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お袋に操縦されるがまま、金銀のテープで天井を飾っていたところへ、
「おらよぉ~。アキちゃんいるか?」
隣の川村鮮魚店の二代目、川村大輔。通称ダイちゃんが飛び込んで来た。
「なによ~、ダイちゃん。歓迎会までもうちょっとあるわよ」
「それでいいんだ。ほらよぉ~これが無いと始まらないだろ。アキちゃん調理場借りるよ~」
何事だと通路で立ち止まる俺をハエを追い払うみたいに手で払い退け、
「ほらほら。カズじゃまだ。どいたどいた」
一般家庭のそれとは少し規模が異なる業務用器具の並んだ厨房。そのど真ん中にある調理台へ、大輔さんが大きな鯛を一匹、どか~んと置いた。
ステンレス製の台の上を堂々と陣取った鯛は、魚の王様と言われる威厳を放ち、活きの良さそうな桜色の光でボディを彩っていた。
「あらまぁ立派だことぉ」
キヨッペのオバさんは、両手のひらを広げて熱い息を吐いた。まるでマンガだ。
「あたぼうよ。こちとら何年魚屋やってると思ってんだ。今日河岸で一番立派だった鯛だ。これをプレゼントするぜ。歓迎会の目玉にしてくれ」
「やだねダイちゃん。目玉は小ノ葉ちゃんに決まってるだろ。鯛が目立ってどうすんの」
「へっへーっ。でもよー、この鯛もすげえだろ。オレ惚れ込んじまってよ。この目の上にアイシャドーみたいな青いラインがあんだろ。これが天然の中でも最高だという証拠だ。どうだい綺麗だろう?」
「あんたねぇ、そんなこと言ってるからお嫁の来てが無いんだよ」
大輔さんはオバさんの言葉を鼻で笑い飛ばし、
「へっ! この鯛よりすげえオンナがいたらいつでも覚悟を決めてやらぁ」
魚屋ラブ、的なことを言う大輔さん。確かに親父たち同級生の中で、未だに独り身なのはこの人だけだ。
「じゃ、始めんぜ」
大輔さんは板前さんが着る白い作業着に着替え、手提げカバンの中から布で包まれたものを取り出して調理台に広げた。それは恐ろしいほどに研ぎ澄まされた包丁の束だった。
ゴルフバックからクラブを取り出して物色するように、中から銀白色に光る包丁を数本取り出すと照明の光に透かしてから、まな板の脇に置いた。
「よし、じゃあよ早速捌くから、アキちゃん何か大皿ねえか?」
オバさんはちょっと思案するものの、すぐに首を振った。
「困ったね。そんな立派なお造りを盛るようなお皿、さすがに我が家にはないよ」
「オレっちの店ならあるんだが、あいにく全部出払ってんだよなー」
「まさかプラスチックの皿なんて、鯛に失礼だしね」
そこへ、俺の家から戻って来たキヨッペが顔を出した。
「もう。イッチのお店のパソコン、ネット環境ひどすぎ。それにイッチはパソコンも持ってないの?」
調理の見学をしていた俺に向かって、盛大に文句を垂れた。
「何でパソコンが必要なんだよ。お前ら小ノ葉の着替えに戻ったんじゃないのかよ?」
「アンちゃんの見立てでネットの中から衣装を選んでるんだよ。なのにまともにインターネットに繋がらないんだ。だから僕のスマホを取りに来たんだ」
と、赤いスマホを手の平に出して見せた。
「杏の見立てで衣装を?」
不安だ。剣道の防具とか、戦闘服とかにならなければよいが……。
「それより、こっちはどうしたのさ? あ、すごい鯛」
目を丸めるキヨッペに大輔さんが、
「だろ。でもよ盛り付ける皿が無いんだ」
「なるほど……」
腕を大きく組んでうなずく。
「そうだねぇ。これだけの魚を盛るには……」
途中で何かに気づいたのだろう。俺に視線を滑らせると、
「イッチの家にあったよ」
「――はぁ? ねえよ」
何を言い出すんだこいつ?
