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 リノリウムの床が広がる研究室の中は十畳ほどの広さがあり、細かな棚が設えてあって実験器具などが並んでいた。

 中は空調の効いた清々しい空気で満たされ、水のせせらぎが響いてくる。そして何よりも真っ白い壁に囲まれた室内が異様に眩しかった。


「すげぇぇ」


 テーブルや棚に規則正しく並べられた植物には、妙な色の光を放つパネルが被さり、あるいは横から立てかけた物もあるが、どちらも背面からは何かのケーブルが伸びており、それらはひとまとめになり、部屋の隅に設置された大型装置の中へ引き込まれていた。


「マジで研究室になってんだ……」

 拙い俺のセリフが恥ずいが、それしか思い浮かばなかった。


「これが管理園芸って言われる仕組みなんだよ。栽培部ではコンピューターが自動制御。遺伝子操作の手伝いも機械がやる」

 店長が自慢げに手を広げて紹介する装置や道具は初めて見るものばかりで、中でも最も目立つのは虹色の光が当てられた三十センチ四方の栽培区画。それが数段重ねで並べられた物が部屋に広がっており、冷たそうな水がせせらぐ小さな音が浸透した世界だった。


「…………………………」

 感嘆する俺とは対照的にキャサリンの視線は一つの物へ固定されており、きつい視線で睨んだまま身動き一つしていない。それはこの世の物とは思えない代物だった。


 長い針金にも似た折れ曲がってひょろひょろとした先端にピンクのツボミがついたものとか、螺旋形に渦を巻いた茎から丸い粒が珠数繋がりに引っ付いた人工的にさえ見える物体……そうさ、物体と言うしかない物だ。


 かと思えば小さな赤とオレンジの花がアジサイみたいに大きく集まり、花の中心から外側に向かって赤から黄に変化する見事なグラデーション効果をもたらした美しいモノもあれば、目を疑う毒々しい色の大輪の花を咲かせたモノもある。


 そんな賑やかな彩り(いろど)の陰には(しお)れた芽が少し伸びて倒れてしまった物がいくつも並ぶ一角があり、そこへと視線を滑らせた俺は背筋に冷たいものを感じて身震いした。


 店長は平然とした態度で部屋の奥を目指して歩み進むが、俺の足が床に縫い付けられて動かない。

「なんだよ、あれ……」

 ずらりと並んだ装置の足元に広がる暗く影を落とした部分に蠢くモノがいた。そう何だか解らないが、そこに存在する。


「カズトにも見えるの?」

 不意に肩口からキャサリンの声が響いたので振り返る。


「見えるって……あれって俺の目の錯覚じゃないのか?」

「あれが正体ね」


 影の中で蠢くモノ。黒くてまん丸いモヤモヤしたなものが寄り添って、光の当たらない暗闇にぎっしりと集まっているのだ。

「俺たちにしか見えてないのか?」

「やろな。ほらあれ見てみぃ……」

 キャサリンの口調が変り、目の焦点が店長へと移動。

「ほら、キミたち。これがこの部屋の中枢なんだよ」

 屈託の無い笑顔で俺たちを手招いていた。

 この分だと不気味な物体が暗闇にいることを全く気付いていない様子だ。


 いきなり直接肌に触れられたかのような嫌な感触に襲われて、俺はそそくさとその場から離れた。

「て、店長。平気ですか?」

「寒いのかい? 室内温度が下がりすぎてるのかな?」

 自分の腕を抱くようにして歩み寄る俺を見て、店長は首を捻り、目の前にそそり立つ装置の表示版へ目を遣った。


「ん~。別に異常なしだな。設定温度のままだよ」


 俺の寒気は止まらない。それは悪寒だ。続いて背筋が粟立った。

 鼓膜を緩く震わせる極低音の唸り声が、満ち引きする波みたいに押し寄せては消える奇怪な唸り声が背後からプレッシャーを与える。


「まだまだ失敗作が多くてね……」

 天井までそそり立つ装置から目を離して部屋の中ほどへ視線を転じた店長は、いつもと変わらぬ爽やかな振る舞いで接してくる。

 明るい笑顔に救命嘆願する亡者の一人みたいに俺はよたよたと歩み寄る。背筋を襲う不気味な感触は装置の前に立つと嘘みたいに消えた。振り返ると、キャサリンは変わらない鋭い目つきで部屋の中央、さっき蠢くモノがいたデスクの足元を睨んでいた。


「すぐ終わるから、ちょっと待ってくれるかい?」

 店長は部屋の奥に設置された水道の蛇口付きのデスクの前で立ち止まると、その上に並べられた複数の試験管の中を凝視。それへ無色透明の液体をスポイドで数滴落とし、フルフルと幾度か振ってから試験管立てに収めた。


