第十三章 “Twilight ”〔8〕
苛立ちを募らせるタカシと、それを受け流す先生。
この二人が対面するとき、いつも不穏な空気が流れている。
尤も、原因はいちいち食って掛かるタカシにあることなんて明白なんだけれど。
「なぁ、“月原先生”」
例の、強がりだとなんとなくわかってしまう 不安定さを伴った笑みで、タカシが嫌味たらしく先生を呼んだ。先生は答えない。相変わらず流しているみたいだ。
「邪魔なんてしないよな。麻耶の――生徒の人間関係に立ち入る資格も理由も、おまえにはないはずだ」
「君には、その資格があると?」
早口のタカシに対して、先生の口調はゆっくりとしていた。
腕を組み、若干口角を上げて。でもその目は笑っていない。
こちらの笑みは本当に余裕を感じさせるもので、タカシには悪いけれど今回も勝ち目はないだろう。
「うるさいんだよ。さっさと引っ込んどけ」
「……煩わしいのは嫌いでね。君と無意味な会話を続ける気はない」
教卓の前に立ち、文化祭の担当になったと面倒な顔をしていたあの時のような、適当な口調でタカシを切り捨てる先生。タカシがますます頭に血を上らせていくのが、手に取るように見えた。
「タカシ、もういいでしょ。あまりイライラしないで……」
タカシがまだ何か言いそうだったので、見かねた私は何か言われる前に口を出した。
タカシが先生に突っかかるのは、私のことがあるからだ。
無関係な先生に、これ以上迷惑をかけるのは心苦しい。
先生はこれ以上言い合いをしたくないと言っているのだ。
けれども私のその行動が余程気に入らなかったらしいタカシが、私をきつく睨んだ。
「おまえはどっちの見方だよ、麻耶。少し黙ってろ!」
怒鳴られて、私は思わず黙った。
こういう状況で、ユキのようにはっきりとした性格だったらば、もっと言ってタカシを止めることもできただろう。そうすべきだ。自分の不甲斐なさに嫌気がさしてくる。
タカシの気性の荒さには、最近拍車がかかっている。私ではとても手に負えなかった。
「君も一緒に来ればいい。それなら納得するんだろう?」
ふと先生がそう言うと、言われたタカシが一瞬 止まる。私も先生の言動に驚いた。
予想外の提案だったからだ。口実だと思っていたけれど、実は本当に私に用事があるのだろうか?
「図書整理係の残務整理があってね。図書室に」
先生がそう言って、ああそういうことかと私が心で納得すると同時に、険悪な空気が薄れる。
つまりはタカシも、先生の言ったとおり納得して、感情を収めたのだ。
その強い口調と態度のせいか、タカシの機嫌はその場の空気を左右してしまうらしい。
タカシが黙って歩き出し、教室を出ていく。図書室へ向かうのだろう。
私はそんなタカシを眺めてから、一瞬 先生を伺う。
そして自分から見ておいてすぐに怯み、私は駆け出すようにして教室を出た。
後ろから先生が続く気配。
タカシを先頭に、私、先生と、三人で図書室に向かう。
幸い放課後で誰も見当たらないけれど、もし他人が見たら、なんだかおかしな光景に思われるだろう。
教室から図書室までは、結構な距離がある。
渡り廊下を挟んだ向こう側の校舎の二階にあるのだ。
先頭のタカシが角を曲がり、その渡り廊下へと向かっていく。
私も後に続こうとしたけれど、後ろから誰かに手を引かれたので立ち止まった。
誰かというか、私の背後で 手を引ける距離にいるという条件からして、先生しかいないのだけど。
頭に疑問符を浮かべながら振り返ってみたけれど、先生の視線は私を見てはいなかった。
私のさらに後方――つまりタカシの行った方向を伺い見ている先生。
タカシに何かあるのだろうか?
