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「それでさ。ハナヤさんて何するとこ?」
口に突っ込んだ棒アイスの冷たさに目を見開く小ノ葉へ、にこやかに答えるのは杏。
「花を売るとこだよ」
続けてキヨッペが補足する。
「舘林さんは店の裏にガーデンを持っているから、正確には花や植木を育てて商売してるのさ」
「ハナ……?」
小ノ葉は口から抜いたアイスで自分の鼻先を示して首をかしげ、杏はそれを見て言葉を失い凝固。
杏が動き出すのに一拍以上の間が空き、
「鼻って……」
溶け出したアイスに気付き、慌てて銜えるとじゅるじゅると音を出して吸い上げてから黒髪を振る。
「美容整形じゃねえよ。フラワーさ。フ、ラ、ワ、ぁ」
英語に直したって小ノ葉には伝わらない。ブラジル人ではなく異世界人なのだ。
すでに植物族から語りかけられているので、『花』は解るはずだ。たぶん『売る』のほうが理解できないのだろう。
説明を求める小の葉の視線が俺をかすめるので、俺は奴の指先をそっと触れてひたすら念じる。
小の葉はすぐにうなずき、
「あぁぁ。売るって……花屋さんね。風が吹くと儲かるとこでしょ?」
「それは桶屋さん」
キヨッペは諦め気分で告げ、ビックリしたのは俺。
「え? 違うの?」
俺の知識は一般教養が欠けているから、小ノ葉にもそのまま伝わってしまうのが欠点だな。
――って、そんな目で睨んでくんな小ノ葉。すまん。しょせん俺の知識なんてそんなもんだ。
〔だけど今のは痛いミスだぜ……〕
天使の言うとおり。もうちょっと一般教養を知るべきだな。
あんまりにも恥ずいので、話を変えよう。
今日買ってきたアイスは小ノ葉が選んだと言うことだが、それはみごとに全部当たりで、杏が気をよくしたことを補足して、締めとさせてもらう。
で――。
キヨッペの家から一歩出た俺は、小ノ葉が両手で持った一輪挿しの花へと訊く。
「さっき何か言いたそうだったな。キャサリン」
『へ? 何でっか?』
「キヨッペが花屋でバイトしないか、と訊いた時にえらく反応してたじゃねえか」
『そ……そうでっか? ワテは舘やんとこの商品やったから単に反応しただけや』
「怪しいな。今も何か言おうとしただろ?」
『………………』
「コラ、なんか言え」
『………………』
なぜだかナデシコはそれっきり喋らなくなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
バイト初日――。
「どう? できそうかな……」
四角い顔に四角い黒縁のメガネ。特長のある面立ちは遠くからでもよく識別できる。
フラワーショップ『フェアリーテール』の店主、舘林さんは俺たちに仕事の説明をしてくれていた。
「はぁ……?」
気の乗らない返事がつい漏れたのは、キヨッペの言うとおり、裏に広がるガーデンの農作業が俺の役割のようで、この夏空の炎天下が仕事場という、酒屋のバイト以上に苛酷だと悟ったからで。それよりも仕事内容が曖昧なのは小ノ葉だ。
できたら夏っぽい服装で来てほしいと言う舘林さんの要望で、小ノ葉は栗色のセミロングで肩を隠すようにしたホワイトノースリーブの上半身と、白地にアースグリーン色のドットが散らばるホットパンツをレプリケートして体から生やしている。このあいだキヨッペと色々なファッションサイトを覗いたらしく、膨大な資料を頭にインプットしたと言っていた。
ちなみに小ノ葉が穿くとホットパンツで、杏が穿くとショートパンツとなる。どちらも同じモノなのに、人が代わるだけで名称も変わるのだ。
どうでもいいことだけどな。
その姿を眩しそうに見つめながら、舘林さんが小ノ葉の職務についてこう言った。
「きみは花の中で飛んでいてくれたらいいんだ」
ミツバチっすか?
