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店長が宣言した『石ころ100グラム10円買取セール』を真に受けて、植物族からの情報を元に毎日穴を掘り続けた結果、バイト代以外に数千円のボーナスが給料日には支給されるという明るい未来が待つ、そんなこんなのある日の夕方。いつものようにバイト帰り、小ノ葉と吉沢酒店の前まで戻って来た時のこと――。
「やあ。二人ともお疲れさん。バイト終わったの?」
「いい話があるんだよ、アニキ」
ポマードで黒髪をがっしりと固めたキヨッペと、トレードマークとなった半そでポロシャツ、そして短パン姿の杏が、機嫌のいい声で俺たちを呼び止めた。
「兄妹そろって、店の前でなにしてんの?」
「あのさ。小ノ葉ちゃんは泳げんの?」と訊くのはキヨッペ。
「なんだよ唐突に……」
俺も含めて、全員の視線が小ノ葉に集中。
「およげ……?」
小ノ葉は丸い目をクリクリさせ、
「タイヤキ?」
俺は脱力するとともに言い訳をする。
「――わりいな、キヨッペ。親父のせいで古臭い知識だけが増えてな」
キヨッペは苦笑い。杏は理解不能で、ポカン。一拍おいて口を開いた。
「それより見てくれよ、アニキ。酒屋の組合からとうちゃんがもらってきたんだ」
杏が俺をアニキと呼ぶときは、何かしらの願い事がある時なのだ。
ピラピラさせて見せるのは、数枚の紙切れ。それは……。
「プールのチケットじゃないか。それもあのグランホテルだぜ」
「グランホテル?」とは小ノ葉。知らないのは当然だが、
「マジで、あのグランホテルか?」
「そ。あのグランホテルだよ」
キヨッペは額の先に垂れた自分の前髪を弾いてにこりと微笑み、
「な? すっげぇだろ?」
杏も色つやのいい頬をゆっくりもたげてじっと俺の目の内を覗き込んだ。
それに応える。
「高校生が行ってもいいのか?」
「アニキ、一緒に行かねえか? プールだぜ。コノハねえちゃんもパイオツカイデーだし、オトコが黙っちゃいないぞ」
俺は今すぐお前を黙らせたいよ。
「でもまだ給料前だから金がねえんだ」
そう。結構な額が保証されてはいるが、手に入るのはもう少し先なのだ。
「ねえんだ……」
オウム返しをして肩を落とす小の葉をすがめる。すげえ切なくなった。
「お金は電車賃ぐらいだよ」
「行こうぜ、アニキー。な?」
やけに熱く懇願する杏を怪訝に見つめながら。
「だけどよ。高級ホテルだぜ。ランチとか高いぞ。まさか昼飯抜きで泳ぐの? 水泳部の強化合宿みたいでやだな」
我が校の水泳部ではそんなことはしないと思うが……。
「昼飯はオレが弁当拵えてやるからよー。行こうぜ、アニキ。な? な?」
「なして、こいつはこんなに熱いの?」
尋ねる俺にキヨッペが答える。
「受験の合間の休憩なんだよ。この夏休み公園の憂さ晴らし以外どこにも行かず勉強詰めなんだ。だから行かせてあげたい。コノハちゃんも気晴らしなるだろうし。行ってくれないか、イッチ? それと僕もぜひ行きたいんだ」
「そういやあ。お前の目の輝きもいつもと違うよな」
「よく見て。チケットが5枚あるだろ」
意味ありげにキヨッペが杏の握るチケット顎で示した。
「他にも参加者がいるわけだ」
「そ、案山子の奈々子なんだ」
と言って杏がキヨッペの前に割り込み、
「オレとにぃやんと一緒ならオーケーだと奈々子も両親から許可をもらってんだ」
「なんだよ。俺はアンズとコノハのお守り役かよー」
口を尖らせる俺に、キヨッペはすかさず告げる。
「小ノ葉ちゃんの水着姿を想像してごらんよ」
「えっ?」
あー。想像しちまった。ついでに鼻血ブー寸前となった。
《鼻血ぶーって、昭和だぜ。オマエ親父に感化されてんだろ》
悪魔に言われなくても分かってらい。
「でも……小ノ葉は水着なんて持ってねえぞ」
キヨッペは片目を閉じて俺に合図。胸ポケットに入っていたスマホを指し示す。
ようするに、また物質化させようという魂胆だ。
「分子の再構成はやめておいたほうがいいぞ」と言う俺の忠告に、
「分かってるって、あんなモロイとは思ってなかったもんね。古着から再合成した水着がプールに溶けだしたら大騒ぎになるからそれはやめるよ」
個人的に俺の前だけならそれもありかと思いつつ、期待が高まる目で小ノ葉の見事なボディを見つめてしまうのは、俺もキヨッペも、はたまた悪魔も天使もすべて同じだった。ほんと、男って悲しい生き物だなと思う次第である。
「なにニヤニヤしてんだよ、にぃやんとアニキ?」
オンナのお前には分かるまい。
で。七の付く日。商店街の定休日だ。でもってフェアリーテールも休みとあいなる。
「アンズちゃん。おはよー」
吉沢酒店の半分開いたシャッターから体を屈ませて声を掛ける小ノ葉。それを合図にしたみたいに、勢いよく杏が飛び出してきた。
「コノハねえちゃん。おっはー。さあ、プールへ向かってレッツらゴーだ」
今どき『おっはー』も『レッツらゴー』も言うヤツいねえって。
「行こうか、イッチ」
続いて出てきたキヨッペに苦笑いをくれてやる。
「相変わらずアンは昭和にタイムスリップしたままだな」
キヨッペはリュック。杏は小学校から使っているビニールの水泳着を入れる袋を振り回し――ナリまで昭和のままで――それよりも、右手の脇に挟んだゴザは何だ?