でも、すでに角を曲がっていったタカシの姿はもう見えないはずだけれど。
疑問に思った私がまたタカシの行った方向に向き直り、先生の視線の先を辿ろうとしたその時。
背後から強く引っ張られ、私はあっと言う間もなく連れていかれた。
曲がり角の手前の部屋に引き込まれた私の目の前、肩越しに伸びてきた先生の手によって、扉が静かにスライドして、閉まる。何が起きたのかわからなくて、状況を理解するまでに数秒呆然として、それからやっと私は周りを観察した。
あまり見慣れないけれど、何度か来たことのあるこの部屋。
放課後の保健室は、もう担当の先生も帰ってしまっているらしく、窓のカーテンが締め切られていて薄暗かった。けれども鍵がかかっていなかったところをみると、もしかしたら誰かが施錠に来るのかもしれない。
「あの、先――」
上ずった私の大きな声は、大きな掌に口をふさがれ、飲み込まされる。
「しっ……少し静かにして。彼に見つかりたいのか?」
先生が声を潜めながらそんなことを言ってくる。
背後にいる彼を意識してしまって、私は口をふさがれたまま息をのんだ。
とても静かにしていられる状況ではない。
「月原! ……ふざけんなよ、バカにしやがって!」
扉の向こう側に 気づいたらしいタカシの叫び声を聞き、私は体をびくつかせた。
投げやりでうるさい、特徴的なバタバタとした足音、その音の間隔は狭い。
きっとタカシが走って戻ってきて、私と先生を探して回っているのだ。遠ざかりもせず、近づきもせず、足音は近くで聞こえ続けている。この辺りにいることを、タカシはわかっているのだ。カーテンも閉まっているし、外からはきっと もう施錠済みに見えるとは思うけれど……。
私が黙ったのを確認して、先生が手を離す。
自由を得た私は、とりあえず部屋を出ようと思った。
タカシの足音はよく響く。だからよく様子をうかがって、隙を見て私だけここを出ればいい。タカシの前にひとりで姿を現せば、何とでもごまかせる。とりあえず扉に近寄って耳をすませようとしたけれど、動こうとした瞬間、また捕まえられた。
拘束するために回された腕が、私を強く引きとめる。
ともすれば あの日先生の部屋での時よりも近い距離感に、心がひどくざわついた。
けれどもなすすべのない私は、そのままの状態を受け入れるしかない。
抗議したくても声を出すわけにもいかないし、動きを封じられては振り返ることもできない。
もし見つかってしまったら どうなるだろうという緊張感と、拘束されているだけなのだけれど、まるで後ろから抱きしめられたと錯覚してしまいそうな彼の温度。
抗えない甘さと、ためらいを伴う恐れと。
相反する二つの感情は、脳裏に焼き付いてしまった、まだ新しい記憶を容易に呼び起こした。けれどももう離れたつもりでいたのだ。油断しきっていた私にはあの部屋にいた時のような覚悟もなければ、心を落ち着ける対処すら考え付かない。
「今更、そんなに緊張しなくてもいいだろう。一晩 一緒に過ごしたばかりだ」
隠れている状況のためだろう、耳元に限りなく近い場所で 先生のささやくような声を聴いた。らしくないほど安易な台詞に煽られて、かっと頬に血が上り、破れそうなほどの鼓動が 私に襲い掛かる。別になにもなかったのに、どうしてわざわざそんな誤解されるような言い方を。
「っ、そんなこと学校で……!」
「言われたら困る?」
気が気じゃない私はそれどころではなく、それ以上何も言わなかった。もう口を塞がれているわけじゃないし、別に息はできるはずなのに、息苦しくなってくる。見つかったらまずいことになる。同じ状況にあるはずなのに、焦りひとつ見せない先生は いつかのように私の反応を楽しんでいるみたいだ。
そうこうしているうちに、だんだん近づいていた足音が 途切れた。
扉の前に、人の気配が留まったのを感じる。――タカシだ。
タカシに見つかってしまった後の、最悪の結果を何度も予想してしまう。
すべての動きを停止した私の、心音だけが煩くバクバクと鳴っている。
無意味に感覚が研ぎ澄まされていく中、瞬きすら忘れて、私はこの状況の行く末を見守った。
今話は、一度投稿し、気にくわなくて身勝手に削除したものを、再投稿しました。
そして迷いましたが、なんとなく気にくわないだけで、直すのもどこを治せばいいのかわからず、うまくいかないので、思い切ってそのまま投稿しました。
ここで逃げたらまた長期停止するだけだと思いました。
読んでくださっている方々には、こんな行為をし、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
完結させたいです。完結させます。
いつも拍手や投票やコメントで応援してくださる方々、本当にありがとうございます。
これからも精一杯頑張ろうと思います。