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次の日――。
公園を通りかかると、杏が数人の男子に囲まれていた。
遠目で見る限り同級生でもないし仲のいい関係でもなさそうで、あきらかに杏は敵意を剥き出しにしていた。
「にゃろー。しつけーぞ、オメエら」
「オトコ女のクセに出しゃばるからだ。オンナは黙って男の言いなりになってりゃいいんだ」
「なんだとこのヤロウ! オメエら性根腐ってやがるな。エラそうに振る舞うな」
「性根が腐ってるのはオマエじゃねえか。オマエはオンナだぜ」
「うっせー。オレはオトコだ。オンナじゃねえ」
おいおい……。
こういう連中の前であまり堂々と宣言してほしくないが、ひとまずその輪の中に俺も入った。
「どうしたんだ、アンズ。こいつらお前の中学のヤンキーグループじゃねえか?」
「あ。アニキ……」
杏をセンターに、輪になっていた5人の男子が一斉に俺へと視線を振った。
「モサイ男連中に囲まれて……。どうだアンズ? 加勢してやろうか?」
「イッチゃんは手を出さないでくれ。これはオレの問題なんだ」
グループの中の一人が俺を指差しながら息巻いた。
「なんだ。大人を呼びやがって。オマエこそ卑怯だぞ」
「ばっきゃろー。呼んだんじゃねえ。たまたま通りかかっただけだ。それにな。オレはこの人の子分だ。子分のケンカに親分は手を出さねえんだ」
「古クセぇ~。親分とか子分とか。オメエは昭和枯れススキかよ」
こいつらも古いことを知ってやがるな。
「何とでも言え。でもな! 親分と子分は契りあってんだぞ」
ちょっとまっちくれ。任侠かぶれもいいが、オマエと契りあってねえって。だいたい男女のあいだで契りあうと言えば、違う意味になんだよ。
この場において赤面したのは俺だけ。中坊連中には意味不明の言葉として残っている。
「まあ、まあ、落ち着け。それより男が5人も集まって女子一人を囲むったぁ、ちょっと卑怯じゃねえか!」
体を斜めにして肩から連中の輪の中にずいっと侵入。ちょっち腕に力を入れて凄んでやった。
ヤンキー連中は砂ぼこりを上げて半歩退いた。そしてその中の一人が囁く。
「オレ。この人知ってるぜ。立花中学のカシラだった後藤田さんをボコッたオジサンだ」
お……オジサンって。
「あのよう。俺ってそんな年じゃねえぞ」
ひとまず釘を刺してから、過去の事情を知っていたガキに向かって言ってやる。
「確かに後藤田の野郎を抑えたのは俺だ。おかげで荒れていた立花中学が平穏になって今の環境が整ったんだ。それをまたお前らが潰そうってのなら。先輩として黙ってられねえぜ」
「後藤田さんて、西立花高校の空手部主将になった人だろ? その人をボコッたのか?」
「へえ。2年後輩にまでその話しが浸透してんのか。そうだぜ、今じゃ空手部主将で、格闘技連合会のリーダーさ。ついでに言っとくが気付けば俺のダチになってた……」
そこで俺の視界に数人の人影が入った。まだ距離はあるがあの集団は見慣れたヤツらだ。
「ちょうどいいや。向こうから噂の人がやって来たぜ」
ざっと身を翻すヤンキー連中の肩越しから、俺は大声で呼び寄せる。
「おーい。後藤田ぁ! 朝練の帰りか? ちょっとこっちに来て挨拶してやってくれよ」
まるで重戦車の隊列のように、粉塵を巻き上げてやって来たのは、ひときわガタイのでかい連中ばかり。
「おう。神祈。こんなとこで何してんだ? あの綺麗なネエチャンは?」
部員が9名、ずらずらと周りを囲むと大きな影が広がった。
「小ノ葉は家で昼めし食ってるさ。俺は店長に頼まれて公園の花に水をやりに来た」
「は――っ! あの神祈が花の水やりだと? 世も末だな」
「うるせえ。生活のためだ、仕方が無いだろ」
「空手部に入ってくれるんなら、オレたちが手伝ってやるぜ」
「ばーか。そんなことしてみろフェアリーテールって言う名前じゃなくなるだろ。ブラックドラゴンとかミッドナイトデビルとか。族じゃねえってんだ。こっちは花屋だぞ」
「くそっ。お前が空手部に入ったら今年の全国大会制覇も夢じゃなかったんだがな……なあ、オマエら?」
「忍ーっす!」
