4/4(最終話)
連中に黒コロ丸を拝ませると約束をした絶好の日よりがやって来た。店長が立花家具の社長から呼び出されて、夕刻から店を留守にすることになったのだ。
「それじゃ。これが店の鍵だからあと頼むね。それからちゃんとシャッター閉めて帰ってくれよ」
「大丈夫っすよ、店長。俺だって電気屋の息子だし、店番だってやるし。シャッターなんか俺んちと同じヤツじゃないっすか」
「それは心強いんだけど。あそうだ、ガーデンの裏口の金網にも鍵を掛けてくれよ。かけ忘れて帰るとネコや野良犬が入ってくるんだよ」
「心配いりませんって、店長。それに社長さんと出かけるところって、アキでしょ。数件向こうの居酒屋ですよ。何かあったらあたしがすぐに知らせますって」
何でも立花家具の駐車場に桜の樹を数本植えるらしく、その打ち合わせにキヨッペの家が経営する居酒屋『アキ』へ行くのである。小ノ葉が言うようにここから数件先の店さ。
さてと……。
表向きはこれで準備万端。あとは閉店時間を待つのみ。今夜はキヨッペが作った陽電極エミッターとかいう武器の効果も試す予定なのだ。
数刻もして、
「アニキ! 立花家具の親っさんが入店した。こっちは予定通りだぜ」
竹刀を肩に担いだ杏が店に駆け込んできた。
「あら杏ちゃん。どうしたの?」
店で仏壇用の切り花を買っていた雑貨屋のオバさん、有賀さんが声をかけた。
「花屋さんに来るなんて、珍しわね」
誰もが口にするその言葉の真意は言わなくても察しのとおり、それほどに杏がこの店に来るのが意外なのだ。
「あぅっ、お、オバちゃん。えっと。あの……こ、公園に行くついでにイッチがさぼってないか見に来た」
支離滅裂のいいわけをして下を向く。
「はい。お釣りです」と小ノ葉が小銭を手に渡し、
「ありやとやんしたー」俺は有賀さんに頭を下げ、杏の後頭部をこずきながら店の奥へ誘導する。
「いちいちこっちへ飛んでくるな。携帯で知らせたらいいんだ。お前はただでさえ目立つんだから人の目の届かないところで監視してろって言っただろ」
「だってよー。直接知らせたほうが早いかと思って……」
「その気持ちも分かるが、これから先はまだ長いんだ。お前は店の手伝いをしながら状況を携帯で知らせてくれたらいいんだよ。潜入スパイをするには最良の場所にいるんだからな」
「なんか……オレだけジャマ者扱いされてる気がしたんだよ」
杏の言うとおりだが、直接言えばこの子が傷つく。
「ジャマなもんか。店長の監視って言やぁ、重要任務だぜ」
「そっかなぁ……じゃあ、店に戻るよ……」
渋々帰って行く、その背中が少し寂しそう。
「バケモノ退治にあいつを巻き込むわけにはいかないんだ」
背後に立つ小ノ葉に言い訳めいた言葉を掛け、小ノ葉はポんと俺の肩に手を添える。
「いいお兄ちゃんね。イッチは」
「は、恥ずいこと言うなよ。あいつは幼馴染みだけだ」
頬に熱を感じながら、俺は店の奥に広がるガーデンへ戻った。
『いよいよ今夜だな。カズト』
いきなり声を掛けてきたのは観棕竹の日野山慶道さんだ。
「はい。あとでモサイ連中が裏から入ってきますが、気にしないでいてください」
『かまわぬ。キョウヘイ殿が拵えた武器が実用となれば、我らの戦士となる連中じゃ、歓迎するぞ』
「戦士か……連中その言葉で燃えますよ。なにしろ学校のクラブ活動だけではパワーを持て余して、チカン退治に毎夜出るほどですから」
『聞いておる。駅前の野々村一族から夜の治安がすこぶる良くなったと報告が来ておる』
野々村一族とは駅前周辺から公園までをぐるりと囲んでいるイチョウ並木のことだ。この町、いや。世界中の植物には名前が付いているから驚かないでくれ。
