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さてどうするべきか……。小ノ葉を家に連れて来た時も、親父をだまくらかすのにずいぶん苦労したんだ。
〔同じ手でいいんじゃね?〕
《だなー》
いや。ここは慎重になったほうがいい。
〔だよなー。小ノ葉でひどい目に遭ってるからな〕
小ノ葉の場合は、俺ん家の遠い親戚で、ブラジルに移民した叔父さんだか叔母さんの娘ってことで、我が家では落ち着いたのに、どういうワケか世間では事情が異なったのだ。噂は面白くするほど広まるという事実を再確認する結果となった。それも信じられないほどのひどい尾ひれが付いたのだ。最終的にその遠い親戚の娘を俺が孕ませ、すでに小ノ葉の腹は三か月だと囁かれている。
なー。とんでもない話だろ?
風評被害は拡大する一方で、二学期になって学校へ行くのが恐ろしい。発信源がキヨッペのお袋さんだから、たぶん校長の耳にまで伝わるのも時間の問題だ。
その後のことはどうなるか考えないでも分かる。俺は校長に呼び出され、運動部の連中からは吊し上げを食らうだろうな。まあ、運動部の奴らは返り討ちにしてやるけどな。
こんな経緯だからあまりうかつなことは言わないほうがいいと思う。
〔それならどうやって目の前の暗礁を避けるんだよ?〕
「そうだな……」
「あたしが住んでいた村の近所にいた子なのよ」
言葉を選びつつ語ろうとする俺の前で、咄嗟に言いだしたのは小ノ葉。言われたキャサリンは丸くつぶらな瞳を大きく剥いて、
「へ?」
「へ、じゃねえ!」
俺は、キャサリンの可愛らしい顔に穴が開くぐらいの眼力で睨みつけてやった。
「なに怖い顔してんのよ、カズ」とはお袋で、
「そ、そうなの。コノハちゃんとは幼なじみなんです。おとーさま」
ケツがモゾモゾするようなオンナことばをキャサリンがぶっ放した。
「んげーっ。お前やめろ。無理して女言葉を遣うな。身体からミミズがはい出てきそうだぞ」
「んげーっ、ワテかてや。やっぱ性にあわん、死にそうや。スンマヘンなー。ダンはん(旦那さん)、ごりょんはん(奥さん)。ワテはコノハはんの隣村から来たキャサリン・ジャスティーノと言うモンだす。そこではこの言葉遣いでふつうでしたんや」
と行った後、小声で。
「イコマちゅうトコでっけどな」
「イコマって、あの生駒か。八尾の少し北にある……」
「おー。さすがはダンはんや。詳しいでんな」
「ぐわぁぁあーちがう! ブラジルだぞ、ブラジル。そうサンパウロから南へ500キロ行った辺りにあるイコマーって言う町さ、な? そうだろ?」
俺は電光石火の勢いで二人の会話に飛び込み、親父は目玉を点にする。
「エライ詳しいじゃねえか」
「大阪生駒の人たちが移民した先の村なんだ。だから村人全員がこの口調なワケさ」
お袋はパンっと手の平を打ち鳴らす。
「あ。そうよ。なんかなじみやすいと思ったら、立花家具のオヤジさんと同じ喋り口調なのよ」
やっと気づきやがったか、だいぶニブイな。
「そう言えば、家具屋のオヤジもあっち方面の出身だと言ってたな」
どうやら何とかなりそうだ。
「そういうことさ、親父。キャサリン・ジャスティーノには生駒の血が流れてるんだよ」
親父は納得半分、不審半分で、
「ジャスティーノ……どこにも和名が付いてないんだな」
「そうね。小ノ葉ちゃんは『チィー・小ノ葉』でしょ。ちゃんと和名が残ってるのにね」
小ノ葉の名前はそんなもんじゃないが、お袋たちには『チー』の部分の発音ができない。
「和名はありまっせ。正確には『キャサリン・ジャスティーノ・撫子』でんがな」
デンガナ……って。
「おほぉ~、撫子ちゃんかぁ……」
溜め息混ざりのお袋と親父は互いに遠くを見る目になり、
「まさにナデシコだな。優しげでいて可憐。淡い色の花びらが風に揺れて……」
「うんうん。草原に咲いたナデシコちゃんね」
「そよそよ。ぷよんぷよん……」
こ、こら。わざと胸を揺らすな、キャサリン。
親父はパッと目を見開くと茶箪笥を開けてグラスを五つ取り出した。
「よし、乾杯だ。ビールだ、ビール。かあさん、ナデシコちゃんの歓迎会をやろう、何かうまいもんを並べてくれ」
「あいよ! 小ノ葉ちゃん、手伝って」
「うん、いいよ。たくさん作ろうね」
盛り上がる三人をすがめる俺。
「また始めやがったぜ、お祭り夫婦め……小ノ葉の時と全く同じじゃねえか」
親父はワサワサと落ち着きのない様子で、倉庫から椅子を探してきて丁寧に雑巾で拭きはじめた。
「さぁ、お嬢ちゃん。会場のセッティングは完了だ。あんたはここに座ってくれ」
キャサリンがおとなしく座わったのを見届けると、今度は食器を並べ、箸をそろえ、醤油とソースのビンをテーブルのど真ん中に据え置きと、普段ではあり得ない動きを披露して俺を呆気に取らせていた。
「ジャスティ―ヌちゃんは何が好きなの? 何でも作るから行ってごらんなさい?」
「おかあさんが作る物は何でもおいしいんだよ。たくさんあるし」とは小ノ葉。
「ごりょんさん。キャサリンと呼んでくれはってよろしおますデ。それより……」
