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腐葉土と発酵剤に土を混ぜた小山を三つほど作った頃には昼飯時間となったが、財布の中身を鑑みると外食など到底無理と判断した俺は、ひとまず自分ちへ小の葉を連れて戻った。
例のごとくお袋が接客中だったので裏から回って家の中に上がる。
家が近所だと便利っちゃあ便利だ。昼飯用にチャーハンまで拵えてくれているし……。
「これ何人前だ?」
中華料理『味園』にチャーハンを卸してんのかよ、と言いたいほどの量が鍋に入っていた。そうフライパンでは入りきれないので、特大鍋に詰め込まれていたのだ。
「こうなると、もはやチャーハンではないな」
「美味しそうね」
小の葉は鍋の中を覗いてキャンと飛び上がり、嬉しげに手の平を合わせ、俺は湿気た吐息を口先から抜いて肩をすくめた。
普通の皿1杯で済ませたのは俺で、小の葉は我が家に存在する特大の皿に山盛り。それを2杯平らげやがった。
「いつか……我が家にも破産の日が来るな」
そう想起するような、みごとな食いっぷりだった。
店のほうでは、まだ接客中のお袋の甲高い声が渡ってくるが、こういうのは接客と呼ぶものではなく、井戸端会と呼ぶべきだな。
とかぼんやり考えていたら、
「でね……ねえ聞いてる?」
小ノ葉に強く袖を引っ張られて、意識が引き戻された。
「え? ああぁ聞いてる。大丈夫」
「ガーデンの入り口に並んでる大きな花の一番右端の子だけちょっと成長が遅いでしょ」
店から通路を行くとガーデンに入る。両脇に植えてあるは今売れ筋のヒマワリだ。その中のどれかを差すようだが詳しくは見ていない。
「みんな元気に咲いてたと思うけどな……」
「ううん」
小の葉は栗色のポニーテールをフルフルと振り、
「お店に戻ったら見てみて。一つだけ元気がない子がいるから」
お袋に結ってもらったポニーテールがとんでもなくよく似合っていた。
「ねえ、聞いてる?」
またもや覚醒される。どうもさいきんぼーっとして仕方が無い。
「とにかく店に戻ったら確認するけど、何が言いたいんだよ?」
「あの子ね。足元に大きな石があってそれで成長が遅れてるんだって。どけてあげてくれない?」
「腐葉土を混ぜた後、通路近くから石拾いを始めていたけど、大きな石など落ちてなかったぞ」
「ううん、土の中なの。掘り出してあげて」
穴を掘るのが俺の仕事なんだし、別に問題は無い。
「分かった。戻ったらすぐに見てみるよ」
俺たちの昼飯が終ったにもかかわらず、井戸端会議はまだ続いており、もう一人、お袋より甲高い声の主が参加していた。キヨッペのオバさんだ。おそらく夕方近くまであのままだろう。喋るために生まれてきたような人だもんな。
店に戻ると、支給された軍手を一つポケットから取り出し、スコップを握ろうとしたところへ店長、舘林さんが登場。
「腹ごなしに何をやってくれるんだい? 腐葉土と発酵剤混ぜがあんなに簡単に終わると思っていなかったので、次の作業をまだ考えてなかったんだよ」
まずは自分の意思を伝えることに。
「この辺りにヒマワリの根の成長を妨げてる石があるらしいんす。それを掘り出してやろうかと思って」
舘林さんは首をひねりながら。
「誰かに聞いたみたいな言い方だけど。まさかヒマワリがそう言ったのかい?」
「へっ? あ……っと」
マズったかな。でも小の葉が本人から聞いたとは言えないし……。
「直感っすね。そんな気がした……っていうヤツです。お告げって言ってもいいかな」
神がかり的な言い訳しかできなかったが、
「はははは。草むしりをお願いしようかと思ったけど。とにかくやってみてくれ」
半信半疑どころか、一信九疑の振る舞いで舘林さんは手を振り振り店内へ戻って行った。
小の葉も店長の後に続き、
「じゃ、石のこと頼んだよ」
動物の尻尾みたいにポニテを揺らす後ろ姿に、つい目を細める。
《目に眩しいな、相棒》
〔ああ。正月と盆が同時にやって来たようだ〕
何だか言葉のチョイスが間違った気がするけど、俺と悪魔と天使はピッチピチのホットパンツを穿いた小の葉の後ろ姿を凝視した。
エプロンの後ろに隠されたヒップの曲線の見事なこと。溜め息を漏らさずにいられない。しばらくその光景をガン見していたが、おもむろにガーデンへ振り返る。
「小ノ葉のケツを拝むのは、家に帰ってからにしよう。さて。どのヒマワリだ?」
ヒマワリはどれも立派に育っていたが、
「なるほどね。お前さんか?」
俺の問いかけに、そいつは大きな蕾を前後に振って見せた。
「………………」
もう慣れたっちゃあ慣れたが、俺の声に反応して花が動くのって、やっぱ不気味だよな。
小の葉が伝えたとおり、他のより一段背が低く茎も細く弱々しい。
「いっちょ、やるか」
独りゴチのつもりだけど、周りの花たちが聴いていることも意識しつつ、スコップを土に挿し込もうとした時だった。
『あー、ないすっと! いきない根本にスコップを入れもうしたら根っこが傷つくでごわす』
びくっとして、スコップの先を地面から離すのは、聞いたこともない口調だったからだ。
『オイは、鹿児島の生花市場から来もうした。名は西大寺義太夫でごわす』
すっげー名前だな。
『もっとオハン、離れたところから掘い。ほいでキバレ。やー。じょっ(丈夫)なごて(体)をもっよっなオハン。オイはヤッケナ石が取れるのがマッナゲだ』
だ……ダメだ。誰か通訳してくれ。このヒマワリだけスピリチュアルモジュレーションがおかしいぞ。どこか壊れてんのか?