「これか? これは弁当広げる時に下に引くもんだぜ」
「花見かよ……」
杏は平然と言うが、俺は脱力とともに肩をすくめた。
続けて溜め息を吐く。
「おいおい……アンよ。お前の格好なに? コノハと対照的なファッションしてんな」
「なにが? さあ行こうぜ、プール」
まあ、これほどまで説明の簡単なファッションは無いだろう。いつもの半パンポロシャツ。膝っ子増剥き出しで裸足にスニーカー。しかも靴の踵を踏みつぶしたツッカケ風だ。
昭和のワンパク坊主だって、もちっとましな格好していたんじゃないのかと思う。
それに対して小ノ葉の出で立ちは、栗色のポニーテールがよく似合う杏の見立てた清楚なお嬢様風だ。すべて体の一部をレプリケートした偽の衣服だが、誰からも見破られることは無いと思う。
定休日の閑散とした商店街に響く杏のはしゃぎ声を連れて歩くこと約10分で西立花駅。駅前広場で待っていた居酒屋『案山子』の一人娘、北村川奈々子ちゃんが走り寄って来た。
「こんにちは……」
ピンクのワンピーススカートを翻して、杏の前で両足から着地。それへと手を挙げる杏。
「奈々子! 待たせて悪いな」
男らしいな、お前……。
「ううん。店の近くだもん平気……」
両手で持ったバックを膝でパタパタさせて、奈々子ちゃんは上目遣いにキヨッペを見つめるが、キヨッペは硬直して石像状態。
仕方ないので後ろから背中を押す。
「アンに彼女取られるぞ、キヨッペ」
杏は跳ねるようにそこを離れると俺の腕にすがりつき、
「ば、バカなこと言うなよ、イッちゃん。奈々子とオレは同級生だ」
そう、プラス同性だ。
またもやぴょんと俺から飛び離れて、ぼんやりする兄貴をグイッっと引っ張り奈々子ちゃんの横に並べ、
「にぃやん。奈々子にイッチたちを紹介してやってくれ」
こいつマジでハンサム野郎だな。
キヨッペは恥ずかしそうに小ノ葉と俺を順に手で示し、
「ブラジルから来たコノハちゃん。で、こっちは僕の友人で神祈くん」
「こんにちはー」
もう挨拶も慣れた小ノ葉は嫣然と、俺も杏を見習って男前の声で、
「イッチでいいぜ。北村川さん」
「私も奈々子って呼んでください」
もじもじするキヨッペと奈々子ちゃんに気付いた杏は、後ろから二人を寄せつつ、
「さあ。電車に乗るんだから、にぃやん。しゃんとしろよ」
オトコらしく、次の指示を出した。オンナなのに……。
5人そろって私鉄電車に揺られ、さらに10分。大きな都市に到着。
「ヒトが多いいねー。イッチ」
「お前の村と比較できないが、俺たちの町も進化してんだろ?」
「うーん。建物に個性が無いのね」
「お前は建築デザイナーか!」
「だって先祖からの思想みたいなものが建物に出てないもの」
「なんっ!?」
どんな街なのか想像すらできなかった。だが杏は。
「ふ~ん。ブラジルって不思議なとこなんだな?」
お前の思っているようなブラジルじゃねえよ。
思わずキヨッペと視線を交わしてしまった。
駅前からはグランホテルの送迎バスに乗り換える。このへんが市民プールと雲泥の差だよな。招待券を見せるとバスの運ちゃんは丁寧に頭を下げて、出発時間まであと数分待ってくれと告げて微笑んだ。
杏は座席に深く尻を落し、バスの設えを見渡して言う。
「観光バスが無料ってとこがステキじゃねえか。やっぱグランホテルってすげえな」
観光バスじゃねえし……。
俺は杏の臆しないその態度がすごいと思う。キヨッペなど緊張して髪の毛がぴくりとも揺れてない。ポマード塗り過ぎてんの? と訊きたいほどだ。
ふと天使が気付いた。
〔あー。キヨッペはプールに入らない気か?〕
「お前さ。プール入ったら脂が浮くよな」
「そう。首から上は水に浸けないようにしなきゃと思ってるんだ」
そこまでしてオシャレを重視するかな。
「そらそうさ」キヨッペはチラリと横で小さくなっている奈々子ちゃんへ視線を振った。
今日は何だか疲れそうだ。
数分後。
御殿のような高級ホテルの特大ガラスドアの真ん前に、送迎バスが横付けされた。
ガラス板1枚隔てて中がエントランスホールだ。
数人の外国人観光客と、紳士風の男性と品の良い女性が二組が先にバスから降り、ホールへと歩み去った後、俺たちがワイワイと下り立つ。
「でっけえ……。こんなとこ初めてだぜ」
杏の声が辺りに響き渡っていた。まるで場違いのワンパク小増だ。