 それを見て俺の人格がざわつく。

《あれ、何してんだろ?》

〔知らね〕

 ガラスの底には植物の種らしき物体が沈んでいたが、それが何んなのか、また何をしようとしているのか、さっぱり理解不能だ。


 四角いメガネの奥で無色透明の光を放つ店長の視線がそこから離れて、茫然として立ち尽くした俺たちに固定される。

「わるいね。興味ない人にはつらいよな?」

「……あ、いえ。すごい設備なもんだから吃驚(びっくり)しただけです」

 俺は意識はここにあらずだ。背後に迫る黒い影を感じて超焦っていた。


 そこへとキャサリンがやって来て小声を落とす。

「大気イオンのバランスが崩れてる……なんということ」

 つい今しがたまで黒い物体を睨み倒していた厳しい表情のまま、今度は重々しい吐息を落とすと、デスクの上に置かれていた箱の中を覗き込んだ。


 トビラの無い電子レンジみたいな入れ物の中は、部屋の照明が入らないように光を遮っており、代わりに青白い明かりに照らされた一つの花が置かれていた。


 葉先へ手を触れたキャサリンが眉根を寄せた。それに反応して店長が応える。

「それはデージーの新種で遺伝子配列を少し変えてあるのさ。おかげで発芽から開花までの時間が普通の三分の一しか掛からない即席栽培に成功したんだよ」


「ラーメンみたいっすね」

 と言う俺に店長はにこやかに返す。

「一分インスタントラーメンって知ってるかい?」

「知らないです」

「昔、一分でできるインスタントラーメンが売られたんだけど、すぐに消えたんだ。どうしてだと思う?」


「さぁ? 早過ぎたのですか?」


「そのとおり。三分というのが定着していていて、つい時間を忘れてしまうんだ。だからみんな食べようとした時には伸びちゃって味を損ねていたんだ。でも花は伸びないからいいと思ったんだ……」

 電子レンジ風の容器をチラ見して声を落とすところをみると、その花は失敗作なんだろう。


「すぐに萎んでしまうのよ」

 答えたのはキャサリンで、舘林さんは目の奥で隠しき切れない驚きを輝かせた。

「すごいじゃないか。言うとおりなんだよ。一週間は咲かなきゃいけないのに半日ともたないんだ」


「マナがぜんぜん足りてない! オドもないし。こんなことあり得ない」


 なぜだかキャサリンは憤りを前面に浮かべていた。喰いつきそうな顔で店長を睨むもんだから、急いで割って入る。

「お、おい。素人(しろうと)が口を挟むな」


 俺は袖を引っ張り小声で告げる。

「お前、任務を忘れるなよ。サンタナさんに言いつけるぞ」


「ご……ごめん。ちょっと興奮しちゃった」

 キャサリンは手刀(しゅとう)を立てて謝罪。小さく舌を出し、店長が間髪入れずに尋ねる。

「マナってなんだい? ジャスティーノくん?」


「ま……マナーよ。花にもマナーが必要だという話をオバアチャンから聞いたことがあるの」


「マナー違反ってことかな。そうか、花のライフサイクルを無視したのがいけないのか」

 店長は勝手に納得して、一人うなずいたり、

「でもさ。新しい風が吹いてきたよな。そうか、ライフサイクルだ」

 容器の中から生気が失くなった花を取り出すと、花びらの裏を覗き込んだ。


「ふ~ん。花弁の付け根が正規の物より早く老化するんだ」


 何かを発見した生物学者みたいな言葉をつぶやく店長へ、

「店長はなぜこんな化けモノ……」

「ゴホンゴホン!」

 とんでもないことを言いだしそうになったキャサリンへ咳払いをお見舞いしてから、強く睨み倒す。


「……特殊な花を作ろうとしてるんですか?」

 キャサリンが慌てて言い直した。


 館林さんは花の容器をテーブルに戻すと、瞳の色を深々とさせた。

「花の種類は何万年もかかって、突然変異やら適者生存などで進化してきたんだ。ボクはそれを人工的に真似てるのさ。遅いか早いかの違いはあるけどね。それに経営のことも考えたら、やはり珍しい花はよく売れるんだよ」

 と言った後、幾分トーンが下がり。

「表向きはそう言っているけど、本当は別の理由もあるんだ……ま、これはきみたちにはまったく関係ない。個人的な感情だよ、感情。あはははは」

 つまり、奥さんとの約束を果たそうと躍起なのだ。


 キャサリンは矢継ぎ早に次の質問をする。

「でも青色遺伝子を細菌を使わずにゲノム編集で組み込む研究をなさってるんでしょ?」

 それもサンタナさんの情報かどうだかは解らないが、店長の片眉がわずかに吊り上がったのは確実だった。


「キミって色々知ってそうだね。どうだい? 樹医の助手として明日からここへ来てくれないかい?」

 キャサリンをどうやって研究室に忍び込ませるか悩んでいたのが、どうやら取り越し苦労のようだ。


 彼女に興味を持ったらしい店長を見て、ひとまず胸を撫で下ろす俺の視界の端で、またもやさっきの黒い影がザワザワと蠢き合った。

 それを見て確信した。店長のどこが悪行なのか、俺にはさっぱり理解できないが、部屋の隅に固まって隠れている黒くて丸い物体から邪悪な何かを強く感じる。俺たちを敵視する怖気(おぞけ)た波動が肌の表面を伝わってくるのだ。


