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この商店街には、キヨッペだけでなく変な人が大勢いる。その中で最も恐ろしい人物がいたことをすっかり忘れていた。そう、キヨッペのお袋さんだ。行動力があって単独でどんどん突き進んでいくバイタリティ溢れる人なんだが、いかんせんウワサ話大好きオバさんだ。商店街の隅々まで足を運んで御用聞きだけでなく、くだらない情報まで拾って来てはそれを撒き散らす。鳥インフルエンザよりタチが悪い。
そんな人物に小ノ葉の本当の姿を知られたら、彼女だけなく俺んちの存在も世間に知り渡り、テレビ局や新聞記者が押し寄せてくるだろうし、それなりの政府の機関もやって来るはずだ。そうするとたぶんあの子は社会から隔離されて、実験動物みたいな仕打ちを受けるのは決定的だ。
それはあまりにむごい。あの澄んだ瞳から涙が溢れる姿を思い浮かべて、胸が痛くなってきた。
キヨッペのオバさんには、小ノ葉の正体を絶対に知られてはいかん――そう心に誓いながら家に戻ることにした。
その矢先。
「やあ。カズくん。夏休み満喫してるかい」
うちの親父とはまるで異なる爽やかな口調で声を掛けてきたのは、フェアリーテールの店主、舘林さんだ。年齢は親父よりちょっと上みたいだけど、育ちの良さが容姿や立ち振る舞いから滲み出ている。それが花屋のご主人然としてとても似合っていた。
「あ。舘林さん、こんにちは。夏休みはまだ始まったばかりなんで何もしてませんよ」
「青春は一度きりだ。悔いの無いようにね」
重いよ……舘林さん。
俺は寸分の隙もないハンサム路線を貫き通す舘林さんの抱える荷物へ視線をやり、
「仕入れの帰りですか?」
「今朝のセリで落としたヤツの残りの分なんだ」とスマートな返事をした後、
「ところで、お客さんが来てるんだって? すごい美人だと言うじゃないか」
ほらなー。キヨッペのオバさんがまき散らす菌の感染率はすげえだろ。
「ブラジルから来たんですよ」
「おお。情熱的だねー」
どこが――? スライムっすよ。
「お。そうだ。カズくん、いまヒマかい? ヒマなら店まで来てくれないかな。そのお嬢さんに花のプレゼントを渡したいんだ」
「あ? いやイイですよ。商売に使ってください。あいつに花は似合いません」
実際。見せた途端、食っちゃうかもしれないし。
「花屋だからいいんじゃないか。それより、もう『あいつ』呼ばわりかい。ウワサ通りだな」
「うわさ?」
舘林さんはちょっと躊躇したが、
「カズくんの……お嫁さんなんだろ?」と言い放っておいてから、
「何か月だい?」
「なっ!」
絶句だぜ。喉から心臓が出るかと思った。
「だ、誰です、変なウワサを流してる人物は?」
「違うのかい? もう商店街中の人が知ってるさ」
お――の――。
キヨッペのオバさん頼みますよー。変な尾ひれを付けないでくださーい。
言い訳する俺を舘林さんはニコニコ顔で店まで引き摺って行き、勢いよくシャッターを開けた。
「さあ。カズくん。どの花でもいい。きみの花嫁さんにぴったりだと思う花を選んでくれ。ボクはその花からまだ出会ったことのないお嬢さんを想像したいんだ」
言うことがロマンチックだよな。うちの親父なら花で例えず、おでんの具材を見せるだろうな。でもって、俺は答える。『このガンモか、はんぺんかな?』てな感じだ。うん、それなら答えやすい。でもここは花屋だ。超ムズイぜ。
「あ……いや。これは難しいですよ」
ヒマワリとアサガオしか知らない俺に、これだけある花から小ノ葉にぴったりのを選べって……無理だ。
「小難しく考えることは無いんだよ。さーっと見て、その子とイメージが合った物を指差してくれ。それをプレゼントするよ」
言うことがイチイチスマートなんだよな。
「さあ。遠慮しないで。うちには花が売るほどあるんだから」
うっはー。昭和のギャグっすよ。
「どうした?」
って言われたって……。
何だか一斉に花から見つめられた気がして、ちょっと怖気つく。特にあのヒマワリの視線を強く感じるのは、花が大きいからだと思うのだが。
「ん?」
たくさんある花の中で、薄いピンク色の可愛らしい花がウインクをしたみたいに見えた。
「んなワケないよな……」
細く繊細な花びらがゆらゆらと揺れて、見るからに可憐で儚げな花だった。
「それかい?」
舘林さんは俺の動きを察したみたいで、そっと手を伸ばした。
「ほお。すごい。ナデシコだよ。花言葉は『可憐』『貞節』『純愛』だ。さすがだな!」
パンッと小気味よく俺の肩を叩くと、
「結婚おめでとう。カズくん。末永くやってくれ」
「あ? いや。あのですね……」
いったい何してんだろ……俺。
片手にナデシコの花を持ち。雑貨屋さんの前で一輪挿しを物色していた。
「おや。まあ。カズトくんじゃない」
しばらくして出てきたのは、雑貨屋のオバさん、有賀さんだ。
「何を探してんだい? あーっ!」
そんなに目を剥くこと? オバさん。
「どうしたの、その花っ!!」
そんなとこで途切ったら「それって猛毒だよ」って言ってるみたいじゃん。
〔それか「あんた気は確かかい?」のほうか?〕
「あ。そうか。色気づいちゃってカズトくん……。おめでと。4か月だって?」
なんで――!
