第十二章 “Secret Night ,A Kind Of 「Slight Fever」”〔4〕
私に引き止められても、先生は意外だという顔はしなかった。
私の要望のままに、立ち上がるのをあっさりやめた先生。
必死につかんだ彼の服の裾を、離すタイミングを見失う。
すると体温の上がった私の指先に、ひやりとした先生の指先がふれた。
思わず起き上がったままの私だ。
さっきと同じように、もう一度腕を背中に回されて寝かせられでもしたら、それこそ心臓が持たない。
急いで横になり、布団を手繰り寄せる。その拍子に彼の指先は自然に離れて行った。
「すいません、引き留めて……やっぱり、一人でも大丈夫です」
布団の下から発した私の声は、迷いを帯びて揺れていた。
先生の視線を避けるように、私は鼻先まで引きあげた布団の中に、伏せた不安定な視線を移した。
そうやって隠れてみても所詮悪あがきだ。布団の向こう側のきれいな眼差しは確実に私を見て、私の声を聞いている。そして先生は、今度は立ち上がろうともしなかった。
「いない方がいい?」
私の様子をうかがって、私の意思をすべて叶えようとでもするような、若干甘い声のトーンに胸が騒ぐ。
そういう言われ方をすると困ってしまう。
微妙な心境なのだ。居てほしいけれど、居られると戸惑ってしまう。
「そうじゃ……ないですけど。風邪をうつしてしまったら大変なので」
「いいよ、別に。君にうつされるのなら、それも悪くない……」
布団の中に向いたままの視線が、どきりと揺れる。
いつもストイックなくせに。どんな顔をして言っているんだろう。
加熱したように熱が上がっていくのを止められない。そういうことを言わないでほしいのに。
まごつきながら、私は尚も畳み掛ける。
「そっ、それに、ここに居ても退屈じゃないですか? 本も読めないし」
「退屈はしないさ。……君が居ればね」
即答でそんなことを言われてしまっては、最早返す言葉はなかった。
馬鹿の一つ覚えのように、私は布団を強く握りしめて縋りつく。
先生のベッド。先生のにおい。まるで抱きしめられているみたいだ。
静かな彼の瞳と対照的に騒ぎ続けているのは、幸せと切なさの中間みたいな私の心。
恐る恐る顔を上げると、すぐに目が合う。
もうこれ以上、――そんな目で見ないでほしい。
しんとした空間で二人きりの沈黙に耐えかねて、私は痛むのどから声を絞り出す。
「すいません。こんな迷惑を……明日は早く出ていきますから」
発した声ごと私を見ている彼は、そんな私の心配など全く意に介していない様子だった。
「余計なことは考えなくていい。そんな状態じゃないだろう」
「鍵をかけないまま出ても、大丈夫ですか? 先生を起こさないように気を付けます」
先生の言うことを無視して、尚も続けるしつこい私。
私が本気なのだと、先生にわかってほしかったのだ。
「私、大丈夫です。きっと明日の朝には熱が下がってます。誰かに見つかったら、大変なことになりますから。見つからないためには、朝早くないとダメなんです、だから……」
一気にまくし立てておいて結局、私はそこで言葉に詰まった。
まるで私を見守っているかのような静かな彼の眼差しは、私の強情な意思を奪っていく。
結局それ以上何も言えず、私はまた布団を引き上げた。
私の横髪が、引き上げた布団につられて、少し乱れる。
すると彼の指先がそっとのびて、私の横髪を梳いていく。
「君は無理をする癖でもあるのか? 真面目なのもいいが生徒なんだから、もう少し甘えていいよ。……ちゃんと面倒を見てやるから」
穏やかな声は私の耳をくすぐって、熱に浮かされた心を締め付けた。
他の生徒がこんなことを言う先生を見たら、さぞ驚くだろう。
意外な一面、なんて言われるかもしれない。
「センセイだからですか? 生徒の面倒を……見てくれるんですか?」
試すように、私は布団の中からそっと彼に問いかけた。
私らしくもない。彼の心の中を、推測しているくせに。
やっぱり私は先生の指摘した通り、優秀なふりをしたずるい生徒だ。
「さぁ、どうかな……俺はそんなに優しい教師じゃないけどね」
彼も私のずるさを感じただろうに、批判することなく答えてくれる。
私の望む答えを。ちょっとだけはぐらかして、焦らすように。
やっぱり私を甘やかす彼に、寒気ではなく背筋がふるえた。