「あるって。このあいだのさ……ちょっと待っててねダイさん」
そう言いながら、スマホを起動させてその画面を俺に見せた。
それは食器を扱ったホームページだった。
そして俺の耳元で、ごにょごにょと言う。
「ほら。この皿に似たのが、イッチ家の倉庫にあったじゃん」
立派な大皿の写真を指差して堂々と言い切りやがった。
様子を察した悪魔がつぶやく。
《小ノ葉に分子化させて作らそうって魂胆だぜ》
〔小ノ葉の能力を探ろうってことさ。それをSFのネタにする気なんだ〕
……なるほどそういうことか。ちゃっかりしてんなぁ。
俺に備わった三者の人格は呆れ気味だが、小ノ葉なら可能かもしれない。
でもこんな大皿が作れるのだろうか。俺たちが見たのは本をトイレットペーパーもどきに変化させた程度だ。
「大輔さんちょっと待っててね。イッチのおじさんに聞いてくるから」
まだ決断がつかないというのに、キヨッペは店の隅に置いてあった段ボール箱を小脇にかかえ、俺を急がせた。
「ほら。さ、行こうよ」
「その箱はなんだよ?」
「イッチんちへ行ったら見せる」
頭がいい奴の考えることはよく解からない。
俺んちへ戻ると、店の中で親父と杏が将棋を指しており、その横には、これは何だろうと、躍起になって二人の動きと将棋盤を交互に探る小ノ葉がいた。
下町の一風景として定着した光景だが、なんでこいつらこうのんびりしていられるんだ?
店に入って来た俺に気づいた小ノ葉が顔を上げる。
「イッチ、どうしたの?」
「いや。あのな……」
言い淀んでいたら、
「にぃやん。スマホ持ってきた? 早く選ばないとだめだぜ。宅配便の締め切りがあるんだろ?」
「15分前まで可能だから、じゅうぶん間に合うよ」
こっちは何の話をしてんだ?
「宅配便ってその箱でも送るのか?」
「違うよ。小ノ葉ちゃんの衣装を届けてくれるんだよ」
「買ったの? 俺、金ねえぜ」
「大丈夫、レンタルだよ」
「でもあと30分ちょっとで7時だぜ?」
「心配性だな。ピザと同じシステムなんだよ……」
「そんなのがあるのか?」
訝る俺に、キヨッペは片目を瞬いて、抱きかかえていた段ボール箱を少し開けて見せた。
「なっ!」
そこには杏とキヨッペの着なくなった古着が詰め込まれていた。
それを材料にして衣装までも複製させる気みたいだが、いくらなんでもそれはムチャだ。
小ノ葉に直接訊ねたいが、親父と杏の前でこの話しはできない。
こういうときのテレコミ(テレパスコミュニケーション)だ。やっと役に立つかもしれない。
目の前で執り行われているゲームの情報が欲しくて、俺の腕に片手を絡めてきた小ノ葉の柔らかい感触に精神を集中させて一心に念じる。
(小ノ葉、聞こえるか?)
……相変わらずヘボ将棋だな。
(ヘボショウギっていうのかぁ、このゲーム)
すぐ返事が返ってきたが、
ちげぇよっ。ゲームの名前が将棋で、ヘボったら親父のことだ。
(おじさん、マサヤだよ………ヘボマサヤ?)
ばぁぁか。そう言う意味じゃねえ。
(…………そんな芸能人いそうだな……)って。余計なこと考えるな俺。
(しょうがないよ。思考は巡らせるものだもの。でさ、杏ちゃんのほうが強いんだね)
将棋のことなどどうでもいい。いちいち、俺の考えに答えなくていい。話しが進まんじゃないか。
……何も考えるな俺。集中するんだ。
(お前、家の茶碗を分子に戻して、でっかい皿を作れる?)
(なんで?)
アキでの光景をひと通り頭の中で巡らせて知らせる。
(問題は無いけど、そんなに大きいのなら材料もたくさん必要だよ)
そりゃそうだ。大皿の材料と言えば瀬戸物。材料ってなんだろ。土か? 粘土かな? よく解からんけど同じ瀬戸物だから茶碗でもあれば可能じゃね? でも我が家に不必要な茶碗や皿はそんなにない。ましてや大量の茶碗が家から無くなればちょっとまずいな。
《雑貨屋の有賀さんへ行けば山ほどあるじゃないか》
〔あーだめだ。それって本末転倒じゃん〕
《なんで?》
有賀さんのとこへ行けば商品としてあるけど金が無い。
小ノ葉は戸惑う俺を察して、
(ちょっと聞いてみるよ)
誰に?
