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感電したように飛び上がった俺の肩口から、声を掛けてきたのは。
「あれ? お前、カズトじゃねえか?」
ウチのオヤジだった。慌てて小ノ葉を背に隠す。
「だーーぁ! な……なんだよ、親父」
「アーケードの隅っこで小ノ葉ちゃんと何してんだ。怪しいことするんなら家でやれ。そのためのダブルベッドだろ?」
「ってぇぇぇ! でかい声で変なこと言うな。通行人がこっち見てるだろ」
「なんだ。カズ。見られて悪いことをやってんのかよ。コンビニにたむろする連中よりハズいな」
「見られて悪い事なんか……」
と口に出してから小ノ葉を窺うと、腕の先がまだスライム状態だった。
「こ、小ノ葉、いいから早く手を戻せ!」
背後にはささやき、親父には必死の言い訳をする。
「あ。いやな。小銭を落してしまってさ。それで探してんだ」
「いくら?」
「え? あ。あの10円……」
〔もっと高額言えよ〕
天使がつぶやいたとおり、
「ガキかよ……そんな補助貨幣一枚で慌てるほど切羽詰ってんのか?」
「あ……いや。そうでもないけど」
「ならいい……」
いとも軽々しく返事をすると親父は背を丸めて、まるで気配を消すかのごとくこの場を去った。
拭い切れない不審な振る舞いをする親父の背を目で追い掛ける。
「何が言いたかったんだ?」
と漏らす俺に、
「ねえ、イッチ? おとうさんどこ行ったの?」
釈然としないのは小ノ葉。
「あの挙動不審な感じは、たぶん駅前にオープンしたガールズバーだな」
「がーるずばぁ?」
疑問符を打ち上げてから俺の肩に手を触れる。情報は俺の頭から小ノ葉へと筒抜けに。
「あっバカ」
急いでその手のひらから逃れるが遅かった。
「エッチ……」
小ノ葉はひと言で片付けて、シャッターが半分閉まった電気店に飛び込んだ。
この能力は便利でいて不便なとこがあるよな。
《だなー》
〔ちゅうか、お袋にバレたら血の雨が降るぜ〕
小ノ葉にクギを刺しておかないと平気で言いつけるぞ。
《マジ降るよな》
急いで家に上がるとお袋は店内を掃除中で、小ノ葉は居間のテーブルで頭を抱え込んでいた。
「どうした。ガールズバーがそんなにショックだったのか?」
ヤツは明るい笑顔に戻して俺に接する。
「今さら驚かないよ。オトコってそんなもんでしょ。アンズちゃんも言ってたもん。目から真実を得るのが男で、オンナは耳から得るんだって」
「子どもだと思ってたけど、あいつ、えらい哲学的なことを言うんだな。それならお前は何を悩んでんだよ?」
「あのね。さっきの可視化した映像だけどさ。あの女の子がすごく気になるの……」
「気になる? 何が?」
「うん。マナの波動は眼で視るモノではないって言ったでしょ?」
「ああ。植物族は視覚器官が無いからな」
「そうなの。だから可視化できたといってもあたしの視覚細胞には反応しないで脳の中で直接カタチ作られるの。でさ……う~ん。それを言葉でうまく説明できない……とにかく気になるのよ」
「杏が小難しいことを言って俺を驚かせた以上に意味不明だな。なにがどう気になるんだ? 行動か? それとも存在自体?」
小ノ葉は苦しげに体をよじり思案するものの、答えを出せないようだ。
『気になるっちゅうのは、かかわりとちゃいまっか?』
横から口を出したのは、テレビの横に置かれていた例のナデシコだ。
『ナデシコで片付けんといてえな。ワテの名はキャサリンやっちゅうとるやろ。まだ覚えられへんのかいな。アッタマ悪いガキやなほんま』
「テメエは口の悪い花だな」
小ノ葉はいがみ合う俺たちには気にもかけず、
「かかわりってなに?」
『つながりや。根っこやがな』
「俺たち動物族には根はない」
『オマエが言う根っちゅうのは単純に見たままのことをイメージしてるやろ。なんべんもゆうてるやろ。ワテらの根は触覚神経であり、視覚神経でもあるねん』
「根の無い奴がよく言うぜ」
『せや。ワテには根が無い。根無しや……ほっとけや! よりどころの無い生活を選んだのはある目的があってのことや』