「そう。そんなイメージだよ」
「よくわからないんですけど……」
俺は首をひねり、舘林さんは続ける。
「あのね。このあいだの呑み会でルリさんが言ってたのを聞いたのさ。小ノ葉ちゃんをマネキンの代わりにお店に飾っておきたいって言った話さ」
それは俺も聞いた。下着姿の小ノ葉を想像して、
「ムラムラだって」
「ばかやろ。モヤモヤだ! ちゅうか、勝手に俺の考えを読んで、いきなり口にするな!」
突然今の会話とはまったく異なるボケと突っ込みみたいな俺と小ノ葉の掛け合いに、キョトンする舘林さん。丸い目を四角いメガネの奥で泳がせていた。
「す、すみません。こいつ変なクセがあって……それで……あの……店の中をうろうろするだけでいいんですか? 仕事になります?」
慌ててその場の空気を取り繕った。
「あのね。花屋って花を売るだろう? それは空間に彩を作る商品を売ってんだ。だからお客さんが持つイメージを上手く引き出すような空気を店の中に作りたいって常々思ってたんだ。分かる?」
答えに詰まって視線を泳がせていた俺に、舘林さんは得々と語りだした。
「簡単に言えばメルヘンかな。すべて現実にありそうで存在しないものばかりで構成されていて、口では説明し辛い雰囲気を持ってるだろ。でもそこに共通して存在するのは花や樹木、つまり植物なんだよ。これだけは現実の世界にも存在するんだ。すごいだろ? 動かない、語らない花だけど、人間はそこから何かが放出されてるのをちゃんと感じ取っているんだ。それと同じ空気をオレは小ノ葉ちゃんから受けるんだよ」
よく解からない説明だったが、興奮気味に語る舘林さんの視線は小ノ葉に据えられており、その先であいつは大輪の向日葵の葉っぱに触れていた。
すると――。
「ん?」
うつむいていた大きな花が持ち上がった。
「あれ?」と顔を上げたのは俺だけではなく舘林さんも一緒っだ。
《やっべ。今のはきっちり見られたぜ。どーする相棒?》
〔誤魔化すしかねえだろ〕
俺は舘林さんの顔色を窺いながら説明する。
「あー。今のは気のせいです。きっと空調の風で動いたんですよ」
館林さんは平然と否定した。
「花が動くのはよくあることさ」
「マジっすか?」
こっちが驚いたぜ。
「そうじゃなくて。そのヒマワリ、元気が無くてさ。ずっと花が下を向いたままだったんだ。持ち上がって来たね」
と言ってから楽しげにうなずく。
「うん、いいね。僕のイメージとピッタリだ」
「どうピッタリなんです?」
ちょっち焦り気味に訊く。
「花の妖精さ。枯れかけた花を蘇らせてくれる白い妖精なんだ」
この人が年甲斐もなく少女趣味なのは、何となく昔から感じていたので、特に引くことは無かったが、舘林さんは俺と小ノ葉の背を押して、店と裏のガーデンを結ぶ通路へ連れて行き、興奮気味に言う。
「ほらー、ここから見えるガーデンをごらんよ。異世界の入り口なんだ。中は植物族の支配する世界。人間は遠慮してくれって言ってるだろ」
「やっべーぜ……」
小ノ葉と知り合う前だったら、俺はここで笑い飛ばしていただろう。だが確実に伝わってくる。中から強く見つめられる視線を感じるのだ。
それは剣呑で敵意あふれる視線ではなく、期待に満ちあふれた喜びにも近い空気を纏っていた。
「な……何を求めてんだ、お前ら!」
無意識に声を出してしまった。
「ほぉ。カズくんにも分かるのかい。さすが小ノ葉ちゃんのパートナーだな」
虚を衝くセリフを発した俺を不審にも思わないなんて……この人もちょっと変かも知れない。だけど異様な雰囲気を肌で感じるんだから仕方が無い。
舘林さんは通路から二歩ほどガーデン内に入って手を差し伸べる。
「この子たちの世話をするのがキミの仕事さ。それから……」
その手を小ノ葉へと旋回させ、