「そうですか。連中に伝えときます。では俺も準備がありますんで、失礼します」
『うむ。気張ってくれ』
半年前の俺なら大笑いするかもしれない。いま頭を下げて通ったのは観音竹の茂みなんだ。まさかあんな尊大な方だとは思ってもみなかった。
『カズト!』
「あ……はい」
思わず背筋を伸ばす。この声はバナナの北畠義空さんさ。このガーデン内で最も幅を利かせている樹だ。この人から俺はいろいろな事を教えてもらった。腐葉土の作り方がプロ並みだと店長はびっくりしていたが、実は北畠義空さんから伝授してもらったのさ。
『キョウヘイ殿は予定通り倉庫の裏に荷物を持ち込んで準備しておる。ぬかるのではないぞ』
「承知しております」
何でキヨッペには殿が付いて、俺は呼び捨てなんだよ。
『バカモノ。それはお前に親しみを感じておるからだ。察しろ、カズト』
「あ。はい。すんません。それじゃ、ちょっと急ぎますんで」
植物族とのコンタクトは思考波の読み合いだから頭の中で考えたことまで伝わっちまうので苦労するんだ。
ガーデン奥にある倉庫。一輪車やスコップ、腐葉土などが積み上げられている。その裏手に場違いな白い段ボール箱が置いてあった。これが昼のうちに持ち込んだ黒コロ丸をおびき出す陰極コレクターとかいう道具だ。仕組みはよく知らないが下敷きより少し大きめの黒いプレート状の物さ。それが7枚。
キヨッペは完成した時に俺へと告げた。「連中は負イオンに群がるらしいから。これでおびき寄せるんだよ」と、雲の上の会話を平気で俺にしてくるけど、内容はチンプンカンプンさ。だから素直にヤツの命令に従うしかない。
プレートには番号が振ってあり、店舗二階の研究所の前が1番、そこから順に並べてガーデンの中心まで均等に配置しろとのコトだ。放出する負イオンが徐々に強くしてあるという。
何だかよくわからないが、とにかくやるしかない。
そろそろ店じまいを始めた小ノ葉と視線をかわしながら、
「いいか。お前は普段通りでいいからな。準備は俺がやる」
「わかってる。頑張ってね、イッチ」
ひとまず『1』と書かれたプレートを研究所の扉の横に置き、電源を入れる。後は階段の下にもう一枚。
『にぃちゃん。もうちょい壁ぎわの方がエエんちゃうか?』
横から口を出してきたのは案に違わず、キャサリンの親戚だか友人だか知らんが大阪弁のナデシコ。
「何でそっちがいいんだよ?」
キャサリン一族にはついぞんざいな口調になる。
『アホ―っ! 連中はマイナス大気が好っきゃゆうやろ。それやったらその壁際のほうがマイナスに帯電した大気がたまっとんや』
これだもんな。
「へぇへ。解りましたよ」
逆らうともっと噛みついてくるので素直に従うと、そこはヒンヤリとした空気が漂っていた。
「空調の冷風があたってんだろ?」
『アホ―っ! それが負に帯電した空気が多い証拠や、ボケッ!』
ひと言返しただけなのに、なんでそこまで言われるかな……。
うるさいので急いで作業をこなす。
そして最後の一枚。
『うむ。ワシと益田殿のあいだに立て掛けろ。よし。そこでいいぞ』
早い話がバナナの樹と棕梠の茂みのあいださ。どちらも見上げるほどに成長して、ガーデンの上空から大きく緑の葉を広げている。
『カズトぉー。連中が来たぞ!』
奥から俺を呼んだのは、セイタカアワダチソウのアニキだ。間違っても雑草と呼んだらダメだぜ。植物界に雑草などとカテゴライズされるものは無いと吠えられるからな。
「わりぃな、アニキ」
『おう、カズト頑張れよ』