「自分で言っといて、なに怒ってんだよ。何だよその目的って?」
『あわわわわ。しもた……』
「なに慌ててんだよ?」
『何でもおまへん……』
ナデシコはプイと横を向いて、
『夕方のニュースが始まるワ。テレビつけてーな』
話を逸らそうとする感がありありだった。
「お前の目的なんか、俺には興味ねえよ。どうせ咲き頃になったところを店長に摘み取られただけのことだろ? 大げさに言うなよ」
テレビに向かうナデシコを半ば呆れて見ていたが、小ノ葉の困惑を解くにはこいつの協力が不可欠だと思い直し、
「おい。キャサリン……」
『なんでっか?』
しかし名前と口調がアンバランスなヤツだな。
「お前さー。キャサリンって言う名前をやめて、甚六とか、甚兵衛とかに改名しない?」
『なんで上方落語の登場人物みたいな名前にしなあかんねん。だいいちそれって男の名前やんか。失礼するで、ホンマ』
「ほんまって……」
『ほんで何やの? ワテはテレビ見るのに忙しいんや』
「テレビって。小ノ葉に点けさせたのはいいが、見えてんのかよ。根っこねえんだろ? お前」
『アホか。根の部分はタテやんとこのガーデンにちゃんと保護されとる。来年のために新たな芽を出す準備もしとんのや。根っこさえ無事やったら茎から上がどこに行こうが関係ない。ちゃんと量子もつれでつながっとんや。おかげで、日々ワークハードやで。いやホンマ』
「花が英語使うな」
『ほっとけや』
「くっ……」
《ここは我慢だぜ》
そうだな。いがみ合うのよそう。
「……あのな。聞きたいことがあるんだ、キャサリンさん」
『ほぉ。殊勝な態度やがな。ええで。何でも聞いてや』
「小ノ葉が過去の出来事を調べていたら、店長の言う女子が見えそうで見えないって言うんだ。なんとか鮮明に見る方法はないかな?」
『かかわりが気になるちゅう女子かいな。なんでそこまでして過去の女の子を見たいんよ?』
「ヒカルちゃんを知ってるだろ?」
『知ってまっせ。フユサンゴやろ? 今年発芽したばかりの新人さんや』
「そうなんだ。その子に好きな子ができたんだけど、それが人間だっちゅうから大笑いさ」
『笑わんといて。ヒカルちゃんは真剣なんやろ?』
「え? ああ」
なんか俺が悪いみたくなってね?
『恋に生物間の隔たりはないっちゅう話や』
「あのね。あたしたちはヒカルちゃんを買って帰った人が知りたいの」
おふくろの真似をして俺にお茶を淹れてくれようとする小ノ葉だが。
「お前ね。急須を使えよ、きゅうす」
「きゅううす?」
「う、が一つ多い。きゅうすだ、急須」
茶葉が山盛りに入ったドンブリ鉢を取り上げて、口が長く突き出た急須を渡す。
「どれだけ葉っぱを入れるんだよ……。ほら、これが急須だ」
「おもしろいカタチ……」
急須と似た口先にして見せるその姿がやけに色っぽくて、しばし鑑賞。そのあいだに小ノ葉は急須にお茶の葉を入れていた。ナデシコはその一連の動作をぼんやり見つめていたが、おもむろに質問。
『時間って何やと思う?』
「え? 急になんだよ。難しい質問だな。えーっと。過去から現在、現在から未来へ流れるもの……かな?」
『視覚に頼っとる人類の答えならそんなもんや』
「何だよ偉そうに……」
『植物に視覚細胞が無いのは何でやと思う?』
「知らねー」
『アホたれが……』
重々しく葉っぱを垂れさがらせて、ナデシコは言う。
『あんな、教えといたろ。時間ちゅうのは過去から現在、未来にいたるまですべてが同一面に存在しとるもんなんや。よう聞けよ。動物にとって空間内は、まあ距離にもよるけど自由にどこでも行けるやろ。もし重力が無ければ右も左も上も下も同じや。これが同一面上の空間ちゅう意味や。ほんで時間も同じこと。過去も現代も未来もどこでも自由に行けるもんなんや。でも悲しいかな3次元の生き物はそれがでけへんようになっとる。ところがや。マナの波動は三次元を越えることができる。せやから上手く利用すれば過去も未来も自由に見ることができる。これはアインシュタイン博士も似たようなことをゆうとるんやデ』
「長々と喋りやがったなコイツ……にしてもお前からその博士の名を告げられるとは……」