「小ノ葉ちゃんには女子従業員の制服を奥の控え室に用意してあるから、それに着替えてくれる? それからカズくんにはこのエプロンだ」
デニム生地で拵えた頑丈そうなエプロンを手渡された。農作業みたいな仕事だと言っていたので、まあこんなところだ。
ジーンズの前にそれを回していたら、
「変な意味にとらないでくれよ」
と舘林さんは念を押してから、控え室に去る小ノ葉を顎でしゃくってから続けた。
「あの子、不思議なオーラを放ってるね」
そりゃ異世界人ですから……正体知ったらぶっ倒れますよ。
肩をすくめて返事を濁す俺の隣で、舘林さんの視線は着替えに向かう小ノ葉の後ろ姿を追っていた。
俺的には舘林さんのほうが超人的だと思いますよ。小ノ葉の放つ能力なしで、こいつら(花ども)の気配をそこまで感じ取れるなんて、ちょっと異常っすね、と言いたいが、言わない。説明を求められたら鬱陶しいのだ。
目の前に広がる覆い茂ったジャングルを改めて凝視する。
無秩序に茂ったわけではなく、種類別に管理されているのが見て取れる。ちょっとした植物園だと思えばいい。
俺の肩を舘林さんはポンと叩いた。
「変なプレッシャーを与えてしまったかな。まあ気楽にやってくれよ。それとこれがカズくんの商売道具だ。がんばってね」
大きなスコップを手渡された。
いよいよ肉体労働が現実味を帯びてきた、てなところだ。
「まずガーデンの奥に空地部分があるから、そこに穴を掘って腐葉土と発酵剤を混ぜて植木を育てる土壌を作ってほしい。石が出てきたら取り除く。これは鉄則だからね。どう? きみの体格ならちょうどいい仕事だろ?」
「でしょうね」
俺は溜め息と苦笑いが混ざる湿気った返事をした。
いやしかし、キヨッペは肉体派を自負する俺に申し分の無い仕事を探してくれたもんだ。ぴったりじゃないか。ていうか、そういうあいつも、女の子のためとは言え、結局は肉体労働を選んだし……はは。どうしたもんだろね。俺たちって。
てな感じで、自嘲めいた気分に浸りつつガーデンの奥を観察していたら、
「おじさん、これでいい?」
着替えを終えた小ノ葉が奥から出てきた。
「こら。社長と呼ぶんだ。社長と……」
「いいよカズくん。堅苦しい呼び方はやめとこう。でもおじさんではまずいから店長でいいや」
と渋い大人の表情を滲ませて振り返ったところで、舘林さんが固まった。
豊かな膨らみで大きく前を盛り上げたマンゴーオレンジとレモンイエローのグラデーションTシャツ。そこへ描かれた毛筆体のフェアリーテールのロゴが歪んでしまってまともに読めないが、それはそれでいい。同じ色とデザインを施されたエプロンを見ればそこにはっきりと描かれている。
緑で囲まれたガーデンと舞台の檀上と言ってもいい店内を結ぶ通路。
まるで次の出番を待つ踊り子たちみたいに並べられた花たち。
それらを背景にしても、なおも見劣りしないで輝く小ノ葉の魅惑的な姿がそこにあった。
「どうですか、店長?」
小ノ葉はその裾を摘まんで、柔和な微笑みと共に舞うようにひと回りして見せた。
「こりゃ驚いた。こんなに似合うとは……」
何でも映える奴だが、花に囲まれるとひとしおそれが目立つ。
「よかったぁ」
栗色の髪がふわりと広がって同時に芳しい空気が揺れ動くと、通路に並んでいた色とりどりの花びらも一斉に揺れた。
その瞬間。
「――――っ!」
これまでにない妙な気配が全身を撫でて通った。ぞわぞわっと背筋が粟立った。何か見えない電波みたいなものが今確かに放出されたのだ。
舘林さんも身じろぎせずに固まった。異変を気づいたのかどうかは分からないが、俺ははっきりと見た。通路に並ぶすべての花が小ノ葉の方を向いた事実を。
神様ぁ……。
気づかれませんように……。
背筋に嫌な汗が伝うのは、これで何度目だろう。