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誰が見てもこれはマズイ。すべての花が小ノ葉のほうへ旋回するなんてことがあるワケがない。
舘林さんは、しばらく身動きもせずにその様子を注視していたが、おもむろに俺へと振り返り、
「ところで、小ノ葉ちゃんは手品できるんだって?」
よっしゃあー! そっちへ逸れたか。キヨッペのオバさんと同じ路線だ。
「今のもそうだよね?」
肩の力を一気に抜く俺へと舘林さんの視線が振られていた。手品なら絶対に種を教えろって話になる。キヨッペのオバさんはそこまで突っ込んでこなかったが、舘林さんは管理園芸のコンピュータ技師でもあると言われる理科系の人だ。このままでは収まらないはずだ。
ちなみにコンピュータによる管理園芸が何だって訊くなよ。俺にはさっぱり解からんからな。
まずはすっとぼける。
「あれって、どういう仕掛けがあるんでしょうね?」
まだ何か訊いてきたら、目の錯覚だと言い切ってしまおう。
言い訳がめんどいので、奥のガーデンに逃げ込もうとした俺を追いかけて来て、さらに意味不明なことをつぶやく舘林さん。
「マジシャンになるためにブラジルから来たんだって聞いてるよ。今流行のメンタルマジックができるんだって?」
その言葉に自然と足が止まる。大皿の再生をキヨッペのオバさんに見られたときに咄嗟に吐いたキヨッペの言い訳が、また広まってしまったわけだ。
ここで肯定すれば、ますます自分の首を絞めることになるし。かといって、否定するだけの題材も無い。
えーい。ままよ。
「ただの観光ですよ。親戚の子だし……」
「4ヶ月だってねカズくん。いつ式あげるの?」
なんでそうなんだよ――。俺の話、聞いてますか? 舘林さん。
「男なら、安心させなきゃだめだよ」
「………………」
ブラジルから来たマジシャン志望の親戚の子を俺が孕ませたんで早く籍を入れてやれと、なかば脅迫に聞こえるんだけど、気のせいだよな?
――込み上げる溜め息を押し隠しながら、思考を巡らせる。
これはどうみたって、幾通りかの噂が複雑に絡み合ったとしか思えない。
話を混ぜくる電波野郎は、うちにも一人ウロついているからな。
舘林さんの中では、小ノ葉はマジシャンという位置を確立したようで、
「今オレが研究中の青い向日葵もそのマジックでさっと出してくれたら、嬉しいんだけどな」
「青い向日葵っすか? すごいな」
とにかく今は話を逸らそう。
「そうさ。できたらセンセーショナルを起こすぜ」
「ははは。でも小ノ葉のはマジックですから、しょせんタネがあるんですよ」
しまった。まずいコト言っちまった。訊かれたらなんて答えよう。
「タネかぁ……上手いこと言うねえ。オレはその種がほしいんだよなぁ。品種改良もマジックみたいにタネが必要なんだよね」
まいったな……。そもそも小ノ葉の場合は手品ではないし。
分子化を上手くやれば手品ぽくはなるが、あの場合、素材になる物をタネと言ってもいいのだろうか。いやいや、あれは手品ではない。とんでもない事が出来るだけに人前で披露することはできない。
尋ねられた時の返事を整理していたら、店の奥で妖精のごとき花と戯れていた小ノ葉がぱたぱたと駆け寄って来た。
「店長、お客さんでぇす」
「はいはい。すぐ行くよ。今日はお客さんが多い。やっぱり僕が見込んだことはあるな」
ひとまず花がこっちを向いた現象は誤魔化せたようだ。
すぐに小ノ葉の腕を引くと、俺の背に隠して花どもに向かって言い放った。
「お前ら、人前で動くな!」
『しゃあないやろ。小ノ葉ちゃんからあふれ出すマナの共鳴に引っ張られて勝手に体が動くんや』
「体じゃねえ、クキだ、茎。」
て言うっか、思わず言い返したけど、
「誰だ今のは? 東京子か?」
『ちゃうで。ウチや。ハイビスカスのマーガレットや』
俺の足元近くに置かれた真っ赤な鉢植えが俺の顔を仰ぎ見ていた。
「ややこしい名前を付けるなよ。どっちが花の名前なんだ?」
『ハイビスカスに決まってるやろ。アホ!』
ナデシコといい、一言多いんだよな。
「小ノ葉ちゃーん。ちょっと来てくれる?」