デマが世界を潰すって本当なんだ。具体的な数値まで付加されてんぞ。
「あのですね。その話しはウソです。誰から聞いたんですか?」
「誰だっけね。酒屋のアキちゃんだったか、あんたのお父さんだったか……」
キヨッペのオバさんだけでなく、ウチのもいっちょ噛んでやがんのか。あのヤロウ。
「こ、これください。包まなくていいです」
「はい。まいどありー」
ひとまず、ただの親戚が遊びに来ているだけだからとウワサを修正しておき、急いで一輪挿しを購入して雑貨店を出た。
ポケットには一輪挿しを忍ばせ、花は見えないように隠し持って店から家の中に飛び込んだ。
「うぉう。なんだよ、こりゃ」
居間に足を踏み入れてまたもや仰天だ。あっちでもこっちでも驚天動地の夏休みだぜ。
「こらカズ、失礼だよ。ノックも無しで部屋に入るんじゃないよ。ここは女の部屋なの。男は入っちゃだめ」
「んなこと言うなよ。ここは居間だろ。リビングだぜ。誰が入ってもいい、むしろ自由空間だぜ。うほはぁぁ。すげえ景色だな」
文句は一通り言うのだが、嬉々とした視線は部屋の中央に散らばる物体へと踊り回った。
白、黒、ピンクは当たり前。淡い色ありーの、シマシマありーの。
「でっけー。うっほ、ちっせぇー」
いったいどっちなんだよ、と突っ込みが来そうだが……。
ルリ洋品店のランジェリーコーナーはこの商店街では確かだと言う定評がある。なんたっておばちゃんはプロの下着デザイナーだ。間違ったサイズの物を渡すはずが無い。
小ノ葉は居心地悪そうにそれらの物を見つめていたが、あのサイズで上下共にジャストフィットのはずだ。うほぉぉ。
「ほら。出て行きなカズ。いくら女の子の下着が珍しいからってそんな目で見るんじゃないよ。ほら出て出て。そんなに見たいんなら、かあさんのタンスでもお開け」
「うっげぇぇ。そんなの見たくねえよ」
「わたしだってこの子ぐらいのときはこうだったのよ」
何をハッタリこいてんだか……。
どうしたらいいのか戸惑う小ノ葉を視界の端に捉えつつも、
「女って、ワケわからんぜ」
と捨て台詞を残してそこを退散する。俺だってどうしたらいいのか分からない。長居をすれば、それこそヘンタイ扱いされる可能性がある。
「でもあのブラジャーでっけー。被りてえー」
ヘンタイ扱いではない、ヘンタイそのものである。
一輪挿しにこっそり水を入れ、自分の部屋に入ると机の上に置いて花を挿し入れた。
薄いピンク色のヤマトナデシコが気持ち良さそうに中で身を捻らせていた。
花びらを見て想起する。階下にあった下着の中にはこれと同じ薄ピンクのモノもあったなと。
他人が横にいたら引いたかもしれない不気味な笑みを浮かべていたら、小ノ葉が二階へ上がってきた。手にはたくさんの衣装と例の下着の山を抱えて。
「ねぇイッチ。これ食べてもいいの?」
「ば、ばっか。それは食いモンじゃねえ。穿くもんだ」
「ハク?」
「ほんと、お前疲れるな」
「ごめん……あたしを嫌いにならないでね」
何かを訴える子猫みたいな目で見つめられたら、胸が苦しくなる。
「い、いや。嫌ってんじゃない。説明がムズいだけだ」
「ムズい?」
ひぃぃ。こう質問攻めで来られたら堪らん。これは一つの拷問だな。
「あのな。そのピラピラした布切れは……そうだ俺を見てみろ、服を着てるだろう? 日本人はな、肌をあまり露出したらいけないんだ」
「有害な宇宙線が降り注いでるからでしょ?」
「え? そうなの?」
「そうよ。放射線や、中でもガンマ線は有害でしょ? でもあたしには関係無いもの。だって次元が違うから」
うーむ。互いに同じ言葉でコミュニケーションを取り合うのに、何も理解できない。とりあえずこいつは肌を露出させていても問題ないようだ。それで昨日、炎天下でも平気だったんだ。見ごたえのある肌の陳列に感謝だ。
〔謝々……〕
どちらにしてもキヨッペのところへ連れて行く前に、着替えという行為だけは教えておく必要がある。体の一部が変形して衣服になるところをお袋に目撃されたら卒倒しかねない。今の内に手を打っておかないとまずい。
「あのな。今着てるTシャツと短パンを脱いで、代わりに……」
途中で気づいた。その服装のセンスはどこから得たものだ?