 最悪なのは、あんなにも不気味な存在なのに店長が気づいていないコトだ。


《どうするよ……。見えないモノを訴えたって店長は信じないぜ?》

〔そうだよな。でもほっとくとどんどん生まれてくるしな〕

 そう。本人には自覚が無い。店長は店長なりに真剣に取り組んで科学的に植物の栽培を行っている。それは奥さんとの約束を果たすためだ。そうすることで愛する人の意識が戻ると信じている。


 キャサリンの任務はこれらを破壊する、あるいは改心させることだが、俺にはどうしていいか答えが出せない。あんなに固い決意を露にする店長を見ていたらな……。


 進むべき方向を失った俺は、無意識に設備の最下段を流れるせせらぎに手を出していた。

 朝陽を反射する清水みたいにキラキラした水だった。


「それは循環水なんだ。紫外線の光を当てて浄化槽を通した殺菌済みの水だよ」

「すごいっすね。清水のようだ」

「だろう? 蒸発した分を補充するだけだから大量の水を準備する必要がない。だからこんな小さな部屋で栽培できるんだぜ」


 キャサリンはまたもや眉根を寄せて小声で訴える。

「これが諸悪の根源だわ……」

 拳を握りしめ清澄な流れの奥を睨んでいた。


「これがかい? 無菌だよ。何も問題ないだろう?」

 店長は首を傾げるが、キャサリンの表情は見る間に険しくなり、

「大気イオンが自然じゃないの。おかしい。こんなのあり得ないわ。だめ気が遠くなりそう」

 そう言い残すと、部屋の外へパタパタと駆けて行った。


「えっ?」

「どうしたんだい?」

 取り残された俺と店長はポカンさ。


「ちょっと見てきます」

 階下へと俺はキャサリンを追いかけた。




 最下段に腰掛けて、キャサリンはじっと店内の床へ視線を落としていた。

「どうしたんだよ? 店長が吃驚(びっくり)してんぜ」

「あの部屋は自然じゃない!」

 と言ったキャサリンの目が赤かった。

「お前……」

 手のひらで目を拭うと、

「ご……ごめん。辛抱できなくて息を止めてたの。あそこの植物は全部死んでるわ。どれ一つとして生気がなかった。カズトにも分かったでしょ?」

 なんだ、俺は泣いていたのかと思ったぜ。


「生気があったか無かったはよく解からないけど……黒くて丸い不気味なモンがいて気分が悪かったのは確かだし、うめき声も聞こえてた」

「部屋の空気とあの流れる水は自然じゃない」

「そりゃぁ、人工的に育ててるって言ってたから自然ではないと思うけど……」

 キャサリンは激しく首を振る。


「それだけやない。あの黒い生命体はどれ一つとしてまともに言葉を交わさんかった。あれが動物族の目に見えへんていうのが最もマズイで……」


 俺はその言葉で息を飲んだ。

「今は特別な能力でしか見えないけど、そのうち姿を現すってことか?」

「たぶんパニックになるデ」

 キャサリンは真剣な顔で俺を正面から見た。


「サンタナさんの言うとおりや。あいつら植物でも動物でもない。異生物や。何でここにおるのか知らんけど、異質な生命体なんや」


 騒ぎに気付いた小ノ葉が店内から現れた。俺たちの緊迫する表情を察したらしく口早に質問する。

「どうしたの? 何か見たのね?」


「黒コロ丸を見た」


「え? 黒コロ?」

 小ノ葉の丸い目が笑みを返してきたが、それに応える俺とキャサリンは真剣さ。


「ああ。黒くて丸い輪郭のない物だ。でも紛れもなくあれは生きていた」

「地球上の生命体と違う生き物が生まれてるのよ」

 キャサリンの返答に、小ノ葉の表情もみるみる固くなり、

「ゲノム編集で作られた異生物っていうこと?」

 キャサリンはほっそりとした顎を強く前後させる。

「それはまだわからない……でもマナもオドもない淀んだエネルギーを感じたわ。地球生物史上始まって以来の出来事になる」

「となると地球上の遺伝子からは派生しない生物ってこと?」

 小ノ葉は小難しい言葉を並べたくり、俺は相変わらずキョトンとする。


「そんな大げさな。ただの黒くてコロコロしたもんだったぜ」

 まだ事の重要性が認識できていない。


「あほっ! 放っといたら地球の生命体が滅びるんや」

「うそっ!」

「ウソやあるかい! マナとオドのバランスが崩れるんや。動物族も植物族もその中で成り立っとんのや。それが狂ってみぃ……」

 赤い顔して俺を睨むとキャサリンは喚いた。

「なんぼアホでも、こう言うたら解るやろ。空気がなくなったらどうなる? 地球上の生物は全滅や。それと同じことや!」

 やっと俺の息の根が止められたのは言うまでもない。

  

  

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