『あんな、この人は何かの手違いで、鹿児島の生花市場から種の状態で大阪の種と混ざった方なんや。せやさかいに鹿児島弁しか喋られへんねん』
これだけ大阪弁を聞き続けていたら、何となく身近に感じる。
「それで……西大寺さんは何て言ったんだよ」
『もっと離れたところから掘れって、ほんで踏ん張れって。アンタは丈夫な体を持ってるなーってゆうとる。ほんでから厄介な石が取れるのが待ち遠しいのやて』
言葉の壁が高い。
とにかく了承したことを伝え、離れた位置から掘り進み、根を傷つけないように横穴に切り替えると、すぐに漬物の重しにできそうなほどの石がゴロンと出てきた。
『あいガテさげモシタ』
丁寧につぼみを下げたところを見ると、たぶんお礼を言ったのだろう。
『おおきにやて』
なるほどね。
たまたま通りかかった舘林さんが、
「おおぉ。これはビギナーズラックとでも言いうのかな」
俺にそう告げて目を見開いた。そして地面を示して続ける。
「いやそれにしたって、まだそんな岩が出てくるとはね。助かるよカズくん。その調子で掘り続けてくれよ。それから開けた穴には、すでに作ってある腐葉土と堆肥を混ぜて元の畝に戻してくれたらオーケーさ」
腐葉土と言われたので、またバナナの木が生えたガーデンの深部まで戻る。
『坊主。西大寺殿の根の下にあった岩石を取り去ったそうではないか。褒めてやる。頭を出せ』
「はいはい」
ってぇぇ! バナナの木の葉っぱに撫でられている場合じゃねえぜ。
と言っても、店長はまた何も教えずにどこかへ消えたので、やっぱりこのバナナ野郎に訊くしかない。
「義空さん。腐葉土と堆肥を混ぜろと店長に命じられたんだけど、どっちも同じ物じゃないんすか?」
『うむ。教えてやろう。腐葉土は酸素と保温効果を併せ持った、まあ。布団みたいなものじゃ。堆肥はオドのパワーを吸収した微生物やミミズが腐葉土と共にマナに変換してくれた物だ。先ほども教えたと思うが、それが我々の力の源となる』
「ならたくさん使えばいいわけだ」
『バカモノ! ほどほどと言う言葉があるだろ! この、たわけ!』
「なんか腹立つよな……」
『正しいことを習っておいて立腹するとは、坊主はまだ修行が足りぬな』
「修行僧になる気はねえし」
『うだうだ言わずに、倉庫の方に行けば店長が作った堆肥がある』
「倉庫って?」
『このまままっすぐ100メートルじゃ!』
「バナナの木がメートル法を使うのかよ」
『やかましい! さっさと行かぬか!』
「くそっ。態度でかいんだよ。バナナのクセに……」
まあウダウダ言ってられないので、ここはぐっと耐え忍び、バナナの木に教えてもらった場所に行くと、俺が作った腐葉土の山より、幾分粉っぽくなった土が盛ってあった。
そこからスコップに山盛り一杯を運ぼうとしたら、
『ニイちゃん。倉庫の方へ行ってみいや。一輪車があるから、それで運んだらエエねん。頭は生きているうちに使うもんやデ』
教えてくれたのか、咎められたのかよく解からない口調で近くの雑草が俺に言った。
「へーへ。ご親切にすんませんね」
倉庫の中に首を突っ込むが一輪車は無い。きびすを返してまたもや雑草に訊く。
「中には一輪車が無いぞ。ウソ吐くなよ」
『おかしいな。ちょう待ってや。仲間に訊いたる』
口は悪いが世話焼きではあるな。雑草くん。
『変なこと言うなや。植物界に雑草なんてカテゴリはないんや。オレはな、セイタカアワダチソウちゅうんや』
「へいへい。だんだんと植物図鑑が俺の頭の中に出来上がっていくぜ」
『……ニイちゃん。一輪車は倉庫の裏に放置されてるって、ツレがゆうとるワ』
大地を通して連絡が取れ合うらしく、確かに連中のネットワークは幅広い。
言われたとおり倉庫の裏に行くと一輪車が壁に向かって立て掛けられていた。
セイタカアワダチソウの忠告通り、一輪車を使うと作業が一度で済む。従うのは腹立たしいが、とりあえず一輪車に堆肥と腐葉土を載せ、西大寺さんの元へと戻り、空いた穴の修復を済ませていたら、またまた舘林さんが通りかかった。
