第二章 “Inmost Passions,”〔3〕
待ち合わせは七時。そして今は六時五十五分。待ち合わせ場所で、私はそわそわと落ち着かない気持ちを弄びながら、彼の登場を待っていた。
ユキは私が自分でやるよりもずっときれいに化粧を施してくれた。制服も着替えた。持ってきた服は、可愛いお店で買ってみたものの履く勇気がなく、クローゼットの奥にしまいこんであった、私にしては丈の短めのスカート。
今日あんなことがあって、着てくるのは気がひけたけど。服を取りに帰る時間もなくて、制服で先生と会うわけにもいかないから仕方ない。
人通りの少ないこの細い道だけど、車はちらほらと通る。そのたびに先生かと期待するのだけど、先生はなかなか来てくれない。
遅い。何か用事でもあったのだろうか。渋滞にでも巻き込まれているのだろうか。そんな風に色々と考えを巡らせながら待っていると、気付けば七時半を過ぎていた。
辺りもすっかり暗くなってしまった。とうとう、考えたくない予感が頭をよぎる。もしかしたら、やっぱり彼は来ないんじゃないだろうか、と。けれどその考えを私はすぐに否定する。まだ三十分じゃない。そのくらいの遅刻、誰にでもある。
「ねぇ」
背後から唐突に声をかけられて、私は先生がやっと来てくれたのかと、ぱっと顔を明るくして勢いよく振り返る。けれどすぐに、私の表情は凍りついた。背後に居たのは先生ではなくて、見知らぬ男だったのだ。
「何してんの? 暇ならさぁ、俺と遊ばない? 俺も暇なんだよねー」
今は、こんな男にかまってやる余裕なんてない。落胆から肩を落としながら、私は適当に答えを返す。
「……いえ、人を待ってますから」
「だってさっきからずっとここにいるし? どーせナンパ待ちなんでしょ? でもさぁ、ここあんま人通んねーし、もう声かけてくるのなんて俺くらいだよ?」
へらへらと笑う男の態度と言葉に、馬鹿にされたような感じを受けて、私はむっとした。
適当に受け流すべきだとわかっていた。けれど先生が来ないことで心の余裕をなくしていた私は、思わずむきになって反論する。
「違います! 本当に待ち合わせで……」
「なんだよ、そんな恰好して、違うって言う方がおかしいじゃん。それにさぁ、本当に待ち合わせだったとしてももう来ないんじゃね? けっこう待ってるよね、君さぁ」
男の言葉が、心に突き刺さる。頭を強く殴られたようなショックを受けた。
やっぱり、もう先生は来ないのだろうか。そんな予感はしていた。でも、信じたかった。彼は来てくれると。でもそれすらただの夢だったのかもしれない。現実を突き付けられ項垂れる私は、まるで夢から覚めたピエロみたいだ。
「ほら、意地張らないで。行こうよ。俺いい店知ってるんだ」
「! ちょっと、やだ! 離して」
突然腕を掴まれて、私は大きな声をあげてしまった。距離が近づいたことで気づいたが、男の吐き出す息から、アルコールの臭いがする。
気持ちが悪かった。背筋にぞわりと悪寒が走り、恐怖に立ちつくす私。
その時、男の向こう側から来た車のヘッドライトが、私と男を照らした。眩しさに目がくらんで、反射的に目を閉じる。目を開けた時には、その車はすでに道端に停車されていて、開いたドアから私の焦がれ続けていた人が出てきた。
私の高ぶる感情を、心臓が顕著に示し始める。私と男のところまでやってきた先生は、私と男がもみ合っているのを一瞥して、涼しい顔で口を開いた。
「……何をしてる?」
「せん――……」
言いかけて、私ははっとして口をつぐんだ。駄目だ。“先生”なんて呼んだら、先生に迷惑がかかる。
「んだよ、邪魔すんな……!」
男は苛ついたように声を荒げつつ勢いよく先生を振り返って、けれどすぐに勢いを失って息を呑んだように押し黙った。
無言の圧力。先生は何も言わず、表情も変えず。けれどその冷静な瞳だけで、男を威圧していた。