知ってるか?」
「はい、なんですか?」
「なんで私が入ってないのー」
それぞれらしく返答し、全員は卓司のモノローグを聞くことにした。舞台の主役は箸をおき、それらしく頬杖をついた。
「この大学にはな、1年前くらいから噂があ
るんだよ。そう、丁度俺らが入学した数ヶ
月くらいだ」
「そんなもの、あったか?」
「あるよ。伊乃なら知ってると思うけど、
『不幸無言電話』の噂だ」
「あっ、知ってる! でもそんな名前だっ
け。そんな最近からあったっていうの、初
耳だし」
「そりゃ当然、俺がイケてる名前をつけてや
ったからな」
「うう、名前からして、不気味ですなぁ」
「噂はうわさだろ、確証はあるのか?」
観客たちは様々な口出しをしている。食事には目もくれず。周りはじわりじわりと空席が増え、会議をしているような彼らのテーブルは、やけに目立つ。
「いやいや、これなんだがな。いいか、落ち
着いて聞けよ」
「ちょっとのことじゃ慌てないから、早く」
「あのなぁ、その電話って、応答したら不幸
になるんだけど……」
「せ、先輩もしかして、電話に?」
「ザッツライト! 応答、しちまったのさ」
卓司の、重大にもかかわらず軽薄な告白に、一同はいろんな意味で度肝を抜かれた。いつもひょうひょうとしている卓司だが、流石にこんな状況では、ネガティブになると思っていたのだ。
「はぁ!? あんた、なにも不幸はない
の?」
「おい、そんなチャラチャラしてる場合じゃ
ないだろ!」
「無事なんですか?」
「まあまあ慌てない騒がない、そんな大した
こと起こってないんだよ」
すっかり舞台の主演としてなじんだ卓司は、大物ぶって振るまった。3人はそんなことには気づかず、ただ問いつめた。
「2日前くらいに、知らない番号から着信が
きてな。俺のバイト先っていろんな人がい
て、店長も『急に誰かから電話がかかるか
も』っていってたんだよ。だから俺、噂な
んかすっかり忘れて出ちまったんだ。『は
いもしもし、鹿島です』って」
「それから、どうなったんだ」
「初めは返事なくて、『もしもし、もしも
し』って結構しつこくいってた。それから
ちょっとして、俺気づいちまったんだ。こ
れ、あの無言電話だ! って」
「すごい、怖そうですなぁ……」
「もう悪寒までしちまって。急いで切って、
その日は体調不良ってことで休んで家に帰
ったんだけど。次の日、部にいってみたら
どうだ。同じ部の女子に、『キモッ……』
っていわれたんだよ」
女子2人組はこれに「えー!」とかいう驚きの声をあげていた。いちるのそれには、少しの恐怖も混じっているようだった。
だが幸治は、この中で誰よりも冷静に、頬杖をついていた。自分なりの考えを展開させていたのだ。
「卓司、それはなにか、ありもしない事実を
ばらまかれたということか?」
「そうらしいな、先輩に事情を聞いてみた
ら、そのさぁ……」
「なに?」
「気にしませんさかい、いってください」
大物俳優の風格はすっかり去り、顔を乙女のようにほんのり赤らめ、ななめに仰いだ。3人の視線もそれを、助長しているようだ。
「あのぉ、俺がぁ、放課後にネットカフェ
で。アダルト系のもの見漁ってるって
さ!」
「わっ、先輩静かに!」
「ああ、それはそういわれるな」
「まあ確かに、不潔な見た目ではないけど、
みてそうだねー」
「なんだと!俺は清廉潔白な人間だ!」
「いつものお前は、少なくとも清廉でも潔白
でもないぞ」
「そもそも、そんな人間いないだろうしね」
「うえぇ、ひどぉ……」
卓司にとってこの告白は、一大決心をしたものだった。しかし幸司たちにとってそれは、ただの会話の一部でしかないようだった。
気づけば、周りの大学生はほとんど消えていた。いるのは食堂の調理員や、大学の清掃員くらいだ。
4人は夢中でそれを全く知らず、気前のよさそうな清掃員の女性が「もう授業の時間じゃない?」とささやくまで、「不幸無言電話」について話し続けていた。
「ほんまだ、おおきにです」
「いいの、これ片付けておくから、早くいっ
ちゃいな」
「ありがとうございます、いくよ幸ちゃん」
「あ、話はこれで終わりだからな!」
「ああ、話してくれてありがとな」
ごちゃごちゃに会話しながら、入り乱れたバッグをさっと取っていく。それぞれ授業が同じな幸治と三月、いちると卓司は、やや遠くにみえる白い大きい扉をめざした。
三月をしんがりに、卓司が金色のノブをひねる。そのとき、卓司は気まずそうにいちるをみやった。いちるはなにもいわず、ふふっと、微笑した。卓司は許されたと解釈し、すっきりして廊下を速歩きし始めた。
幸治と三月は、一部おそろいのデニムバッグの持ち手を握りながら、そそくさと扉を超えて閉めた。こちらは決まりなど気にせず、小走りをする。と、三月は小声で、幸治だけとの秘密の会話を始めた。
「ねね、幸ちゃん」
「なんだ、急ぐぞ」
「急ぐんだけどさ、あの2人、お似合いだと
思わない?」
三月は両極端な、小さな背中と大きな背中を指さす。かっちりした格好のまま、速歩きする光景は、どことなくシュールだった。
「今はいいだろ、間に合うことだけ考えない
と」
「わかってるって、でもさ。いちるちゃんに
は卓司以外、誰もふさわしくない感じがす
るんだよね」
「そうか、ミツがそう思うなら、そうなんじ
ゃないか」
幸治の頭は一方に集中していて、優先順位の低い三月の質問は雑にあしらわれてしまった。特に深くも考えず、会話を最も早く切る方法を幸治は選んだ。
「ふふ、幸ちゃんもそう、思うよね!」
三月はそれを、真に受け、うのみにした。だから三月は、心底嬉しそうに笑った。自分の考えが理解されたと、そう認識したからだ。
――私を、わかってくれてるよね。
お読みいただきありがとうございます。わずかずつですが、物語が動き出していきます。