流動生命体とかブラックホールとか、俺には難解な言葉を放つくせに、『穿く』という簡単な言葉でさえ知らない。どうせ『着る』も『脱ぐ』も理解していないだろう。なのにどうしてその服装なんだ。若い女子の夏の装いとして、Tシャツとショートパンツ姿なら文句の付けどころが無い。
しかも、そのオーバーニーは完全に俺の好みだ。なぜ?
穿くと言う行為ですら理解していない異世界人が、こっちの世界の服装をコーディネートするのは無理なはずだ。
「なぁ。シャツとか半パンはお前が具現化させたことは理解した。でもその組み合わせはどうしたんだ?」
小ノ葉は顎を引いて自分の容姿を確認するように、
「あぁ。これはね、昨日の朝、公園で体操してたイッチの頭から漏れた思考波の情報から構成したの。こんなのが好きなんでしょ?」
「げぐっ!」
早朝ランニングをした後、公園で軽く体操するのが俺の日課なのだが。あの時公園には誰もいなかった――ならば、イチョウの木に変身していたと言う話はマジ話なんだ。
とすると、野々村さんって誰だ?
思考をシェイクされ混迷色がますます濃くなる俺の前で、小の葉はオーバーニーソックスを細い指で富士山型に摘まみ上げた。
「この足の青いのはおじさんの趣味なの」
「平たく言うなよ」
《やっぱな》
〔そうオレも思ったよ悪魔くん〕とは天使。
「これはおじさんが好きみたい」
そ。俺も好きだ。
「オーバーニーだぜ……」
「あー。これオーバーニーって言うのかぁ。あのね。これはその前の夜、おじさんから読み取ったので憶えてて、会う時に付け足したの」
「………………」
何も言えんね。
〔ああな〕
はぁ~あ。やっぱ親子そろってあの公園をうろついていたわけだ。しかもスケベ面下げてな。
こりゃ末代どころか代々語り続けなきゃならんほどの恥だな。未来永劫、変わらぬベースケだ。
気力をそげ落とされ首を垂らす俺の前に、小の葉は買ってもらった衣服をぶちまけた。そして長い脚を折って横座りになると、憂いを含む表情で溜め息を一つ落とす。
「あぁ~あ。食べられない物をもらっちゃったのか……」
「お前、食うこと以外、何も考えないの?」
何を食っても宇宙に放り出されるだけだと言うくせに、なぜそれほどにこだわるのだろうか。少し気にはなる。しかし差し迫っての問題はこれだ。
畳の上に広がる眩しい光景に俺は目を細めた。
「人間はその布切れを身体にまとうんだ。その行為を着るって言うんだぜ」
「そっか。じゃぁ着てる物を剥がすのが脱ぐ……ね」
知能は俺よりあるらしく、説明すればすぐに理解する。何だかちょっと悔しい。
「せっかくだから着替えてみろよ」
色とりどりの衣装に顎をしゃくる。
「どれがいいの?」
「そりゃぁ。まずは……ミニだろ」
何が『まず』なのか……理由は訊かないでくれ。居酒屋に入って、ビールを注文する時と同じ心境なんだろうな。親父がよく言うセリフだ。
俺は水色のフレアーがふぁありと広がる、夏らしいミニスカートを指差した。さすがルリ洋品店のオバさんが選んだだけのことはある。
小の葉は汚いものを摘み上げるようにしてスカートを摘み上げ、
「異世界ではこんなもの巻き付けるんだぁ……ほぉ~」
目の高さまで持ち上げた視線の先が、机の上の物体に振られた。
「あれ、あのお花どうしたの? 同じ色。綺麗ねー」
そこには無造作に置かれた一輪挿しがあり、下着と同じピンク色の花が後ろを向いていた。
――が、突然。そいつがぐるんと回転してこう喋った。
『ほぉ。エエ感性してまんなぁ』
「ええっ?」
どこかで聞いたことのある喋り口調だった。声音は異なるが口調はまさにそのまま、立花家具のおやっさんだ。
もしかしたら親父の差し金で、家具の大きさとかを調べに来てんのかもしれない。
〔おいおい。のぞき見か?〕
天使の言うとおりさ。礼儀知らずだぜ、オヤジさん。
扉を開けて部屋の外を窺うが誰もいない。
『なにウロウロしてまんねん。それよりな、ボン。あないなハゲ茶瓶と一緒にせんといてほしいわ』
「どわあああ。ヤマトナデシコが喋ってるぞ!」
『あほ――っ! ヤマトナデシコちゃうわ! ワテは正真正銘の浪速生まれのハマナデシコや』
ああ。ついに俺の脳ミソが腐っていくんだ……。