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「この子は……親父の隠し子じゃねえのか?」
俺さまが発する重苦しい質問をいとも簡単に反故にしたのはなんと小ノ葉だった。
「あたしは隠し子じゃないよ。ξゥ――――チィ――ッ村の、δΨィ―――――――って言うの」
「おいカズ、蚊取り線香点けてくれ。蚊が飛んでんぜ」
飛んでねえよ。
腰を屈めて茶ダンスの最下段をガサガサし始める親父を引っ張り上げ、
「ほんとうに潔白なのか?」
小ノ葉では話しにならないので、親父に直接訊くしか道はないんだ。
「さっきから何を言ってんだお前。そうかこんな可愛い子をはらませたんで動転してんなこのやろ。男ならドンと構えろ」
「そんなリアルな言葉で言うなよ。俺は無関係だ」
どうも隠し子でもないらしい。この様子からを見る限り違うみたいだ。となると後はひとつ。
「なぁ親父。俺んち遠くに親戚はいないの?」
「親戚?」
「うん。地球の裏側とか、南極大陸の奥地にとか」
「ばかやろ。南極なんかに親戚がいるかよ……まてよ、そう言えば爺さんの親戚にブラジルに移民した人がいたって話は聞いたことがある」
「それだ!」
一気に目の前が開けていく安穏な空気を肌に感じて弛緩した。やっと答えが導き出されそうだ。
「よかったぁ。そういうことだ」
どうやら親戚の子だというのが濃厚だ。だけどどうして連絡無しで来たんだ? それより手ぶらじゃないか――そうか荷物は駅のロッカーへ入れてんだな。
納得する題材はいくらでもあるのだが、やはり何か釈然としない。あまりに整いすぎたボディと面立ち。日本人を超越した美しさはどうも落ち着かない。それは外国人だからではなく、どこか俺たちとは異色な感じがしていた。もちろん血縁関係があるとも到底思えない。
じゃあ、なぜ俺に付きまとう?
ここで追い帰したほうが、俺の身のためだろう。
揺れ動く気持ちはなかな収束しなかった。そりゃそうさ。ここで放り出すのは簡単だが、あまりにもったいない。こんな綺麗な子が向こうから近づいて来たなんて、万に一つの奇跡だけでなく、俺はこの子に多額の出費をしたんだ。牛丼10杯と木の葉丼2杯、ついでにフルーツパフェも加えておこう。
よし……。
俺は、丸まった毛先を弄びながら黙考していたが、ついに結論にたどり着いた。
元を取った上に倍にして返してもらう。こんな可愛くてスタイル抜群のオンナを彼女にするのが俺の夢だ。
「小ノ葉はブラジルから日本を勉強しに来たんだって」
今分かった限りの情報と嘘を混ぜて、とりあえずこの場を誤魔化すことにした。
「ほぉ。この美人さんがブラジルから来たのか。どーりで」
わざわざ美人を付けることでもないし、『どーりで』と感心する視線の先は、俺とまったく同じ位置を指し示すところを見ると、ラテン系のボディに目が眩んだ証拠。間違いなく俺は親父の息子だ。こんなところで再確認できるととは、ちょっと恥ずいな。
ぶしつけにじろじろ見られているのに、小ノ葉は天真爛漫な着せ替え人形みたいな面持ちでニコニコしていた。
「だけど顔と肌は完全に日本人だな。どちらかと言うと秋田美人系だ。体はラテン、顔は秋田。その実態は……移民した親戚の二世か三世ってとこか……可愛いねぇ」
腕を組んで、勝手に納得への路線を突っ走る親父に向かって、小ノ葉が口を開いた。
「おじさん。ちがうよ……むぐ」
何か言おうとした少女の口を咄嗟に塞いで、無理やり黙らせる。そして仕上げに掛かった。
「実は、勉強しに来たんじゃないんだ。そうだ家出だ。家出して来たんだ。それで……。な、様子がおかしいのさ。察してやってくれよ」