『アホか。植物族に視覚がいらん理由を説いたったんやろ。つまりや。植物族は時間の波を感知して周りを視とるんや。だから視力の良し悪しは距離やない。過去から未来までどのへんまで視られるかや」
とさんざん言っておいてから、
『はい。授業料はタテやんとこの高級肥料でエエワ。1個500円のヤツな』
「え~。カネとんの?」
『あっ当たり前やろ。きょうび何でも銭や。まあ日本の貨幣をもろても嬉しないよってにな、対価を肥料にしといたったんやで』
「わかったよ。明日店長に言ってもらって来るよ」
『ここに持ってきてもアカンで。ワテの根のあるとこに埋めてや』
「お前の根っこががどこにいあるか知らねーもん」
『あほか! そこらの誰かに訊いたら教えてくれるワ。何のために植物族とコミュニケーションとっとんや。アホちゃうか』
アホ、あほ言うな。バーカ。
ひとまず高級肥料を明日の夕刻までに届けることを約束させられて……って。なんだか腑に落ちないが話は続く。
「じゃあ。小ノ葉が可視化した映像ってのもその類なのか?」
『せやろな。昨日の光景を感じるちゅうてんのやろ?』
「ああ。そうだ」
『やっぱりコノハはんは別格やな。ワテらの救世主になるお方やで』
「救世主……?」
「あわわわ。言いそこ間違いや。きゅう……急成長って言おうとしたんや。忘れておくれやす」
何慌ててんだこいつ。
「でも肝心部分が解らないらしいんだ。なんとかもう少し能力を上げる方法はないのかな?」
『コノハはんの可視化能力を増幅させたいんなら、大きな根をがっしりと地面に広げてる連中の模写をしたらええねん』
「模写?」と俺は首はひねり、
「実体化のことでしょ?」小ノ葉は納得。
『せやがな。その複製能力や。このあいだ酒屋の息子がゆうとったやろ。完璧な物質化やって。あんたの複製能力はただの物まねとちゃうやん。その物の本質までコピーできるんやろ。ほんま、エライ人やで。たぶん世界でたった一人の人間やろな』
人間じゃねーし。
「でも小ノ葉の特殊能力をちゃんと見極めてやがるな」
「あたしはなんだか実感ないな」
「いや。でも明らかに俺たち日本人とは違う」
「あたしも日本人だよ……こことは違うけどね」
「だいぶ違うみたいだぜ」
そんな話はこの際どうでもいい。ヒカルちゃんを買って帰った子を特定して、なんとか取り戻したい。このままだと夢見が悪そうだ。
そのためには……今ナデシコが言ったことを実践してみるしかない。
《この辺りでしっかり根を張った樹木と言えば……》
思案する悪魔に、
〔バイト先のガーデンは?〕
あそこは花屋さんだから大きな樹木は扱ってないんだ。あの偉そうなバナナの木とかに訊くのもしゃくに障るしな。
「なら、駅前の野々村さんに訊こうよ。あたし知り合いだし」
「野々村さんと知り合い? お前、こっちの世界に知り合いがいるのか?」
「公園のイチョウさんだよ。野々村さん。こっちの世界を色々教えてくれた木よ」
あんまりそのことを人前で告らないでほしいものだな。
ということで次の日。野々村さんに会うために公園へと向かう。
小ノ葉がこっちの世界へ迷い込んだ時に最初にお世話になったイチョウの木だそうだ。
今から思えば、野々村さんは子供頃からキヨッペとよく登って遊んだイチョウの木で、園内の中で最も大木となって、落とす大きな影は夏の日差しから逃げるのにとても重宝する。
「まだ誰もいないな」
そう、イチョウの木と会話をするのを人に見られないようにと、早朝を選んだのだ。
公園に一歩入りこんで見上げる。
イチョウの木まで、まだ数百メートルはあるのに、
『どうしたカズト? 今朝はいちだんと早いではないか?』
『また悪さしに来たじゃねえのか』
地面を揺るがす波動が二つ、俺たちに伝わってきた。
最初に声をかけてきたのが野々村さんで、後を続けてきたのが野川さんだ。
公園の南側一帯はイチョウの木がずらっと並んで、ちょっとした森林を形成している。イチョウは他にも野坂さんや野上さん、野沢さん、野口さんなど、『野』系一族が植わっており、一斉に葉むらをこちらにひねったのが見て取れた。
遠くに茂るイチョウ群へ胸を張って言い返す。