とナデシコ野郎は綺麗なうなじを伸ばして台所を覗き込み、
「物を食べたことないから、好みっちゅうてもな……」
「食べたことがない?」
テレビへ向けていた親父の視線が、キャサリンに転じる。
「あ、あ、あのさ。日本食は食べたことがないと言う意味だよ。だってブラジルの人は毎日カレーだというじゃないか」
おたおたするのは俺で、
「ああ、そうだな。カレーばかりじゃ飽きてるだろう。そうだ、刺身を食わせてやろう。大輔の店行きゃぁきっといいもんがあるぞ」
行って来るとも言わず、ガバッと立ち上がったら一目散だ。下駄の音も高らかに商店街を駆けて行った。
キャサリンは、その後ろ姿を呆れたように見つめてつぶやく。
「カズトんちの家族はアホばっかりやな。カレーを食うとるんはインド人やろ」
くるりと俺に向き直ると、ぽつりとつけ足した。
「知らんけどな……」
知らんかったら言うな。
行きつく間もない展開に踊らされて、俺は肝心のことを訊くのをすっかり忘れていた。
「おい、キャサリン。いつまでその格好してんだ」
「何が?」
「少女の格好してる時間だよ。夜中の12時までか?」
「アホか。シンデレラちゃうっちゅねん」
「ばーか。魔法が切れて元に戻るのはガラスの靴のほうだよ」
「オマはん……ほん、まっ、アホやな」
心の底から言うな。
「なんでー。シンデレラってそういう話だろ?」
「魔法が解けて元に戻るんは、かぼちゃの馬車のほうや」
「……あ。そうだっけ?」
「それとな、妖精化はたとえ話しや、これはなマナパワーを使った正真正銘の実体化なんや」
「小ノ葉の能力みたいなもんか?」
「そこは……まだ説明する時期とちゃう」
「意味ありげなことを言う奴だな。何だよ時期って?」
「ま、そのうちお達しが来る。それまでワテは少女の姿を楽しませてもらいまっせ。おおぉ、気色エエおっぱいやー、どやカズト、触ってみるか?」
事もあろうことか、キャサリンは自分の胸を鷲掴みにして、まるで白桃でも差し出すような仕草をした。
〔すっげぇ、柔かそうだぜ……〕
出しかけた手を急いでひっこめ、
「ば、バカヤロ。女の子はそんことしないんだ。やめろ。痛い奴だと思われるぞ」
「そうでっか? アンちゃんはしょっちゅうやっとるって、京子はんがゆうとったで」
「京子?」
「もう忘れたんかいな。舘やんが小ノ葉ちゃんにって進呈した鉢植えの京ナデシコや。オマはんそのまま酒屋のボンの家に置いてきたヤロ」
「置いていたんじゃない。あいつらまで家に来たら収拾がつかなくなるからキヨッペにあげたんだ」
「せっしょ(殺生)なヤツやで。せっかく仲間との再会をおじゃんにしよって……。その京子はんがゆうとった。アンちゃんはいっつも自分の胸を鷲掴みにしとるって」
「あれは、引っ込めようとして無駄な努力をしてるだけだ。逆に余計に大きくなってる……ってぇぇぇえ! 違うだろ、話を逸らすな。お前はいつまでこの家にいるつもりなんだ」
「しつこいなー。ワテの任務が完了するまでや。それまではやっかいになりまっせ」
「なにが任務だ。大げさなことを言うな! 飯食ったら出てけよ」
「いやや!」
「なにをーっ!」
今にもキャサリンの首を閉めそうな勢いで立ち上がった俺の肩がグイッと引かれて、
「おー。なんだお前ら、まだ仲直りしてないのかよ。原因は何だ? どうせお前のことだ。小ノ葉ちゃんがいながらキャサリンちゃんにも手を出したんんだろ。しょーがねえよな。これも爺さんの隔世遺伝だろな」
勝手に俺の人格を覆しやがって、だいたいそんなものが遺伝するのか? 自分のことを棚に上げて、よくもしゃあしゃあと言えたもんだ。
「しょうがねえなあ。こうなったら、お前もドンと構えてジイさんと同じ道を歩め」
「同じ道?」
「両方と上手くつき合うんだよ。それが男の甲斐性と言うもんだ。ジイさんはその道のプロだったからな」
「そんなプロあるかよ」
「それより……」
親父は台所へ半身を捻り、中へと告げる。
「大輔がヒラメの半身をくれたぜ。かあさん、刺身に切れるか?」
「できるよー。そこに置いといて」
「かあさんは器用だからな。なんだってできる。それとついでにケンちゃんの店に寄ったらクシカツくれた。杏が拵えたヤツだ。揚げ加減は間違いないはずだぜ。それと後でアキちゃんが来るって言ってたぜ」
「おほぉー。そりゃ美味そうや。あそこのごりょんはんもせやけど、アンちゃんはホンマ料理が上手いからな」
「お、キャサリンちゃんは、酒屋のことまで知ってんのか」
「へぇ~へ。あっちにも仲間が潜入しとりまっからな」
「潜入……?」
「どぉぁぁぁぁ。ブラジル人のたわごとだ、気にするな親父」
俺は急いで親父とキャサリンを引き離し、あとで様子を見に来るというキヨッペのオバさんを阻止するべく、続いてキヨッペに電話する。
「……そんなワケだから、お袋さんには来ないように言ってくれ、それで明日、また相談しに行くから」
SF好きのキヨッペが小躍りして喜んだ様子が伝わる口調が胸に重くのしかかる。
あいつが喜ぶ題材は、俺には荷が重いことばかりなんだ。