最初に勉強しに来たと断言したのは俺なのに、ここで否定するなんて、ちとマズったかなと脳裏をかすめたのだが、親父は彼女の胸ばかりを見ていた。
「むぐむ? ぐうぅむぐ……?」
手のひらに小ノ葉の柔らかい唇が当たる感触を強烈に感じる。もったい無いから後で舐めておこう。
続いてその耳元へ小声を注ぎ込む。
「せっかく収まりかけてんだ。そういうことにしろ……」
小ノ葉はまん丸にした目を瞬いて、コクコクと首を前後に振る。彼女の中でそれなりの答えを出したのだろうか、もし俺の思惑をぶち壊す気なら、この子が放つ次の言葉で答えが出る。
俺は金魚を水槽に放すようにゆっくりと手を離した。
しばらく煌いた瞳を俺にくれていたが、声を親父へと返した。
「おじさん。初めまして小ノ葉です」
おぉし! 乗ってくれたぜ。
「そうかそうか。こんな子がうちの親戚か……ま、理由は何でもいい、可愛けりゃ何も文句はねえ」
親父もそれなりに緊張していたようで、小ノ葉の対面に位置するソファーに座り直して息を吐いたが、思い出したように立ち上がる。
「安心したら急用を思い出しちまったぜ。ちょっと便所掃除に行って来るワ」
ニタニタしながら親父はトイレへ消えた。人前では『便所にいく』とは言わずに、『掃除に行く』と言うのが口癖だ。
「ふぅ。バカで助かったぜ」
とにかくこれで、落ち着いて次の手を打つことができる。
「おい。ちょっと聞きたいことがある。いいか正直に答えろよ。もうおちょくりは無しだ」
「え?」
小ノ葉はちょっと怯えたような顔をした。それは俺が今までに無く真剣な表情で、辛辣な言葉遣いになったからだろう。
「暑いな……」
電気屋のくせにクーラーが効いていないのか、客間はやけに蒸していた。
ここまで来たら真相を聞き出さないことには、協力する気が起きない。下手をすると警察沙汰にならないとも限らないのだ。駅前交番に知り合いの警官がいるので、そこへ相談に行くことも可能だ。
俺は額の汗を拭いながら訊いた。
「お前は親父の隠し子でもないし、うちの親戚でもない。そうだろ?」
問い詰めるつもりは無いが、これだけは、はっきりさせておかなくてはならん。どうしても厳しい言葉遣いになってしまう。
俺の詰問めいた質問に、案の定、小ノ葉はコクリと顎を落した。
「どこから来た?」
「日本だよ」
「…………」
〔厨ニ病だろ〕とは天使。
《いやそれ以上に変だぜ。思わねえか?》
悪魔が俺に訊く。
俺も日本人ではない気がする。
まぁ栗色の髪の毛に関しては、今の日本では当たり前だ。むしろ普通だ。緑だって驚きゃしない。時々、村長だとか漏らすところをみたら、日本ではないどこか遠く、ジャングル奥地にある秘境の村から来たはずだ。
「年はいくつだよ? まさか十万何才とか言うんじゃないだろうな」
「よく言われるんだぁ。でもそこまでいってないよ」
当たり前だ。冗談に決まってんだろ。
「8万2500……までは数えていたんだけど……面倒臭くなっちゃって。よくわかんない」
「……………………」
〔やっぱ厨ニ病だ〕
《いや。まだ、からかっていやがるんだぜ》
俺の疑問はただ一つだ。
「なぜ俺の周りを付きまとう?」
「イッチのそばにいたい。あたし帰ることができないの」
「何とかの点から落ちたからか?」
もう一度、こくり。
潤んだ瞳で下から覗き込まれたら、もう何も言えなくなった。
「わかった。俺も男だ。お前を守ってやる。だったら俺と口裏を合わせろ」
いきなり小ノ葉が俺の肩に手を掛け、その赤い唇を近づけてきた。もんのすごく、いい香りが漂った。
「わぁぁ。ば、バカ、何すんだこのヤロ」
俺の『スケベ看板』は張り子の虎なんす。ごめんなさい。まだ女の子と手も繋いだことがありません。いきなりそんな大胆なコトされたら僕、困ります。
