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第十四章 “Tactics Of The Love”〔4〕



 絶対に見つかるわけにはいかない。巻き込まない。先生の、センセイという立場を脅かさない。そう決めて、私は今までずっと耐えてきたのに。


 阻止しなければいけない。私の頭にはもうそれだけしかなかった。なりふり構わず、タカシの腕につかみかかる。


「っ、何すんだよ、邪魔するな!」


 本気の私に一瞬たじろいでから、タカシは忌々しげに振り払おうとした。その衝撃で、タカシの手からスマートフォンが飛ぶ。落ちたスマートフォンは床をすべり、よりにもよって先生の足元に止まった。


 私はタカシにつかみかかった状態で、タカシは私につかみかかられた状態で、そのまま動きを停止する。固唾を呑んで見守る二つの視線を物ともせず、先生だけは冷静だった。ゆっくりとした動作でスマートフォンを拾い上げ、その画面を見る。確かにそこに映っているものは目に入ったはずなのに、先生の表情は変わらなかった。


 ややあって、我に返ったタカシが私を完全に振り払ってから、言い放つ。


「それでわかったかよ。お前だって俺に逆らえないんだ」


 スマートフォンを奪われる結果になったというのに、なぜかタカシは勝ち誇っている。対する先生は相変わらずの表情のまま一つ息をついた。


「切り札を出した君には悪いが、俺がこれで従うとでも?」


 タカシに向かって、先生はスマートフォンを無造作に放った。面食らったような顔で、タカシがそれを受け取る。


「大切に持っていたものだろう? 返すよ」


 先生の反応に私もタカシも戸惑い、言葉を失った。


「……ふん、バカじゃねーの。削除する絶好のチャンスだったのにな」


 一瞬流れた沈黙の後、やはり口を開いたのは、黙るわけのないタカシだ。


「みっともない悪あがきを楽しみにしてたのに、つまんねー奴」

「無駄なことはしない主義でね。君のことだ、さぞ念入りに予備を管理しているんだろう」

「……。仰せのとおり、バックアップ済みだけどな? お前の軟弱な態度にはがっかりだ」

「期待に添えず、すまないね」


 タカシの強気な笑みに、先生は食えない笑みを返す。我慢強さとは無縁のタカシの眉が、ピクリと動いた。


「……そんな態度をとって、どうなるかわかってんだろうな」

「好きにするといい。その写真は、君に預ける」


 二人のやり取りを聞きながら、私の指先が冷えていく。思った通りだった。事情を知った時、先生はきっとこんな反応をするだろうと思っていた。やはり、自分を守ろうとはしない。寧ろ、易々と放棄してしまうような……。


 冷えた自分の指先を、ぎゅっと握りしめる。――怖い。自分をないがしろにする先生の態度が……。そんな私の内心なんて知らない二人は、静かに睨み合っている。……睨み合うと言っても、険しい表情をしているのはタカシだけだけれど。


「バカにしてんじゃねーよ。弱みを握られてんだぞ……。もう少し、しおらしくしたらどうなんだよ?」

「……別に、バカになんてしていないよ。君の気持ちも、わからなくはない。俺も器用なほうじゃないんでね。俺も君たちも、そう変わらないさ」

「はっ、生憎変わらないなんて言えないんだよ。教師は生徒とは違うんだ、何度も言ってんだろ? お前が麻耶を幸せにできるか? 守ってやれるのかよ!?」


 地を這うような低い声で、タカシが吐き捨てるように先生を責めた。


「そんなことは関係ない……、といえば嘘になるかな。ただ、もう後戻りはするつもりはない」


 言って、先生がちらと私を見た。はっとして見返した私の視線と、一瞬だけ真っ向からぶつかる。その瞳は、いつもの無表情に見る無気力なそれとは、どこか違って見えた。すぐに外れて行った視線は、再びタカシに向けられる。


「悪いけど、君には渡せない」

「へぇ、そうかよ。じゃあこの写真、遠慮なくばらまかせてもらう。……麻耶、お前次第だ」


 きつい眼差しで私を見据えてから、タカシは身を翻した。そのまま乱暴にスライドさせたドアから出て行く。


 タカシは私を試しているのだ。先生から離れてタカシを追わなければ、タカシはきっと私を許さない。直感的にそれを悟って、私もすぐに身を翻そうとしたけれど、咄嗟に腕を取られる。


「どこへ行く? 彼を追おうとしているなら、その必要はないよ」

「タカシはあの写真、平気でばらまきますよ。そういう人なんです。だから……!」

「言っただろう。俺は後戻りするつもりはない」


 目を逸らそうと努めていたのに、らしくもなくはっきりとした声音を聞いて、思わず先生を見上げてしまった。その瞳に宿る確かな意思。“月原先生”が、こんな顔をするなんて。それでも私にも、譲れない意思があった。


「私は、……無理です。リスクを受け入れるなんて、できません」

「なんとなく察していたが、今までの君の矛盾が、そんなくだらない理由からだったとはね」

「くだらない……?」


 先生の信じられない言葉に唖然とし、そして頭にかっと血が上った。我を忘れて先生に詰め寄る。


「くだらなくなんか! 先生は何もわかってないっ!」

「わかっているさ。君よりもずっとね」


 あくまで冷静な声音に、はっと我に返る。確かにそうだ。あれだけ教師であることを貫き通そうとしていた先生が、わっていないはずはない。タカシのあの切り札が、どんなに大きなリスクを伴うものであるかと言うことも、私に言われるまでもなくわかっているはず。ならば、どうして――。


 戸惑う私に、先生の指先がそっと伸びた。頬に触れてそのまま、私の横髪を梳くようにしながら撫でる。まるで慈しまれているような、そんなくすぐったさと心地よさに、心の奥底が震えた。


「安心していいよ。彼はあんなことを言ったが、何があっても君は必ず守るから。だから彼を追わずに、ここにいて欲しい」


 先生が生徒に何かを請うなんて、やはりおかしな話だと思った。けれども頷けないし、ちっとも嬉しくなんかない。自分を犠牲にすることも厭わない、そんな風にしか聞こえなかったから。


「っ、どうして……私なんかのために、そこまでするんですか」

「ようやく聞く気になった?」


 言って、先生はきれいな瞳をわずかに細めた。無機質で冷たい印象を他人に与えてきたはずの瞳は、こうしてほんの少し、いつもとは違う風に表情を変えただけで、とても優しく私の目に映りこんだ。


 思わず何もかも忘れて、じっと見惚れてしまう。彼がこんな目をして、誰かに触れるなんて。その相手が、――私だなんて。


「君が好きだから」


 その優しい声は、今までのどの場面よりもずっと揺るぎ無く、確かだった。




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