口は悪いが結構面倒見がいいヤツなんだ。俺に一輪車の扱い方を教えてくれたり、倉庫の鍵がどこに隠されているかも教えてくれた。店長は鍵の保管場所を教えようとする前に俺が開けていたから仰天してたよな。
「こんなとこでいったい何を見せようとしてんすか、キャサリンさん?」
薄暗闇の路地から空手部主将の声が響いた。格闘技連合会の中でもひときわ体格がよく、ほとんど双腕重機と言っていい。家が肉屋を営むからって成長したもんだ。
「後藤田くん。キャッシーって呼んでよ」
「きゃ、キャッシーっすか?」
「おい。くだらんこと言ってないで、鍵は開けてあるからさっさと入って来いよ」
「わぉー。びっくりしたぜ、そんな暗闇から出てくんなよ」
「お前、空手やってる割にビビりだな」
「空手とオバケは関係ない」
「だったら慣れておいたほうがいいぜ」
「なっ! 何を言いだすんだよ……神祈くん……」
情けない声で背中を丸めたのは弓道部主将の小平だ。
「おまたせぇー!」
「「「「「ぐわぁおぉぉぉ!」」」」」
格闘技連合会の猛者ども全員が飛びあがった。
「ど、どうしたの?」
背後から声を掛けたキヨッペが目を剥くのも仕方が無い。ガーデンの裏口の前で、でかい図体をした連中が固まって震えているからだ。
「よ……吉沢か。脅かすな」
「そっちこそ大勢で振り向かないでほしいな、まじで怖いよ」
「さて始めんぞー」
ひと塊りでガーデンの裏口から入って来た猛者どもへ声を掛ける。
「もっと胸張れよ。いつもの元気はどうしたんだ。ほらもっと左右に散れ。何で固まろうとすんだよ」
「だ。だってよぉ。カズト、オマエ平気なの?」
空手部の主将が情けない姿だった。動画を撮って部員たちに配るぞ、マジで。
「で、キャッシー? サンタナさんへの手配は?」
「へ?」
「へ、じゃない。お前キャッシーなんだろ? 返事しろよ」
「あ。そうそう。そうだったね。キャッシーなんて呼ばれたことないモンで……」
自分で言っといてこれだよな。バカなヤツ。
そして俺は後ろに振り返り、
「いいか、お前ら。俺の覚悟を見てもらうためにここに集まってもらったんだ。怖いとか嫌だとか言う奴はすぐに帰れ。10秒後に始めるからな」
「神祈をクラブに勧誘できるんなら、オレは何だってするぜ。ロクロ首でも、おキクさんでも来やがれってんだ」
「おうよ。オレだってカラ傘小僧なんか怖くねえぞ」
「きみら、妖怪大戦争でも見てきたの?」
と言うキャサリンがそんなことを知っいてるほうが驚きだ。
「あのな。お化け屋敷に遊びに来たんじゃねえんだからな……」
と告げてから、凄みをかけてやる。
「もっと驚くことが始まるから心するんだぜ」
「「「「「え――っ!」」」」」
やはり体育会系はよく息が合う。
リーダー格の後藤田が震え声丸出しで、全員の肩を抱き寄せて円陣を組んだ。
「よ……よーし。野郎ども、気合い入れてかかるぞぉっ!」
「「「「ぉ、おーっ!」」」」
「オレたちは格闘技連合会のメンバーだっ!」
「「「「おーっ!」」」」
「しゃぁぁ!」
「「「「おーっ!」」」」
「しゃぁぁ!」
「「「「おーっ!」」」」
「しゃぁぁ!」
「「「「お――っ!」」」」
気合いの掛け方もバッチリだった。
連中が腰をのばしたところでキャサリンに目配せする。開始の合図さ。
「了解や」とキャサリン。
目立った気配は何も感じられなかった……が。
『おうコイツらがあたらしいソルジャーか。いい体格してやがんな』