「それよりこんなとこで何やってんだ? 吉沢の妹とデートか? 綺麗なネエチャンにバレたら血の雨が降るぜ」
「ば、バカ。はやとちりすんな。この中坊らがお前の武勇伝を聞きたがってんだよ」
「中坊? どこにいるんだよ?」
「はれ? アンズよ……連中はどこ行った?」
「この人らを見た途端、逃げてったぜ」
まるで初めから俺と杏しかいなかったように、もぬけの殻になっていた。
しかも杏は迷惑げに訴える。
「せっかくオレがカタを付けようとしたのに、ジャマすんなよ。柔道部のオッサンたちよー」
どははは。こんな猛獣に囲まれてんのに、杏のヤツ動じてねえぜ。
「吉沢の妹よ。なんか困ってんならオレたちに相談しな」
と言ってから部員たちへ逆三角形の巨体を振り返らせ。
「来年の柔道部は一味違ったものになる。女子柔道部の誕生になるやも知れねえからな。いかなることがあってもこの少女を死守するんだ。いいな!」
「オース」
「オスじゃねえ。オレはオトコだ! 柔道部に入ったとしても女子柔道部には入らねえ」
全員の目が点になったことは言わずもがなである。
「ま。いいや。お前ぐらいの度胸があればあんなヤンキーなんか、屁ともねえだろ」
と告げた俺に後藤田は返す。
「ヤンキーって、立花中学校のあの連中か?」
「ああ、そうみたいだ。ああいう連中はあとを絶たんからな」
「最近は神祈みたいな男がいねえからな。だいたい今の中坊はナヨナヨした奴か、根性もねえくせにいきがる奴の二種しかいねえもんな」
「その典型例だったお前が言うなよ」
「だははは。ちげえねえ。でもよ。オレはオマエに出会って根性入れ替えられたからな……どわはははは」
ライオンの咆哮にも似た笑い声をぶっ放して、後藤田はこう謳った。
「おう。牛丼屋までダッシュだ。全員たらふく食え。経費は学校から出る」
「マジかよ。俺たちの高校は裕福なんだな」
ところが後藤田はにたりと笑い、指を左右に振った。
「このあいだのニュース見てないのか?」
「ニュース?」
一人の部員がすかさずしゃしゃり出る。
「保険会社の女子寮に忍び込もうとしたチカン野郎をオレたち柔道部がとっ捕まえて駅前交番にしょっ引いて行ったんでさ」
オマエは岡っ引きか。
「駅前って……じゃあ靖さんもビックリしただろな」
後藤田は半笑でうなずく。
「ああ。それで保険会社を通して学校から謝礼金が入ったってワケさ」
と言った後、太い腕を掲げた。
「それっ! ラストスパート、ゴールは商店街出口の牛丼屋だ。行けぇぇぇ!」
「「「「「「おおっ!」」」」」」
まるでロードレースのスタート風景だ。重低音の雄叫びと砂塵をまき散らして部員たちは消えた。
「へへ。飢えた狼だぜ」と柔道部主将がつぶやき。
「捕まったチカンがなんか気の毒だな」とは俺。
後藤田は目の角度をやんわり緩め。
「へっ。この町の治安はオレたちが守る」
「おいおい。靖さんに任せておけよ」
「ダメだ。あの人では心細い。オレたちで何とかする」
「そう言えば、藤木山もそんなこと言ってたな」
「なに? レスリング部もか……こりゃああなどれん」
ヤツはサバンナの猛牛みたいに力強く地面を蹴ると、
「じゃな、神祈。オレも急いで牛丼屋へ行かなきゃ。でないとヤクザの出入りかと思われちまうからな」
「ははは。違いない。早く行ってやれ」
地響きと共に駆けて行くゴリラ並の背中をキラキラした目で見ていた杏は、そのままの熱い眼差しで俺を見た。
「ちぇ。とんだ助っ人が入っちまったなぁ。オレ一人でじゅうぶんだったんだぜ」
「ああ。分かっていたさ。連中を射竦めるお前の目を見た時に勝ったなって思ったぜ。あいつらのはカラ元気だしな」
杏をここまで強くしたのは俺の責任だろうな。
ちょっち自己嫌悪に陥りつつ。
「それより、なんであんな奴らに絡まれてたんだよ?」
杏は地面の上に転がる小石を靴の先で転がしながら語る。
「数日前の話になんだけど。奈々子と駅前の駄菓子屋へ当たり付きアイスを買いに行ったんだ」
「まだ食ってんの? もう夏休みも終わろうかとしてんのに、そろそろ卒業しろよ」
「ほっといてくれよ。当たった時の快感がバッチグーなんだ」
今どきバッチグーって使う?