「うっせーな。俺はもう高校生だ。いつまでもガキ扱いすんなよ」
『はぁーっ! オレたちから見れば、お前などいつまでたってもガキだぜ』
今のは野川さんだな。この中で最も口が悪い。
『昔みたいに登って遊んでいけば?』
優し気な女性言葉を使うのは野沢さん。毎年秋になるとたくさんの実を落としてくれるので近所の人が喜んでいる。
「だからガキじゃねえって。あのな今日は野々村さんに用があってきたんだ」
『ワシを指名するのか? なんだカズト?』
「あのな。小ノ葉のことは知ってるよな?」
『姫さまのことはお前よりも詳しいはずじゃ』
「くそ。俺は『ガキ』で小ノ葉は『姫様』かよ」
面倒くさくなってきたので、小ノ葉の背を押す。
「お前から聞いてくれ。俺がしゃべると話が長くなる」
公園の木々からこんなにも絡まれるとは思ってもみなかった。
『絡むと言うな。それだけ親しまれておるんじゃ』
野々村さんはそう言うと大きく茂った葉をがさがさと揺らし、
『それからなぜ今日ここに来たのかも伝わっておる。時をさかのぼりたいのじゃろ?』
「すげぇな。お見通しなんだ」
『当たり前じゃねえか。キャサリンが放出するマナは人一倍強ぇからな』
キャサリンは人じゃねえって、ナデシコだ。
「それよりあいつってそんなにすごい奴なのか?」
『そらそうさ。サンタナさんの部下なんだから……』
『こら! それぐらいにしておけ。情報漏洩で処罰されるぞ」
いきなりイチョウの木ががさがさと揺れ動き、野川さんの言葉を遮った。
『おっといけねえ。今の言葉忘れてくれよな』
「忘れるも何も……最初から何もわかってねえよ」
ここんとこちょくちょく出てくるサンタナって、マナのパワーが尋常じゃない奴だろ?
《その部下があいつってか?》
〔なんかこいつら隠してるよな〕
そのうち対面すんじゃね?
俺の人格たちはワイのワイの大騒ぎさ。
『それよりカズト、今回は過去にさかのぼる必要はなさそうじゃ』
今回?
《次回があるのか?》とは悪魔的俺の人格。
『ウダウダ言うな。ほれっ、待ち人が来たぞ』
「へ?」
「えっ?」
小ノ葉とそろって振り返った。
やって来るのは奈々子ちゃん。
「よっ。奈々子ちゃん」
「おはよー。奈々子ちゃん」
「あ。イッチさんと小ノ葉さん。おはようございます」
やっぱ育ちのいい子は挨拶が違う。これが杏なら『チィーっす』か『おっは』だろな。
「今日はバイト休みですか?」
清々しい夏の朝をさらに清澄な空気にしてくれそうな声。奈々子ちゃんは白いビニール袋に重たげな何かを入れてぶら下げていた。
「今日はちょっと野暮用があってね。バイトは昼からにしてもらったんだ」
それよりもだ。
「まだ8時前だぜ。こんなに朝早くからどうした? 奈々子ちゃん」
「わたしは……」
鈴を鳴らすような奈々子ちゃんの声に混じって、
『ねえ。おニイちゃん。アタイどこ連れて行かれるのかな?』
声の出元は奈々子ちゃんがぶら下げるビニール袋の中だった。
「お、お前……ヒカルちゃんか?」
『うん。そうや』
「よかった。探してたんだぜ」
「これ探してたんですか?」
とビニール袋を持ち上げて見せたのは奈々子ちゃん。俺は中の物体を指差して訊く。
「このフユサンゴは店にあったヤツだ。いったいどうしたの?」
「へぇ。さすがお花屋さんでバイトしているだけありますね。フユサンゴだというだけでなく。あのお店にあった事まで分かっちゃうんですか? すごい」
ビニール袋の中で、ヒカルちゃんは何か言いたげに赤い実と橙色の実をもたげて見せた。もちろんそれに気付いたのは俺と小ノ葉だけだ。
「これね。あんまりかわいいので昨日買っちゃったんです。ほら丸い実がかわいらしいでしょ。こんなに小さいのに、これって立派な木なんですって」
「そっか。買って帰った女の子って奈々子ちゃんだったのか……」
ほっと吐息する小ノ葉と、納得して手を打ち鳴らす俺。
「なるほど。ナデシコの言った、かかわりってこのことか……なるほどね。全然無関係ってわけじゃなかったんだ」
「はい?」
サラサラの黒髪を風に揺らして奈々子ちゃんは小首を傾け、
「かかわりって何ですか?」