いきなり声を掛けてきたのはアニキだ。こう言う猛者がお気に入りなのは知っている。少々ガサツだが硬派な連中を見ると胸が躍ると常々言っている。もっともセイタカアワダチソウのどの辺が胸なのか、どうやって小躍りをするのか、俺には理解不能だけど。
「だ、だ、だれっすか?」
最初にビビリあがったのは小平だ。せっかく入れた気合いが吹き飛んでいた。
『誰って、オレだぜ。目の前に威勢よく生えそろっているセイタカアワダチソウ様だぜ』
威勢がいいのは認めざるを得ない。野原へ行けば集団でびゅんびゅん背筋を伸ばして生えてるもんな。
「か、神祈……オマエ……スポーツ万能だけでなく腹話術までできんの?」
助けを乞うような情けない顔で俺に首を捻ったのは、レスリング部の藤木山。
「俺じゃあねえよ。このセイタカアワダチソウのアニキの声だ。ちゃんと挨拶しろよ。この人は体育会系のノリで接してオーケーだからな」
『おうよ。オレャぁよ。こう見えて一本筋が通ってんだ。秋の青空にグイッとまっすぐに伸びて、黄色い穂を風に揺らしてんだろ。あれがオレだ。覚えておいてくれよ』
「………………」
困惑に揺れた猛者たちの視線が俺に集まり、それに反応するようにキャサリンがセイタカアワダチソウに向かって応える。
「この人たちが格闘技連合会のメンバーで、怖そうだけどみんないい人だからね」
『ああ。だいたいはカズトから聞いてる。さっ、狭いとこだけど入ってくんな。ほらその路地から奥だ。遠慮するな、レスリング部のサトルよ』
「お、オレのこと知ってるんすか?」
『知ってるさ。駅前の本屋のせがれだろ? 野々村一族からよく聞くからな。あ、ほら、きょろきょろすんな。剣道部主将。どうだ? ケンゴ、親っさんは元気か?』
「へ? げ、元気っす……」
剣道部は点になった目を俺に振ってから、セイタカアワダチソウを左右に掻き分けて中を覗いた。
もちろん誰か人が隠れているわけはなく、改めて息を飲んだ佐藤が茂みに向かって恐々聞いた。
「お、おニイさん。何でそんなに詳しいンすか?」
『かー。オニイサンって、硬ェなぁー。アニキで、いいぜアニキで。オレっちらはよー。大地で繋がってんだ。情報は筒抜けなんだぜ』
「おい。これはなんかの冗談だろ?」
俺の背中にしがみついてきた後藤田を無視して、キヨッペと横並びになってガーデンの中心部へと茂みを掻き進んだ。
「イッチ。手はずはどう?」と懐中電灯の変なヤツを握りしめたキヨッペ。
「うん、言われた順番のとおりに立て掛けてきた。それで最終のは義空さんと益田さんのあいだに置いてあるぜ」
「か……神祈ぃ……そっちに誰か待ってんの?」
俺の背中にしがみついた後藤田の情けない声が肩口から渡ってきた。
「おい、情けねえな」
この中で最も筋肉隆々の後藤田の手がブルブル震えていた。
「いいかよく聞け。信じられないかもしれないが、今このガーデンの中では全地球上の生命体が一つになっている。その空っぽの頭に叩き込んでくれよ。これから説明することはマジの話なんだ」
湿気た息を吐きつつ連中を見遣る。
「お前らチカン退治していい気になってるけどな。これから相手するのはそんなチンケなもんじゃねえぞ」
「わ……わかったよ、カズト。お前を部に入れるためだ。どんな試練だって乗り越えてやる」
「よーしその意気だ」
俺は腕を腰に当て説明する。
「いいか、この地球上にはいろんな生き物がいるだろ。それを大きく分けると植物と動物になる。それがここでは一つになって意思が疎通するんだ」
「そうだにゃぁ~。おもしろそうなので、アタイも今日は見学に来たニヤァ」
「あー。誰だ。ガーデンの裏口閉め忘れてるじゃねぇか。ミケが入ってきちゃってるぜ」