《もう死語辞典にでも載ってないぜ》
「そしたら近所の小学生の子らも来ててさ、みんなで仲良く並んで、アイスを選んでいたんだ。そしたらよ……」
杏は急激に嫌悪感を剥き出しにした。
「みんな順番に並んでんのに、あの連中がやって来て先頭の小学生を蹴散らして割り込んだんだ」
ギリッと奥歯を噛み締め、愛らしい表情には似合わない怒りを浮き彫りにさせた。
「よくある話だな」
「小学生は怖がって泣いてオレにしがみ付いて来るし……オレさそういうの絶対に許せないタイプだろ?」
「わかるな。俺もその場に居合わせたらひと暴れしてるだろうな」
「だろ? オレもそうさ。噛みついてやったんだ。そしたらこんどはオレや奈々子に手を出してきたんで……」
「奈々子ちゃんに怪我は無かったのか?」
「ああ。髪の毛一本触らせなかった」
俺は奈々子ちゃんの黒く艶のある髪の毛を思い浮かべ、杏は気にせず淡々と語る。
「その代わりに、連中の怒りを買っちまったんだ」
「それで目つけられていたのか……」
今日の青空に負けないほどに澄んだ瞳を俺に向けて決然とうなずく。
「だけど一度も引かなかったぜ」
「それで今日ここで決着を付けようと……」
ふと思いだした。
このところやけに素振りに精を出していたのは、そう言う理由からだ……。
なんだか強い庇護欲が顔をもたげてきた。
「アン……」
「ん?」
「そういう時は俺を頼れ。お前のためなら何でもしてやるからよ」
「なに言ってんだい。こんなもんアニキに頼る案件じゃねえぜ。だってあんな連中に負ける気がしねえもん、オレ」
「むー。百パーセントお前が正しいし、勇気も買うけどさ……だけどあんまりムチャはすんな」
じっと澄んだ目の奥を見て言ってやる。
「ま、今日のことで、もう手を出してこないはずだけど……」
「そりゃぁ、西立花高校の格闘技連合会のリーダーや、それをのしたイッちゃんがバックにいることが分かったんだもんな。オレ……鼻が高ぇぜ」
爽やかに言葉を返す杏の肩に手を添えて俺は説く。
「でもなぁ、アンズ。お前はオンナなんだ。もめごとを腕力で片付けようとしないほうがいいぜ」
「うっせぇ。オレはオトコだ」
はは、言うと思った。
〔おい。昨日こと、言い出すチャンスだぜ〕
《そうそう。フユサンゴだよ》
なるほどいいタイミングだ。
俺は杏の顔を正面から見て、再度確認する。
「アン。いま言い切ったよな。そうか、お前はオトコか……。なら二言はねえよな」
「あ? ああ。二言はねえ。一度出した言葉をひっこめる気はさらさらねえぜ」
「さすがだねぇ。アンズ。カッコいいいぜ」
「えへへ」
にこやかに微笑んで、指で鼻の下を擦る杏に念を押す。
「オトコのアンズくんに頼みがあるんだ」
「おう。何でも言ってくれ、イッちゃんの頼みなら何だって聞いてやる」
「実はな……会ってもらいたい女の子がいるんだ」
「へぇ。パイオツカイデーかい? でないとオレは嫌だぜ」
「パイオツはどうかな。ちゅうか胸はどこにあったかな?」
「えっ?」
「あい、いやこっちの話。じゃあさ。花壇の水やりが終わるまでちょっち待っててくれ」
「ああいいぜ。それよかオレも手伝ってやらー」
杏は心安く俺の仕事に手を出し、自らすすんで公園の蛇口にバケツを運び、水を汲んで来ると花壇にジャバジャバと注ぎだした。
「わりいな、アンズ。おかげですぐ済みそうだ」
てなことをやって小一時間、俺と杏はフェアリーテールへ戻って来た。
店内にいた舘林さんに帰ったことを知らせ、俺は杏を引き連れてガーデンに入る。
「なあ、アニキ。なんでフェアリーテールなんだ? 誰と会わしてくれるんだよ。その子パイオツカイデーか?」
まだ言ってやがんのか……。
「とにかく持って来るからここで待ってろ」
「持って来る? 忘れ物でもしたのかよ?」
首を捻りつつ、自分の背丈よりも伸びたヒマワリを見上げる杏を一人残して、俺はガーデンの奥へと走った。