眼をウルウルさせて小ノ葉を見ると、彼女はキョトンとしていた。
「口の裏を合わせるんでしょ? どうやるの?」
「ひょへ?」
〔天然も天然、絶滅危惧種並みの天然印だ〕
《…………》
悪魔に至っては言葉すらない。
「イッチどうしたらいい? ここに置いてもらえるんなら何でもするよ」
口を尖らし目をつむる小ノ葉。
そんな気持ちのいいこと……。じゃなくて、
「二人の話を合わせるっていう意味だよ」
「おー」
ちょっと驚いて黒い瞳をぱちくりする顔がまたカワユイのだ。
「どうゆうふうにするの?」
《おい身元の確認をしろ》
そうだ。悪魔の言うとおりだ。
「その前に正直に答えろ。お前の家族や家の人はお前がここにいることを知ってるのか」
「知ってる。向こうでも色々考えてくれてると思うけど、今は手が出せないみたい。それまであたし帰れないの」
〔今のはどういう意味だ?〕
帰れないと言ってんぜ。
《わかったぞ……》
〔おお〕
さすがは悪魔だ。
《間違った飛行機に乗っちまったんだが、もう金が無い。帰るに帰れない》
手が出せないって言ってるぜ?
《あまり裕福ではないってことだ。察してやれよ。家では帰りの切符も買ってやれないワケさ》
なるほどな。それで腹をすかせていたところに現れたのが俺かー。
自分自身で出した結論に大きく首肯すると、俺は小ノ葉に作戦を伝えた。
「いいか。お前がどこの国から来たのかは知らない。でも幸い俺んちにはブラジルに親戚がいるらしいから、そこから来たことにする」
「あたしは日本から来たんだけど……イッチがそう言うならそうするよ」
くっそ。潤んだ瞳で素直にうなず仕草がキュンキュンくるぜ。
「ね。ブラジルってなに? 美味しそうね」
「そりゃ豚汁だ。」
「おー。お店で見たヤツだ」
「お前、食うことに関しては理解力あるな。……あんな。ブラジルって言ったら、お前が住んでる村の近所だ。よく知らんけどな」
「あたしは日本の、ξゥ――――チィ――ッ村だよ」
テーブルに置かれたコップが軋んだ音を上げたが無視する。時間が無いんだ。
「お前の村の名前は耳が痛いなー。それよりも時間が無い。俺の言うとおりにしろ。いいな?」
「う、うん」
「タダの家出だと言うと、連絡を取られるかもしれないから、大喧嘩して家を出たことにするんだ。それから今の潤んだ目んタマで親父に向かって、こう言え」
「何んて?」
「いいか、『家には内緒にしてください。もうおじさんしか頼れる所がありません』とな」
「わかった」
形のいい顎を小ノ葉は何度も上下させ、数度、口の中で予行演習をしていたら、親父が便所掃除から帰還。
「だけど。家出って……。あんまり穏やかじゃねえよな。とりあえずご両親にオレん家で預かってるって、連絡入れといたほうがいいんじゃないか?」
「あのね。おじさん……聞いて……」
小ノ葉が涙声で訴える。役者顔負けの演技だった。
「日本で勉強したいって言ったんだけど、ダメだって。そしたらおじいちゃんと喧嘩になっちゃって。我慢できなくて家を飛び出したんです。もうあんな家には帰りたくありません。だから連絡しないで……。お願い、ここにおいてくれませんか? おじさん」
地球上に生息するあらゆるオスが、とろけてしまいそうな悲哀を込めた表情を浮かべて、頭を深く下げた。
ひと呼吸待ってから、そっと栗色の頭をもたげた小ノ葉は、何かを観察するように親父と俺を見比べつつ、静寂に沈む空気を吸っている。
こうなったら俺もやけだ。ケツを煽ってやる。
「頼むよ。しばらく置いてやってくれないか?」
「お前が世話をするのなら……」
犬やネコを飼いたいって相談してんじゃないんだけどな。