「え? 畝の作り方まで完璧じゃないか。今の学校ってそんなことも教えてくれるの? 西立花高校って農業科は無かったよな」
ありませんね。普通科オンリーの公立高校っす。
「それより。その一輪車どこにあったの?」
「倉庫の裏っす」
「どこに仕舞ったのか忘れてさ。ずっと探してたんだ。そうか裏に置き忘れていたのか。倉庫の中ばっかり探してたんだ。そりゃないよな」
セイタカアワダチソウと呼ばれるクソ生意気な雑草が教えてくれた、と言っても信用されないだろうし、
「たまたま見つけただけです」
戸惑っていると、向こうで「店長ぉぉ」と呼んでいる小ノ葉の姿を見つけて、安堵の息を吐く。
「お客さんみたいっすよ」
ハンサムに振り返りった舘林さんが、離れ間際に告げた。
「今日からキミをグリーンマネージャーと呼ぶことにするよ。頑張ってくれ」
なんだろ、グリーンマネージャーって?
〔緑のオジサンってことだろ〕
せめて緑のお兄さんって言ってくれよ。
《花と会話ができるのも役に立つってことで、いいんじゃね?》
確かに特殊能力っちゃあ、能力だよな。気が滅入るほうが多いけど。
肩を落とす俺の前に、店長と入れ代わりにやって来たのは小ノ葉が、またもや報告する。
「あのねイッチ。あそこの赤い子。ステラ・スカーレットの小百合ちゃんって言うんだけど、その子の足元にも小石が四つあるから取ってあげて」
ステラ・スカー……何とかって、花の種類だろうか。それとも小百合って言うから、ユリなのか?
まったくややこしいな。
「あの赤い花なら何度も横切っていたのに、なぜ俺に言わずに小の葉に言うんだ?」
「たぶん気が弱くて奥手なのよ」
なるほど。俺に直接喋りかけてくる奴は、往々にして尊大に構えているか、あるいはずうずうしい連中だけなんだ。
再びスコップを担いでガーデンに戻る。空は青空で猛暑日なのだが、大型の木々の茂みはそれを遮り、爽やかな風に変換されて居心地が良かった。
『これもワシらのおかげや』
どこかで俺に言い放つ野郎がいたが、応える気力が失せていたので黙って通過。すると背後から『無視すんなや!』とつぶやかれた。
あまり印象悪くするとこいつら束でかかってくる可能性があるので、ひとまず取り繕う。
「わりいね。今仕事中なんだ」
何で木に気を遣うかな、俺。
小ノ葉が伝えた場所へ行ってみると、そこには菊にも似た真っ赤な花びらを付けた可愛らしい植物が群生しており、ステラ・スカーレットと書かれた札が差し込まれていた。
正式名称はアスター・ステラ・スカーレット・小百合、となる。
どーーーーでもいいことだけどな。
どれが小百合さんなのかは直ぐに判別が付く。他の花より少し成長が悪く、ヒマワリ同様、まだ小さなツボミの状態だった。
「すみませんね、小百合さん。足元掘らせてもらいますよ」
声をかけるつもりは無かったが、ここまできたら自然とそうなる。今度バナナの木の横を通る時に、挨拶がなってないとどやされる気がしたからだ。
小百合さんは案の定控えめな方のようで、俺にガサツな会話をしてくるでなく、でも俺の声に反応するように、赤いツボミをユラユラさせた。やはり品のいいお花たちなのだろう。隣に行儀よく並んでいる青い花たちも、一斉に清々しい音を奏でながら葉をなびかせてくれた。
「生駒の野郎とはだいぶ違うもんだな……」
とまたもや独りゴチとともに穴を掘っていたら。
「おーし」
果たして4つの石が出てきた。それぞれこぶし大の石で、小ノ葉の宣言どおり個数まで一致していた。
店長は俺の功績に驚き、
「ピンポイントで見つけ出すとは、カズくんはトレジャーハンターの素質があるよ」
興奮気味に声のトーンを半音ほど上げる。
「そうだ。見つけた石に賞与を付けよう。100グラム10円ってどうだい。さっきの岩なら10キロはあるから千円だ」
おお。これは嬉しいことではないか。