そいつは地面から茶と黒の混ざる頭をもたげて俺に言う。
「そう邪魔者扱いするにゃー。今日は見学だけにゃ。なにもしねえよ」
「このあいだ倉庫の段ボール箱全部引っ張り出したのはオマエだろ。店長が怒ってたぜ。そのうち出入り禁止になるからな」
「そっかー。出入り禁止はつらいからにゃ。カズトよぉ、何とか店長とのあいだに入ってくれにゃぁか?」
「わかったよ。やってやるから今日はおとなしくしていろよ」
「ニャー」
「か……カズトぉ……。誰と喋ってんの? ま……まさかこのネコじゃねえよな」
「後藤田。もうちょっと離れてくんない。重いんだよ、お前」
『ホンマや。大きい体して情けないやっちゃな』
「ぐぉぉぉっ! この赤と白のまだら模様の花が言ってる気がするんだけど、オレの気のせい?」
「ああ。弓道部。紹介するよ。このひとはステラ・スカーレットの小野さんだ。小百合さんのお加減はどうっすか?」
『へぇ、おおきに。エエあんばいに回復してまっせ。これも二ィちゃんのこさえた腐葉土のおかげや。おおきにな』
「礼言ってるぜ……この花……」
やがて異様な雰囲気は最高潮に達し、
『おおぉ待ちくたびれたぞ、カズト』
ひときわ低音、そして尊大な声はバナナの樹。
「これが俺の仲間で、」
『このたびは協力感謝するぞ。格闘技連合会の猛者殿たち』
俺の言葉を最後まで聞かずに口火を切ったのは、もちろん北畠義空さんで、
『ふーむ。よい体格をしておる。心強いな。そう思わぬか? 日野山慶道殿』
『うむ。カズトが六人そろったようで、いやこれは壮観な眺めであるぞ』
「お前って有名人なんだな……」と剣道部の佐藤。
「まぁな。駅前行ったらもっとうるさいぜ。あそこは野々村一族が取り囲んでいるからな」
「さっきからそう言ってるけど。それってイチョウ並木のことじゃねえよな?」
「そうだぜ。イチョウの樹だ。駅前から野口さん、野村さん。野沢さんに、野坂さん。それから野々村さんだ。全部『野』の字から始まる。めんどくさいんで野々村一族って呼んでんだ」
「マジかよ……」
全員が黙り込んだのは言うまでもない。
「どうだ。キヨッペ。黒コロ丸はいるか?」
「まだここまで来てないみたいだ」
「小ノ葉! 店のほうはどうだ?」
赤々と照明の光を放つ店舗へと大声を出す。
半拍もして、中から小ノ葉の声が、
「この子たちかなり臆病者みたいよ。まだ4番プレートの辺りでたむろしてるワ」
「な、何がはじまんだよー」
まだ後藤田の声は震えている。
「お前ら、もっかい気合いを入れるか? もうすぐ見せたいものがこのプレートに集まって来る」
「マジかよ……」
連中は寸刻見つめ合い、気合いを入れようとする。
「や……野郎ども……」
俺もその輪に混ざり、
「声が小さい、後藤田! 腹に力入れてけ!」
ヤツは覚悟を決めた、見たいな目で俺を睨んだ。
「よし。いいぞ、いけっ!」
俺も発破を掛ける。
後藤田は一度背筋を伸ばし大きく深呼吸。
「よーし、野郎ども、気合い入れてかかるぞぉっ!」
「「「「おーっ!」」」」
「しゃぁぁ!」
「「「「おーっ!」」」」
「しゃぁぁ!」
「「「「おーっ!」」」」
「あーん。その大声で黒コロ丸が逃げたわよ」と小ノ葉。
「おわっと、ちょっと中止。静かに頼む」
「「「「ぉぉーっ!」」」」
それからほどなくして、バナナと棕梠の中間地点に立て掛けたプレートの周りに黒いモヤモヤしたモノが現れた。形はほぼ球形だが何とも言い難い物体が蠢いていた。
「な……なんだよこれ。神祈……」
その疑問に応えたのは、日野山慶道さんだ。
『それが異生物じゃ。シンギュラリティを待って、それに群がろうとする異生物、シンギュリアンじゃ』