店内から呼ぶ舘林さんの声を聞いて小ノ葉はいそいそと俺から離れ、通路に一人残された。
もちろんはた目から見れば一人ぽつんなのだが、実際は花たちに取り囲まれて、吊るし上げを喰らっている気分だった。
「だいたい。何でここの店の花は関西弁ばかりなんだよ」
『そらー。うちらは大阪生花市場に集められた精鋭、エリートばかりやからな。だいたいはその市場の地域の言葉になるんや』
『そんなことより。ボン。さぼっとらんと働かんかいな。給料泥棒もたいがいにしーや』
続けて語り掛けてきたのは、棚の最上段に並んでいた薄紫色のナデシコだ。
「その声にその口調。お前は生駒のハマナデシコだな。でも俺んちに置いて来たはずだぞ」
連れて行けとうるさかったが、無視してここへ来たのに。
『あれは株を分けた姉妹でな、ワテの姉さんや』
「お前もオンナなの?」
『なんやねん。その残念そうな声』
『このニイちゃん。ちょっとバカにしてるよな。ウチかてオンナやで。それより仕事しいや。タテやーん! コイツさぼっとるデー』
「バカ。大声を出すな。今行こうとしたとこだ」
『アホやこいつ。植物族の言葉が聞こえるのは小ノ葉はんとオマエだけや』
『早よ仕事せーや』
『ほんまや。ガーデンには山ほど仕事があるんや。チャッチャとせんと日が暮れるデ』
続いてそこらの花が一斉に喋り出した。
『こいつが噂のカズトちゅう人間なんか?』
『せや、ワシらの声が聞こえるんやて?』
『ほーか。こいつが植物界の綱渡りする人間なんか』
「綱じゃない、橋だ! 俺はサーカスの団員じゃないんだ。橋渡しをする……ってまだするとは言ってねえぞ」
『断ることはできひんデ。生まれたとこが悪かったちゅうてあきらめ。それより早よ仕事に行けや』
「うっせぇな。いま行くよ、ったく……」
文句タラタラ、俺はスコップを担いで舘林さんに言われたガーデンの最深部の空地へと向かった。
奥へ行くほどに好奇の目で見られる視線を強く感じる。まるで大勢の人が集まる壇上にポンと放り出されたのと同じ気分だった。もちろん視線と言う言葉は適さないが、そう感じるのだ。しかも相当に痛い。
さて。花どもから監視された上に給料泥棒と言われたくないので、とにかくスコップを握る。
「どれが腐葉土なんだよ。だいたいどうやったらいいのかも知らねえし。舘林さんも小ノ葉にべったりで、俺なんかほったらかしだもんな」
『坊主! お前が選ばれし動物界霊長類の綱渡り人、カズトか?』
〔また『綱』って言ってやがるぜ〕
《でもこれまでのとは声音が違うな》
「ほんとだ。ずいぶん低音の声だけど……どれだ?」
その声の主は、すぐそばにあるシダの茂みのあいだからそびえ立ったヤシみたいな大きな木だった。そうだな、バナナの木みたいな大型の葉っぱがはえそろったヤツだ。名前は知らん。花なんてヒマワリとアサガオぐらいしか知らない俺だ、木になると皆目わからんね。
『そう。ワシはバナナの木だ! 実芭蕉とも呼ばれておる』
んだよー。合ってたじゃん。
そしてグリーン鮮やかな大きな葉っぱに睨みを利かせる。
「何度も言うけどな、俺は綱渡り人じゃねえ。橋渡し、あるいは交渉人とでも言ってくれ。ネゴシエーターとも言うよな?」
『は――っ! バカ野郎。ネゴシエーターは小ノ葉姫だ。オマエはただの従者。家来だ』
偉そうな言葉遣いだが、何なんだこいつは……。
『拙者の名は北畠義空じゃ! ひかえろ!』
知らねえよ。それより何で武士みたいな名前を付けてんだよ。
『その時代からの記憶があるからだ』
長寿な野郎だぜ……。
溜め息混じりの俺にバナナの木は尋ねる。
『坊主。植物に最も大事な物は何だか解かるか?』
「土だろ?」
『まあ。間違ってはいないが。タダの土ではない。オドのパワーをマナに変換する補助的な用土が必要不可欠なのだ。つまりそれが腐葉土じゃ』
難しそうな講義を始めやがったぜ。お前はキヨッペかよ。
『キヨッペ? ああ、酒屋の坊主か……アイツが相手ならこんな基礎中の基礎を説明する時間は省けたのだが、しかたがない……』
バナナの木は大きな葉っぱから力を抜いた。まるで肩をすくめたようにも見えた。