黙り込んだ小ノ葉に視線を振る。目をつむり、熱心に口の中で何か唱えるような仕草だが……。
少々もして、
(割れた茶碗ならたくさん持ってる人がいたよ)
いま何をしてたんだ?
(電話だよ)
電話?
(イッチたちの持ってる電話とは違う電話)
なんだそりゃ?
(植物族のネットワークはすごいのよ)
「イッチどうしたの?」
動かなくなった俺と小ノ葉を気にして、キヨッペが腕を引いた。
「ごめん。大皿の件だけどな。なんとかかなりそうだ」と答え、小ノ葉にはもう一度テレコミだ。
おい。割れた茶碗なんぞをコレクションする変な奴は誰だよ?
(松野さんだって。全部あげるって言ってたよ)
また松野さんかよ。どこのダレなんだろ。
それで? 松野さんちは遠いのか?
(ううん。すぐそこ)
あっさりと返事が戻って来た。言葉で説明しなくても、色々と思い浮かべるだけで伝わるのは確かに便利だ。
あ。ヒマに任せてキヨッペの野郎、スマホで萌え系サイト見てんじゃねえよ。
(モエって?)
わぁぁ。何も見てない。小ノ葉、俺の心を読むな!
そうだ! 無我の境地だ。頑張れ……。
僧侶でもなんでもない邪念に満ちる俺の頭脳では、それは不可能だ。
……そういえば今日配達に行った駅前の居酒屋の女の子、誰だろ。見ない顔だよな。
(お店の娘さんだって。16才になったから夏だけバイトするんだって)
ほぅ。殊勝な娘さんだな。毎日竹刀ばっかり振り回していないで、杏も見習えって言うんだ。
(杏ちゃんの同級生だって……今日言ってた)
ふ~ん……それなら今度紹介してもらお。
って、……うぉぉぉ。ナニ考えてんだ俺! 思考が止まらん。
(無理よ。思考を止めるなんて、訓練を繰り返さないとできないもの)
「だぁぁぁあぁっ!」
勢いよく小ノ葉から飛び離れて、息を吹き返したカエルにも似た動きで、きょろきょろと辺りを探った。
すると、突発的な挙動にキヨッペと杏、ついでに親父までギョッとした顔を俺に向けて停止していた。
「あっ……。悪い、気にするな。ちょっと叫びたい気分になったんだ」
三人の冷たい視線にコメカミ辺りが痛む。
キヨッペはテレコミのことも薄々感じていたのだろう、言い訳めいた説明で補足してくれた。
「アンちゃん。男ってそういうもんなんだ。きみには解からないだろ? だって女だからね」
無茶苦茶な説明なのに、杏はあっさり理解したようなことを言う。
「なんで? オレ解かるぜ。な? 時々叫びたくなるよな。うん、イッちゃんの気持ち、わかる、わかる」
そしてもう一人、俺の親父。
「へっ。オレなんて毎日叫んでら」
趣旨不明の反応をして、またまた将棋盤を睨んだまま動かなくなった。
とりあえず話を戻して、俺は小声で小ノ葉に尋ねる。
「衣装も分子化させることになるが、大丈夫か?」
「なにが?」
だぁぁぁ。俺から離れた途端これだ。こいつは理解力があるのか、ただのバカなのか、どっちなんだ。
「皿と服だ!」
つい大声を上げちまった。バカなのは俺のほうか?
それにしても相手が杏と親父だからいいものの、こいつとは秘密裏に会話なんてできないな。
仕方が無いので将棋盤から離れたところへ小ノ葉を引き摺って行き、再度尋ねる。
「こんなにたくさんの分子化ってやったことないだろ。途中で魔法が解けたらどうなるんだ?」
小ノ葉は「魔法じゃないよ」と口に出してから、
「うーん。でもどうなるんだろ。分子もばらけて原子の状態に戻って……粉になるか気体となって消えちゃうか、どっちかだろね」
どうでもよさげな返事をしたが、それは自分の着た服が消えるかもしれないと、まあ。人前でなければぜひ拝んでみたい状況なんだが、大皿が消えたらまずいだろ?
