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Signpost  作者: 紅しょうが
序章
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序章

 


 俺の大学生活は、とても退屈だ。

 


 大学へと向かう電車。窓の外には皆が顰めっ面で携帯と格闘する車内とはうってかわって、燦々と光る太陽に反射して輝く桃色の桜がその姿を表しては左に流されていく。それを無意識に目で追う。幾度となく見た光景ではあるが、やはり桜は美しい。と思う。

 

車内は超満員である。他人にひっつかれるのは好きではないが、仕方ない。電車がカーブへと差し掛かる。金属が擦れたような甲高い音が無音の車内に響く。視界が慣性に負けて少し左へと傾く。少し甘いシャンプーの匂いが左隣の女子大生からほのかに薫る。俺の目からは頭頂部しか確認することができないが、顔のレベルは中の下といったところだろうか。香りが少し安っぽい。本当に可愛い女性はもっと高級で品の溢れる香りがするのが相場だ。まぁ万年二次元の女子で妄想する君達にはわからんだろうが俺ぐらいになると--いや、なんでもない。

 

平行に戻った車両の扉を背にして車内を振り返る。皆が携帯に視線を向けている中で、一人の女子学生が携帯の画面を鏡に顔のお手入れをしていた。よほど美意識が高いのか、それか化粧慣れしていない新入生だろうか。胸の真ん中ぐらいまである少し褪せた茶がかった前髪を必死に左に持っていこうとしている。肩掛けのGジャンが小刻みに揺れる。ジャケットを肩掛けするのが今季の流行りのようだ。大学生は流行に敏感、良くも悪くもミーハーである。今日はよく見れば流行りの皺ひとつない新しい服を着ている学生がやけに多い。

 

彼彼女らは卒業式後の春休みを楽しんでいたのだろう。高校三年間の喜びも悲しみも辛さもすべて瑞々しい経験として心の内側に一文字ずつ著してきたのだろう。本心で付き合える友達も、冗談を言い合える仲間にも「また会おうね」とお別れを告げて。髪色を黒から茶金に脱色するように、高校という場所にもう戻らないように自分自身を脱皮させて。新しい世界に頑張って適応しようとしてきた生物に倣って、"大学生"に進化しようとしている。柔らかく破れやすい翅を必死に上下させながら彼らはきっとこれからも飛んでいけると信じているのだろう。サークルはどうしようかな、服装はこれで間違ってないかな、この髪色明るすぎないかな、彼女彼氏できるのかな、その前に友達できるのかな--こんな淡くて簡単に割れてしまいそうな不安を被りながら。それでもたくさんの希望と期待を抱いて、新しい世界へと今まさに羽ばたこうとしている。

 

頑張れ。新入生。俺も新入生の頃はは希望に満ち溢れていたさ。サークルに入って一生の友人沢山作って、飲み会三昧の毎日を送りながら暇な時間を自分磨きのために使い、優しい彼女と一緒に旅行に行く。そして色々あったけど楽しかったな、なんて言いながら卒業していく。人並みの大学生活。憧れていた、大学生。

だが大学は思っているほど楽しくはなかった。サークルなんてものはただの仲良しごっこ集団に過ぎず、決まって人間関係のトラブルを生みだす危険領域だ。自分の髪型服装になんて誰も興味を抱いていないし、大学でできる友人なんてのは構内ですれ違ったときに挨拶するだけの"ヨッ友"ばっかり。ひとりぼっちを異物ととらえ、自分達は違うと安心して構内を練り歩く奴らで溢れ返っている。

 


現実は理想とは大きく異なる。それは受け入れざるを得ない運命なんだと思う。



 俺の大学二回生の春休みはそりゃもう惨々たるものだった。手帳の中身はバイトのシフトを意味する文字の羅列が青色のペンで埋め尽くされていたし、休み期間に誰かと旅行どころか、遊んだ記憶さえない。ソーシャルメディアでは「○○と××行ってきた!やっぱり一生の友達だ~! #life」「サークルの合宿終わっちゃった~帰りたくない…」などという輝かしい言葉がこれまた眩い写真と共に嫌が応にも俺の目を捕らえるのだった。その輝きから逃げるように目を伏せた。電源ボタンを軽く押し、眩しかった画面を暗くする。所々ひび割れているガラス液晶から覗く自分の顔。希望も期待もない、ただ漠然と毎日に流されながら作業をこなすように大学へと足を向ける男の顔。退屈に押し潰されて醜くなった顔。いつから俺は退屈に潰されたんだろうか……?もしかしたら俺もこうなれたんじゃないか。あの時頑張っていれば眩い憧れの"大学生"になれたのではないか--。

 

いつしか電車は大学の最寄り駅の近くと歩みを進めていた。窓からはベタ塗りのライトブルーの空が広がり、少し目線を下げた先は無機質なコンクリート建築物が所狭しと並んでいる。

 

扉が開く。満員電車という息苦しい空間から押し出されるように、車内を埋め尽くす学生が波となって俺を飲み込む。身体を左右に揺らしながらなんとか流れに乗ろうとしたものの、背後からの止まらぬ勢いに成す術なくコンコースへと吐き出される。

 

いずれ自分の足で立てなくなって、忍び足で迫る退屈が俺の背中を押して海へと突き落とすのだろう。もがけどもがけど沈んでいくのだろう。たくさんの人がそうだったように。光を求めることが許されない海の底へと。

 


俺の人生は、退屈なのだ。




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