親父は腕を組んでしばらく黙っていたが、
「――でもよ。やっぱ知らせたほうがいいんじゃないか? 御両親は心配してるぜ」
ゼンマイ仕掛けの人形そっくりの動きで、顔を上げた。
「してないしてない。だから連絡はいい」
「何でカズが言い切れるんだ?」
なかなか、うん、と言わない親父に業を煮やして、
「あのな。ここのおじいちゃんメチャクチャ怖いんだって。ここに滞在することがバレたら、ギャングが押し寄せて来るんだってよ」
そこまで治安が悪いわけでないだろうが、もう支離滅裂だ。
「おじさん。家には内緒にしてください。あたしここを追い出されたら行くとこ無いの。おじさん、お願ぁぁい」
栗色のセミロングを翻して親父の首っ玉に飛びついた。
紺色のオーバーニーをまとった長い脚を一直線に伸ばし、片足は『く』の字に曲げる小ノ葉。
これは強烈だ。マシュマロを抱くようなもんだ。この感触が嫌いだなんて言う男は男じゃねえ。
ラテン系のボディで飛びつかれた父親は、しばらく茫然自失。
前掛けみたいに首から下に柔らかな物体をぶら下げて、ご満悦で目を天井に向けており、完璧に放心状態だった。
「お、おい。小ノ葉、離れろ。やりすぎだ。親父は妻帯者だ。お袋が帰って来たら血の雨が降る」
こういう言葉は通じるのか、俺の忠告を聞いて小ノ葉は照れくさそうに親父から離れるが、肝心のバカが痴呆状態を維持。目が天井を向いたまま意識がどっかへ行っちまっていた。
そこへ――。
「帰ったよ~」
買い物カゴを満載にして部屋に入って来たおふくろは、部屋のど真ん中で電柱と化していた親父の回りを一周してから、平手で後頭部を叩いた。
その反動で意識を取り戻した親父へ、
「何してんのさ?」
不思議そうな目で見つめた。
「な……なんでもねえ。ちょっと体操をしてた」
咳払いと共に、一緒になって突っ立っている俺たちに、
「何してんだカズ。二人ともそんなとこで?」
あんたがいきなり帰って来たからだ。
「かあさん。この子ブラジルの親戚っちからワケありで来たんだとよ」
「わけありって?」
「まぁ堅いこと言ってやるな。ちょっと喧嘩でもしたんだろ。よくあるヤツだ」
「ふぅんそういうことね。青春だねえ。じゃオメデタじゃないのか」
「そいつはまだわからねえぞ。何せこいつがここで一緒に住んでる限りな」
と言って俺を指すな。人を種馬みたいに言いやがって。
それより種馬ってなんとなく羨ましく思ってしまうのは、男なら誰しも経験することで。
あと、AVの男優も羨ましいよな。
って、おい、みんなどこ行ったんだよ?
部屋の中でポツリといやらしい笑みを浮かべる俺って、あんまりに悲し過ぎる。
気づくと全員居間のほうに移動していた。
小ノ葉もちゃっかり食卓の隅に座ってニコニコ顔だ。親父も定位置に座って何やらお袋に指図。
「かあさん。爺さんに電話して、親戚の住んでる場所を訊いてみろよ」
「そうね。家出だって言っても、無事にこちらに着いたことぐらいは知らせたほうがいいかもね」
ところが親父は慌てて否定する。
「あ……いや。そこまではまだいい。どこに住んでいて、どんな連中が近所にいるか知りたいんだ」
はは。だいぶビビってやがる。
親父の言葉に、お袋は首をかしげつつも、エプロンで手を拭き拭き電話が置いてある、カウンター式のキッチンへ移動。
「小ノ葉ちゃん。あんたの住んでいたところって何て言うの?」
テーブルの上で指を絡めて暇を潰していた小ノ葉が顎を上げた。
「ξゥ――――チィ――ッ村だよ」
何を思ったのか、急いで戸棚を開けて中を覗き込むお袋。
「どうしたんだ?」
「あのさ。蚊取り線香の予備ってどこだっけ?」
「蚊じゃねえよ……」