キヨッペはだいたいの話を聞いていたらしく、スマホの表面を撫でながら歩み寄って来ると手を止めて顔を上げる。
「イッチ。御造りなんか最初のお披露目だけで、あとは小皿に別けていけばいいんだよ。割れたらたいへんだとか言ってさ。その後は宇宙の彼方に消えようと問題無しだよ」
「そうだな……」
「なぁ。にぃやん。何の算段だよ? オレも仲間に入れてくれよ」
壊れたカラクリ人形みたいにまったく動かなくなった親父に飽きがきたのか、それとも自分だけが蚊帳の外に放り出されていたことに気づいたのか、杏は不満めいた目で口先を尖らせた。
「オレだって、ちったぁ役にたつぜ」
まろやかな上体を将棋盤から離して、半身をこちらに向ける杏。外見や口調ばかり男ぶっていても、細やかな立ち振る舞いは、どうしても女子を拭いきれていない。
俺はアロハシャツの少女に、指先をくいくいと曲げてこっちへ来いと合図を送った。
「なんだょ……イッチゃん」
嬉しそうに顔を近づけてきたので、肩を寄せる。
「いいか。今からお前に特別任務を与える。この後、俺んちの家宝を親父に内緒で運び出す。その運搬をお前に任せる。丁寧に扱えよ。できるか?」
嬉々として大きな双眸を見開く杏。
「うっそっ! その大役、オレがやってもいいの?」
煌かせた瞳の奥深くまで無色の光が満ちていた。
「へ――っ」
親父は鼻を鳴らして歩をひとつ先へ進め、その駒に語りかけるように言う。
「うちに家宝なんかねえぞ」
盤面から手を放すと、間抜け面を俺へと捻った。
ちっ、聞こえちまったか……。まぁ親父相手ならどうとでもなる。
杏はバッタみたいに元の場所に飛び戻ると、すかさずパチリと盤を弾き、
「はいよ」
上目遣いに親父へ合図。
「いっ?」
ヘボ親父は打ち込まれた先を見て、ギョッと目を見張り、またまた黙り込んだ。
いいタイミングだった。椅子から垂らした両足をプラプラ前後に揺らしている杏に命じる。
「アキまでひとっ走りして、かあちゃんに問題は解決したと伝えてきてくれ」
「でもオレ、おやっさんの相手してるし」
親父は下を向いたまま、しっしっと手を振る。
「行け行け。気が散るから、お前らもさっさっと消えろ」
杏はサッと椅子から飛び降りて元気に言う。
「んじゃ。何だか分からねえけど、オレも付き合うから待っててくれよ」
俺からの返事も待たず、アロハの少女は風のように店を飛び出すと、数秒でアキの入り口にたどり着き、何やらわめいてから飛んで帰って来た。
「イッちゃん。かあちゃんが任せるって」
駆け戻って来た杏はそう叫ぶと、ぽんと元の場所に座った。その間、親父は微動だにしていなかった。
オモチャを待つ子犬みたいな目をして俺を見つめてくる杏に、「もう少しヘボの相手をしてくれ」と言い残し、杏は俺に大きく首肯すると親父の正面に向き直り、「早くしてくれよー」と催促。その声に耳を傾けつつ、キヨッペと小の葉を家の奥へと追いたてた。
「小ノ葉、大丈夫か? 衣装は丁寧に再構成しろよ。でないと歓迎会の最中で真っぱになる可能性があるぜ」
俺は妙な期待感を顕にして段ボール箱を抱え直すキヨッペの振る舞いを後ろから睨み、キヨッペは居間に入るや否や、箱の中から色とりどりの古着を取り出した。
「これはアンちゃんと僕が子供の頃に着てた服だけど、一度洗濯してあるから汚くないからね」
「汚いキレイより。ちゃんとした服に仕立て直せるのか?」
そう杏の見立てと言うところが、すごく引っかかるのだ。