『いいか、よく聞くんだ坊主。動物界に漂うのがオドだ。そしてそれを吸収した虫や微生物が時間をかけて枯れ葉と土を分解して腐葉土や堆肥となる。そこにはオドから変移したマナのパワーがみなぎっておるのだ……アーユー、アンダンスタン?』
「は?」
思わずズッこけた。
「何でそこだけ英語になるんだよ」
こっちの肩が抜けそうだぜ。ったく。
『解ったか、と訊いておる』
「マナとかオドとか言われても、知らんって」
『はぁ――っ』
バナナの木が溜め息を吐きやがった。
『動物の体から放出されるオーラみたいなものがオドだ。そして我ら、植物界の源が……』
ぐいーんと体、あ、いや。幹を伸ばし、
『マナであーる』
「何を偉そうに。結局、何だかわからん」
周りのヤシ類がガサガサと音を立てた。
『北畠殿。バカに説明しても無駄でござるぞ』
『いかにも。横で聞いておったが、こやつには理解できぬ。時間がもったいない』
『おお。これは観棕竹の日野山慶道殿と棕梠の益田聖山殿。ご忠告感謝する』
何で坊さんみたいな名前を付けんだろうね。まったく。
白い目で見る俺を無視して、クソバナナの木は隣に生えている棕梠と観棕竹へ一礼してから憎たらしいことを言う。
『拙者もこんなバカだとは思わぬ事態で、驚愕しておる次第じゃ』
バナナの木はガサガサと大きな葉っぱを揺らして俺に翻ると、
『とにかく、坊主。そこに積み上げてある、腐葉土の詰まった袋を破れ』
と北畠義空バナナが命じると、日野山慶道、棕梠野郎も口を挟む。
『小僧。発酵剤も忘れるな。それと土と混ぜる際にもコツがあるからな。分かるか?』
「えー? そんなに難しいの? 俺、素人っすよ」
『バカモノ! 初めは誰だって素人じゃ。我々が伝授してやる。植物本人から教えてもらうなど、めったにないぞ』
「そりゃそうでしょうけど……なんで叱られてんだろ?」
時代を越えたような言葉遣いの連中に散々けなされる俺って、いったい何?
虚しさ100倍の気分に陥った。
《悲しいな、相棒》
〔だな……〕
『動物界の出すオドは巨体になるほど強い。だが霊長類ヒト亜族ヒトが放出するオドは品質が悪く、かつ邪悪なモノが混ざるカスだ。糞なのだ。糞は土に還す。するとマナに変わり、我が植物界のパワーとなる。これは絶大であるぞ、小僧』
『いかにも。長寿命で巨木となり大地にがっしりと根を張る。そしてその下で動物界の生物を養う。それが我ら植物界の営みなのである』
次々と尊大な口調で語りかける三本の木々。
『坊主は動物界脊椎動物門哺乳綱霊長目ヒト科ヒト亜科ヒトだ。糞を吐き出すヒトなのだ。だが我らは違う。植物界緑色植物亜界(しょくぶつかい・りょくしょくしょくぶつあかい)陸上植物シダ植物門である!』
何だよ、長ったらしいなぁ。
「さっきから聞いてりゃ。何で人間は糞なんだよ?」
『植物はウンコなどせぬワ!!』
「うへぇー。怖ぇ」
まるで茂みの中からきつく睥睨されたような視線を感じて超ビビる俺。
「はいはい。偉いね。どうせ俺は糞ですよ」
『何でもいい、坊主。手を止めるな。穴を掘って、土2、腐葉土1の割合で混ぜろ。それから別の袋に発酵剤の袋があるからそれを混ぜろ。そしてここが肝心だ。ミミズを探して来い。河原にでも行って土手を掘り返せばいくらでもいる。それかガーデンの隅を掘り返してもいい。とにかくミミズを放せ。そして最後に防水シートを被しておけ』
「へいへい。仕事ですからやらせてもらいますけどね……」
『文句が多い! 黙ってやるんだ、坊主!』
「ひえぇーい」
なんでバナナの木に叱られながらやらなきゃいけなんだよ。
それから小一時間後。舘林さんが様子を見にやって来た。
「ごめんごめん。小ノ葉ちゃんに接客の方法を教えていたら、キミのことすっかり忘れていてさ」
そうでしょうね。
「あの子は呑み込みが早いよね。まるで砂場に水を撒くように知識を吸収するんだ。あんな子はちょっといないよ……お? おおぉ」
舘林さんは目を見開いて驚いていた。
「電気屋の息子なのにガーデニングしたことあるの? 腐葉土の作り方を教えてあげようと思ってきたのに……完璧じゃないか」
そりゃあ。周りからやいのやいのと言われりゃあ。誰だって出来ますから。