「おい、キヨッペ。マジでこのホテルのプールに入れるの。まさかプール掃除のバイトで呼ばれたんじゃないよな」
だんだん俺もビビってきた。空を覆い隠す高層ビル。どこにプールがあるのかすら分からない。市民プールならバスから降り立った途端に鼻を突く消毒液の匂いと、ガキのはしゃぐ声がしてくるのに、静かなBGMが流れるだけだ。
5人でオロオロしてたら、自動扉が音もなく開き、吸い込まれるように中に誘導された。
「すっげー。絨毯フカフカだぜ」
「ちょ、杏。スニーカーの踵を踏んで穿くのをやめたほうがいいぞ。怪我すっぞ」
するわけがないのだが、素直に俺の忠告に従って、杏は片膝を落として、交互に靴を履き直した。
そこへ――。
「ご予約のお客様でございますか?」
とんでもなく綺麗な女の人が近づいてきた。ピンと襟の立った黒いスーツをピシッと着こなし。タイトなスカートから長い脚をクロスさせた、この上なく大人の雰囲気を放つ女性だった。
オレたちガキんちょは、一瞬にして太刀打ちできないと怯えたね。杏でさえもキヨッペの後ろに逃げ込んだからな。
「あたしたち、このホテルに招待されて来ました」
臆することもなく出てきたのは小ノ葉だ。こいつは黒魔導士以外は怖いもの無しなので当然だ。しかも杏が見立てた清楚な出で立ちは、こいつ一人が周囲の景色に溶け込んで浮いていない。
ホテルの女性にも負けない長く綺麗な脚を薄グリーンのフレアミニから伸ばし、デルモ立ちする小ノ葉に一礼する美人。
「これは失礼いたしました。グランホテルデラックスプールでございますね。それではご案内します」
小ノ葉以外はでっかい口を開けて身体は硬直。視線だけで係り員の女性を追う。まるでゾンビかキョンシーの行列さ。
「すごいね。コンシェルジュの人がいるよ」
つぶやいたのはキヨッペ。俺には聞いたこともない英単語だ。
「へ? ケーキ作る人?」
「それは、パティシエール」
「え? それは飛行機の人じゃないの?」
「キャビンアテンダント」
キヨッペは呆れ気味に、俺はちんぷんかんぷん。杏と奈々子ちゃんは仲良く震えながら手を繋いで最後尾から付いて来る。小ノ葉だけホテルの女性と語らいつつ後ろを歩く優雅な仕草が自然に見えた。
ゴージャスな設えと分厚い絨毯が敷き詰められたエントランスを突き進むと、ガラス張りの向こうに眩しい光景が広がってきた。
「うぉぉぉ。グランホテルのプールだぜ」
さっきまでビビっていた杏が先頭に飛び出した。
「お客様。その前にロビーのご案内とチェックをお願いいたします」
「チェックってなんだよ? キヨッペ」
小声で尋ねるのは当然さ。こんな豪華な設備の場所に半径500メートル以上近づいたことがない。
「オレもだ……」
奈々子ちゃんの手をぎゅっと握って、何か可愛いぜ杏。
「チェックってチケットのこと?」
堂々としてんのは小ノ葉。
「はい。お願いいたします」
静かに頭を下げるコンシェルジュの女性に、手を挙げて合図するのは杏。
「切符ならオレが持ってる」
おいおい。チケットって言えよ。
キヨッペの背に隠れていた杏は持っていたビニールバックから抜き出すと、女性の前に飛び出し、5枚のチケットを渡してすぐに元の場所に戻った。
「はい。5名様。承りました。男性の更衣室はあちらで、女性の方はこちらとなっております」
今、杏も混ぜて俺とキヨッペの三人を男性更衣室へ向かって視線で誘導したのは明らかだった。
「それとご利用なられる設備は宿泊設備以外でしたらどれをご利用になられても問題ありませんが、このチケットではデラックスプール以外は有料となりますのでご了承ください」
それはそれは、こんなガキんちょ相手にもったいないほどに丁寧な言葉だった。
「それでは。ごゆっくりとお楽しみください」
と言って、女性は音もなくホールの奥へと消えた。
「すっげーな。天井が商店街のアーケードより高いぜ」
「だけどお弁当持ってきてよかったね。ここの設備使ってもいいって言ったけど、きっと高いと思うよ。ほらレストラン見てよ。割りばしを挿し込んだ筒がテーブルの真ん中にないよ」
「キヨッペもあんまりいいところへ行ったことがないな」
ま、俺もそうだけど。脇に給仕する人が寄り添った状態で食事をするなんて、安心して飯が喉を通らないと思う。