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「いや~。ごりょんさんが拵えた御御御付は美味しそうでんなー。こんなん毎朝出してもろて、ダンはんも幸せもんやで、いやほんま」
「さすがだねー。ブラジルの人はほめ上手なんだよな、なあ、かあさん?」
「あたしだって、ブラジル語でゴリョンさんなんて呼ばれたことないから、赤面しちゃうわ」
キャサリンはひと言もブラジル言語を使っていない。アレはすべて古典的な大阪の船場言葉なのだ。生駒出身の奴だからこそ習得した話術なのだろう。
「あ。ごりょんさん。ボンのお目覚めでっせ。ワテ……あ。あたしがアシストしまひょか?」
昨日の言いつけだけはかろうじて守っているようだが、あとはもうムチャクチャだった。
「あ。お願いね、キャサリンちゃん。あの子目覚め直後は機嫌が悪いから気を付けてね、あ、そうそう、そのタオル渡してくれる」
「これでっか?」
「そう。それがカズのタオルなの、ありがとうね。キャサリンちゃんってよく気が付くわね」
「まぁ、舘やんとこで仕込まれましたからな」
「タテやん?」
「わあああああ。べらべらしゃべってないで早くタオルをよこせ!」
キャサリンの背後から奪い取り、ついでに奴の腕を引っ張って洗面所へと連れ去った。
「よくも、ベラベラべらべらと……」
言いたいことが喉の奥から先を争って出てくるので、舌がもつれて何も言えない。
「なにゆうてまんねん。ホンマに寝起きは機嫌が悪いんやな」
「ば、バカヤロ。お前のおかげで、とっくに目は覚めたワ」
「そりゃ、よかったでんな」
ずりっ。
ずっこけて危うく後頭部を棚の角にぶつけるとこだった。
「いいか。お前はちょっと喋り過ぎだ。黙ってろ、黙っていたら完璧な美少女なんだ」
「せやけど……口の中に蟲が湧きまへんか?」
「わかない。そんな奴は見たことない」
キャサリンはチューブから練り粉をひねり出して俺の歯ブラシに塗りたくると「ほれ」と寄こし、くだらないことを言う。
「虫歯って、喋らんヤツが湧かすんちゃうの?」
「ちがう。お前のグローバル知識はどこから得てるんだ」
「言語の変換中に誤変換が起きたんやろな……知らんけどな」
自信の無い説明の最後に『知らんけどな』を必ず付けるあたり、完ぺきな関西人だと言えるのがなんか悔しい。
「とにかくそうやって無駄なことをべらべらしゃべるな。正体がバレたらどうすんだ」
「せやけど。ムシが出てきたらどーしまんねん」
見てみたいところだ。
俺は溜め息一つ落としてから、
「わかった。お前の話は俺と小ノ葉が聞いてやる。どうだ? これならムシは湧かんだろ」
キャサリンは渋々という表情でうなずいた。
「しゃあないか、これも任務のためや人間らにバレたら苦労が水の泡やからな」
「昨日からちょくちょく口にするけど、それってどんな任務なんだ」
「おはよう……キャサリンさん」
「あ、コノハちゃん、おはよう。いつも目覚め爽やかね」
「ぬぁっ!」
「なに驚いてるのよ、カズト?」と言ったのはキャサリンだ。
俺は驚愕する。
「何だその豹変ぶり? やればできるじゃねえか」
「任務のためだかんね。あたしだってやればできる子なんだよ」
〔おいおい。いきなりかわゆくなってきたぜ〕
《すげぇ。オレの好みだぁ》
色めき立つ俺の人格たち。ほんとスケベな奴らだぜ。俺も含めてだけど。
そんなキャサリンが爆弾発言をする。
「最近コノハちゃんは下着とか衣服はレプリケートしないのね」
「なんとっ!」
小ノ葉は平然と、
「そうだよ。おかあさんが可愛いのをくれるから、わざわざレプリケートはしないのよ」
「ねえぇ。あたしにもおすそ分けしてくれない。ほら下着持ってなくてさ」
グイッと袖口を広げた胸元から、豊満な丘陵地帯が視界に飛び込む。
「ってぇぇ、谷間を見せるんじゃねえ」
〔うおぉぉ。本物のおっぱいだ〕
《本物かどうかは怪しいぜ。もとはナデシコだからな》
しかしあのポヨンポヨンはたまらんよな。ナデシコのおっぱいってすげえ。
《落ち着け、オレ。言葉がおかしいぞ》
俺の人格はパニック寸前の慌てぶりだが、小ノ葉は落ち着いたもんだ。
「ねぇ。キャサリンさん。任務って何なの?」と小ノ葉に訊かれて、
「そのうち、サンタナさんから連絡が来るわ。あたしがそれを伝える権限はがないの。ごめんね、コノハちゃん」
気の毒そうに片ほうの眉を歪めたあと、
「どふぁぁ。アカン、オナゴに化けるのは3分が精いっぱいや」
と叫んで深呼吸を繰り返した。
ようやく現実に目覚めた俺は、一歩退いて奴をすがめた。
「二分おきに深呼吸して続けりゃいいんだ。クロールで泳ぐみたいなもんさ」
「ねえ、カズト。今度あたしもプールに連れっててよ。コノハちゃんばっかりずるーい」
俺の胸に飛び込むキャサリンを引き剥がし――何だこのいい匂い――ナデシコの香りとつゆ知らず呼気を繰り返してしまう。
「馴れ馴れしくするな。プールは行かん。もう秋だ」
「まだ夏休みは少しあるんだ。連れてってやれよ」
と洗面所のガラス引き戸の陰から親父の顔が覗いていた。
「お、親父。いつからそこに」
俺はうろたえつつ親父の顔色を窺い、親父は俺をギンと睨んだ。
「カズト、女子二人に挟まれてオロオロすんじゃねえ」
グイッと肩から洗面所に入り込むと、俺を外に引き摺り出して耳打ちをする。
「いいか。二人とうまく付き合うのなら公平にやれ。それが男の甲斐性だ。それができねえ奴は手を出すな! ……と、昔にジイさんが言ってた」
この野郎、今のは確実に自分の言葉だ。やっぱ陰でこそこそやってやがるな。
呆れるやら腹が立つやら、複雑な心境の俺をぽいと突き放すと背を向けて居間へ戻りながら、
「いいか、カズト。男は慌てるな。いつもどしりと構えていろ。きゃんきゃん吠えるのは小ぃせえ証拠だ」
自分に言い聞かせるようなことをつぶやいて消えた。
「おとうさん。カッコいいね」と小ノ葉。
「ようできたお人や……」こっちはキャサリン。
「ガールズバーがばれた時のいいわけを練習してんだよ」
と言い捨てるのは俺で、キャサリンへと目を転じた。
「とにかくだ……」
「え? なに?」
「お前の任務がなんだか知らんが、今日バイトの帰りにお前を連れて吉沢研究所へ行くから、午後5時半に俺んちの前で落ち合うぞ」
「わかったわ、カズト。約束する」
小さく肩を落とす俺。
「あのな。カズトと呼び捨てにするな。すげぇ深い仲に聞こえるんだ。小ノ葉でさえそんな呼び方はしないぞ」
「なんでや! カズトはカズトやろ。人間界の掟なんか知るかい!」
どしっと肩が重くなるのを感じたが、
「勝手にしろ」
と言い切ったのは、さっきの親父の言葉が頭の中でリフレインするからだ。
なんかやりにくくなってきたぜ。
いつもは美味いお袋の味噌汁がなんだか苦かった。