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大変遅くなって申し訳ありませんでした。
「ヒカルちゃん?」
地面から一段高い位置に設置された木製の棚にフユサンゴの鉢植えが5個並んでいた。どれも同じぐらいの数の色鮮やかな実を付けていて、どれがヒカルちゃんだか、返事がないと区別がつかない。
『ヒカルちゃんならおらしまへんで』
と答えたのは最も端に載っていたフユサンゴの……えーっと。
『大島やがな。憶えといていてぇな』
「一度も聞いてねえって……」
『あんな。端から、大島、児島、都島、北島、川島や』
「なんで一つだけヒカルなんだよ」
『知らんがな。ほなオマエはなんでカミダノミやねん。けったいな名前付けやがって』
「うっせぇ。そんなことは先祖に訊いてくれ」
『ほな、ウチらも先祖に訊いておくれーや』
「あー、ウザい。わかったよ。それでヒカルちゃんはどこ行ったんだ? トイレか?」
『冗談ゆいいな。トイレなんか行かへんワ』
「そんなことマジで言わなくてもいい。冗談に決まってんだろ」
『ヒカルちゃんは買われて行ったデ』
と告げたのは、真ん中のまだ緑濃い実が数個ある、若いフユサンゴだった。
「うそだろっ!」
『ウソなことあるかい。昨日な、閉店間際にお客さんが来て……あ。こら! 人の話は最後まで聞けや……』
怒鳴るフユサンゴの声を振り切って俺は店内へ駆け戻った。
「どうしたんだ、アニキ?」
ベンチに座っていた杏は血相変えて走り抜けようとする俺を訝しげな目で見つつも、後をついて来ようとするので、
「ちょっとわりいな。もうちょっと待っててくれ」
何のことだが理解不能な顔をして、杏はもう一度ベンチに座り直した。
俺は急いでレジのお釣りを計算中の舘林さんを捕まえて尋ねる。
「店長。昨日フユサンゴ売れたんっすか?」
「え? ああ。閉店間際に女の子が買ってたよ」
「どんな子っすか?」
「知らない子だよ。でもお客さんってそんなもんだろ。知り合いばかりに商売はしてないさ。通りすがりの人が気に入って買ってくれるパターンもあるからね」
「あ……すみません。そりゃそーっすよね……」
「何でそんなこと訊くの? あれが欲しかったのかい?」
店長は物言いたげな俺を見つめていたが、
「あそっか。小ノ葉ちゃんのプレゼントだな。ならまだ5つ残ってるから好きなのもって帰れば?」
「あ、いや。我が家には、あの口の悪いナデシコがいますんで……」
「え? ナデシコって口悪いの?」
「もう、何かっていうと人の揚げ足を取って口を挟むし……」
瞬間、深く呼気をした。
「あ……いや。冗談っす」
舘林さんは2秒ほど丸い目を見開いてから瞬いた。
「いいねえ……」
と切り出してから、
「さすが小ノ葉ちゃんのパートナーだ。あははは」
マジでとられなくて助かった。
店長には適当な言いわけをして、俺は杏の下へと戻った。
「わりい。予定変更だ。お前に会わせる女の子がいなくなっちゃった」
「帰ったのかい? ならまた今度でいいよ」
しかし気にかかるのか、杏は一歩足を踏み出してから振り返る。
「でもさ。花屋でオレに会うってダレなんだろな?」
「かわいい子だ」
「パイオツは?」
「しつこいな。お前と一緒でカイデーだ」
杏はさっと自分の胸を抱くようにして隠すと、
「変なこと言うな。オレは、」
「オトコだろ、はいはいわかってるよ。しかし幼稚園の頃は、おニイちゃん、おニイちゃんて言って俺にまとわりついた可愛い女の子だったのに、どうしちまったんだよ」
「今は可愛くねえのかよ!」
「お……おい。ムキになるなよ」
杏の熱い視線にちょっと引きつつ。
「今は……そうだな。成長していくお前を見守る、キヨッペと同じ気持ちだ」
「そんなこと訊いてねえ。可愛いのか可愛くないのかって訊いてんだ」
《おいおい、なんでこいつムキになってんの?》
〔知らねー〕
でもこの怒った感じがいいな。
「安心しろ。お前はいつまで経っても可愛い俺の妹分だ。何かあったら俺が守ってやる」
「う~ん。いまいち腑に落ちないが……ま、いいか。
「事情が分かったらまた連絡するから、待っててくれ。夕方の仕込み手伝うんだろう?」
「そうか。もうそんな時間か……。じゃな、イッちゃん」
あいつは何が言いたかったんだろな?
《知らねー》
それよりも問題はこれからだ。
《どうする? ヒカルちゃん売れちゃったんだぜ》
〔オメエがもたもたしてっからだろ〕
うるさい。自分で自分を責めるな。虚しさ倍増だぞ。
〔じゃあ。どうする?》
《どうするって……》
買って行った客を突き止めて別のと変えてもらうってのはどうだ?
〔でも店長は知らない女の子だって言ってたぜ〕
(ならさ。マナの力を借りたらいいよ)
どうやって?