「あ。いやこっちのこと」とは俺で、
「……ことね」小ノ葉も半笑い。指先を左右に振ってその場をいなした。
さて問題はここからだな。
《だな》
〔でも、全く知らない人じゃないから気は楽だぜ〕
《だな》
「あのさ……奈々子ちゃん。そのフユサンゴなんだけどさ」
「これね。アンズちゃんにあげようと思って持って来たんです」
「なぬっ!?」
「ええーっ!」
「どっ、どうしたんですか?」
驚愕する俺たちの様子を見て半歩下がったのは奈々子ちゃん。
「ど、どうもこうもないっさ」
「あーよかった。何も心配することなかったんだ」
『どーしたん? ねぇ。ウチこれからどうなるの?』
不安げに揺れる木の実へと告げてやる。
「安心しな、ヒカルちゃん。ハッピーエンドだ」
安堵するやら気落ちするやら、俺と小ノ葉は奈々子ちゃんの前で小躍り寸前。反対に奈々子ちゃんは凝固。
「お……お二人とも、大丈夫ですか?」
「だいじょうぶ、大丈夫」
狂喜乱舞の俺と小ノ葉、そして唖然とする奈々子ちゃん。
そこへ――。
「こんなとこで何やってんだ、アニキと小ノ葉ねーちゃん?」
現れたのは、この話の主である杏だ。
「このやろー、男前なヤツだなオメエはよー。にくいぜ、アン」
「いまさら何言いやがる。オレはオトコだ。それよりアニキと小ノ葉ねえーちゃんは何してんだ?」
「イチョウの野々村さんに用があって……」と口を挟む小ノ葉。
「イチョウの野々村さん?」杏が首をひねり、
「あわぁーっと」
俺は小ノ葉の前へと割って入る。
「言い間違いだ、日本語はむずかしいよな……俺たちはだな。イチョウの木のある野々村さん家へ行こうとしてたとこだ」
「そんな家あったかな?」
「あるのー」
訝しげに俺の背後に広がるイチョウの木々を見遣るので、急いで遮ってやった。
「なんでオレの前に立つんだよ、イッちゃん?」
「いいから、奈々子ちゃんの話を聞け」
しつこく俺の後ろを窺う杏の肩を掴んで、無理やり奈々子ちゃんと対面させる。
「あの。アンズちゃん?」
「なんだよ?」
「あのね。これ……。このあいだ駄菓子屋さんであたしを守ってくれたお礼。はい……アンズちゃんへ」
とヒカルちゃんをビニール袋から抜き出して捧げた。
「これって……?」
「はい。大事にしてね。あたしからのプレゼント」
「オレに?」
「恭平さんからお花を貰った時に聞いたの。花を選んでくれたのはアンズちゃんだって。だから嬉しくって、あたしも何かお返しがしたくてフェアリーテールさんに寄ってみ見たら。こんな可愛くて元気のいい実のなる木があるなんて。見た瞬間にアンズちゃんにぴったりだと思ったの」
「見る目があるじゃないか、奈々子ちゃん」
「それなら、にいやんにあげろよ」
「ううん。このフユサンゴはアンズちゃんにぴったりなの。恭平さんには別の物でお返しするから。これはアンズちゃんが受け取って」
「だってよぉ……」
渋る杏の後押しをする。
「奈々子ちゃんがそう言ってんだ。アン。喜んでもらっておけよ。そうすれば何もかもうまくいくんだ」
「何もかも?」
怪訝に俺を見つめる丸い目が二つ。だがすぐに笑顔に戻し、
「そういうもんかな?」
杏は白い花が咲いたように顔をほころばし、これまでにない笑顔を奈々子ちゃんに注いだ。
「わかった。オレ、枯らさないよ」
「よかったな、ヒカルちゃん。アンズの手元に着いたぞ」
「はぁ? さっきからヒカルちゃん、ヒカルちゃんって、いったい誰だよ、アニキ? ここにいるのは奈々子と小ノ葉ねえちゃんだけだぞ」
「気にすんな。世の中広いようで狭いっちゅうことだ。な? ヒカルちゃん」
『うん。おおきにな。お兄ちゃん』
よく見ると、夏の陽を受けてそよぐ葉っぱの根元で、白い花が元気に開いていた。これでまた一つ赤い実が増える。
「フユサンゴは赤い実が命だもんな」
「そっ。あたしはイッチが命なの」
「お、おい。こそばかゆくなるようなこと言うな」
「いいじゃない」
「奈々子。今日も暑くなるぜ」
杏は片手でフユサンゴの鉢植えを抱え、奈々子ちゃんと手を繋いでイチョウの木の下へ移動。
青空の下。風に吹かれたイチョウの葉が楽しげに舞っていた。