「これっすか? オレたちに見せたかったオバケって」
「なんか変な臭いがするっす」
『それはイオン臭だ。毒ではない』と棕梠が言い。バナナの樹が続く。
『いまはまだ何をするという力を持っておらん。だがな、シンザブロウ。技術的特異点を超えた瞬間変貌する。地球上の生命体を脅かすバケモノとなるんだ』
柔道部の主将、錦田伸三郎の喉がゴクリと鳴った。
「い……いつごろっすか?」
「そ。そうだよな。心の準備ってものがあるからな」
剣道部とそろってうなずき合った。
よし、この目は覚悟を決めた目だ。こいつらの習性はだいたい俺と同じなのでやりやすい。
「お前ら逃げるなよ」
「逃げるかよ。そのかわりカズト。オマエも約束を果たせよ」
俺はニヤリとしてから言ってやった。
「ああ。それはまかせろ」
時は流れて――西暦2035年。
今のところシンギュリアンが現れたという格闘技連合会からの連絡は無い。
黒コロ丸は相変わらず薄暗い陰に現れるが、17年前にキヨッペが作った陽電極エミッターで簡単に中和できるから今のところ問題無しだ。
あ。古い話を持ち出しちまったな。格闘技連合会はいまや立花商店街総合連合会という堅苦しい名称になっている。連中の親は元々商店街で店舗を営むので、自然な流れでこうなっちまった。だがちゃんとシンギュリアン対策本部も裏に設置されているから心配しないでくれ。
「なあ、アニキー。まだオニは現れないの?」
松野剛三(松の木)さんの前で洗濯物を干しつつ振り返ったのは17年後の杏だ。なぜ俺ん家でコイツが洗濯物を干しているのかって?
無事に俺たちと同じ高校を卒業した杏は、その後、親父の将棋の相手をし、お袋の手伝いで台所に入り、あいつの美味い料理に舌鼓を打っている内に、気付いたら俺の横に居座りやがった。名前も神祈杏と戸籍に刻みやがって。こういうのは世間一般に嫁と言うらしいが、俺は男オンナを嫁にした気はねえんだ。でも誰もが認める自然な流れで、それに逆らう気もないままこうなった。
ついでに言うとキヨッペは酒屋の二階を来たる十年後のシンギュラリティに備えて、なんだか難しい研究所に建て替えた。驚異的な異生物が現れたときはここが対策本部の中枢となる。
でもってそこの階下は杏が営む居酒屋さ。毎晩ウワバミどもが集まってワイワイ楽しくやっている。もちろんほとんどの客が商店街の連中、あ、いや。正確に言うと格闘技連合会の連中が占めている。
フェアリーテールは裏のガーデンまで店舗を広げ小ノ葉はそこのチーフだ。もちろん店長夫妻も元気に花を育てているから、こっちも安泰さ。
『おい。カズト! 黒コロ丸が駅裏の路地に出たそうだ。連合会の誰かを急行させてくれ』
と松の木の剛三さんに知らされた俺は携帯で本部長に連絡だ。
「後藤田よー。ヒマだったら藤木山と、駅裏まで陽電極エミッター持って行ってくれねえか?」
《わりい、カズト。オレ、仕入れた肉を捌いてる最中なんだ。ついでに藤木山もこの時間なら本の配達に出てるはずだぜ》
電話の向こうでそう言われたら無理強いはできない。
「そうか。じゃあ俺が行ってくるワ」
「ならオレも行くー」
「アン。おまえ、いい歳こいて、オレとか言うな」
「わかってるって、でもアニキの前だとこれが最も楽なんだもん」
「ったく……。いくつになっても元気がいいな、オマエ」
「だって大好きなアニキと一緒になれたんだ。オレは幸せモンだぜ」
「オレって言うな、アンズ!」
終……。
最後までお読みくださりありがとうございました。これにて閉幕でございます。