「〔《うわぁぁっ!》〕」
いきなり俺の頭の中で小ノ葉の声が響いた。見ると俺の肩に添えられたほっそりとした指。そこからテレコミで俺の脳に直接語って来たのだ。
「ばっ、バカ。驚くだろ。ノックぐらいして俺の頭に入って来い」
咎める理由が支離滅裂なのは仕方がない。それぐらい驚いたのだ。
「そっかぁ。ヒカルちゃん可哀そう。今ごろ寂しがってるだろな。あたしもイッチと知り合わなかったら、この異世界で一人ぼっちだったんだもん。ヒカルちゃんの気持ちわかるな」
と言ったあと小ノ葉は商店街の隅へ移動すると、電柱と建物の隙間の前で膝を折ってしゃがみ込んだ。
「こういうときはマナの波動を利用しらいいのよ」
何をやらかすのか俺には見て取れない。キヨッペも口に出していたが、だいたいマナとは何か、誰もまともに説明してくれないのだ。
〔説明しても理解できねえからだよ〕
《そうだよ。ガキんちょに相対性理論を説明するのと同じなんだよ。オレに難しい話をしたって無駄ってみんな知ってからさ》
相対性理論ってなに?
〔ほらな……〕
バカな掛け合いをする俺の人格たちを尻目に、小ノ葉は手のひらを地面の上に当て……ぐいっと。
「なっ! ば、バカやめろ」
俺は急いで辺りを見渡す。幸い誰もいないのでひと呼吸。しかし若い男女が電柱の陰でコソコソする光景はあまりに異質に映る。
「な……何してんだよ。大丈夫か? 元に戻せるか?」
当てた手の先が変形。まるで砂浜に打ち上げられたクラゲだ。四方へグンニャリと広がると地面の中に沁み込んでいったのだ。
取り乱す俺に小ノ葉はにっこりとほほ笑んで。
「慌てないでよ。マナの波動を感じ取ると過去の出来事が探れるの。うまく行けば大地のネットワークに接続できるかもしれないでしょ」
「マナの波動とか大地ネットワークとか……何だよ?」
「あのね。マナの波動は大地を伝わるんだよ。それを繋ぎ合わせているのが大地のネットワークなの」
「ああ、それは棕櫚のオッサンやグランホテルのヤシの木が言っていた。地球上どこまでも植物の根がある限り伝わっていくんだってな」
小ノ葉は腕を地面に突っ込んで目をつむった。見た目はしゃがんで手を下ろした格好だが、じっくり見たらえげつない。肘から先が地面の中に消えており、まるでその中をまさぐって何かを探るかのような仕草。どこから見てもおかしい。誰かに目撃されたら大騒ぎになること間違いなしだ。
「小ノ葉……集中してるところ悪いけど早い目に頼むな」
俺は気もそぞろ。ドキドキしながら辺りを窺い、通行人から小ノ葉の動きが見えないように体でかばってウロウロするだけ。
眉間に力を込めた小ノ葉。流動性生命体の異世界人だと言っても俺たちと同じ体のつくりに変身している時はやはり同じ仕草や振る舞いになるようだ。仕組みについては俺に聞かれても答えられない。スマホのアプリ一つをインストールする事すらできないのだ。だいたいインストールって何だよ。言葉自体理解していない。すべてキヨッペの受け入りさ。って、悪かかったな、ほっとけ。
眉根を寄せて小ノ葉がつぶやく。
「昨日の午後の景色が少し映ってきたわ……お店の前がぼんやり視える」
「過去の景色が見えるって、どういう仕組みなんだろ。何か知らんけどマナってすげえな」
「あたしもよく解からないけど、目や鼻、耳などが無い植物たちはマナを利用して外界からの情報を得るの。その精度はものすごく高くて時間平面の情報まで可視化できるみたいだよ」
「物理の授業みたいに説明すんなよ。カシカってなんだよ?」
「目に見えるように変化するということよ」
「時間平面の情報ってのは?」
向こうの世界では何かの研究者だった小ノ葉の言葉は、時々キヨッペと変わらないほどに難解になる……。
「う~ん。説明が難しいからまたこんどね」
〔ほーら。オメエに説明しても無駄だってよ〕
なんでよ。俺だってキヨッペと同じ脳ミソ持ってんだぜ。
《持ってたって使ってなければだめだ。キヨッペとは鍛錬が違うぜ。オレのは半分筋肉になっちまってんだよ》
うっせい! 悪魔、だーってろ。
「いろんなお客さんが出入りしてるのが薄っすらと視えるわ……あ。髪の長い女の子が出てきた」
「その子じゃないか。手に何を持ってる? 植木鉢ならビンゴだぜ」
小ノ葉はしばらくうんうんと唸っていたが、
「ぷわはぁぁー。だめ息が続かない。ごめんイッチ。あたしの力ではこれが限度みたい」
と派手に深呼吸をして立ちあがった、そこへと訝った声が渡った。
「何やってんだ?」
「うわぁ~お」
まじい。見つかったか?