第十二章 “Secret Night ,A Kind Of 「Slight Fever」”〔2〕
「ひ、一人で大丈夫です」
上ずった声で言って、私は首元まで布団を引き上げた。
まだ誰にも暖められていない、シーツの冷たさが身に染みる。
彼の視線を感じながらも、私はぎゅっと目を瞑った。
私が眠ろうとしたことで納得し、彼はあちらの部屋に戻ると思った。
思った通り、瞼の向こう側から私を見下ろす愛しい人は、しばしの間をあけて離れて行った。
けれどすぐにこの部屋から消えると思っていた彼は、なかなか気配を消さない。
しびれを切らし、薄目を開けて様子をうかがってみると、彼はなんと、パソコンの前の椅子をベッド際に持ってきたところだった。
近くに座った彼が私の顔を覗き込もうとするので、私はあわてて目を閉じる。
安らかな寝顔を演じるのに苦戦する。寝たふりがこんなにも難しいなんて。
眠っていないのを気取られるかもしれないと思うと、余計に緊張する。
目を閉じていても、意識は瞼の向こう側の彼に置いてきたまま。
ベッドに横になろうと、いくら体がだるかろうと、一向に眠気はやってこない。
眠れるわけがないのだ。こんな薄暗い中彼の部屋で、しかもベッドの上で。
すぐ近くに愛しい人の目線を感じているというこの状況で、落ち着いて休めるわけもない。
よけいなことばかり考えてしまうのだ。
彼は、いつもこのベッドで眠っている。そこに今、私が眠っている。
愛しい先生に、包まれる感覚。もし、一緒に眠ったなら――
また、私は何を考えているの。寝たふりをした意識に積み上がる動揺。
どうかしている。熱でおかしくなっているのだ、そうとしか考えられない。
「眠れない?」
絶妙なタイミングで動揺を煽られ、強くどきりとした。
やはり、寝たふりは完全に見抜かれていたのだ。
心まで暴かれた気持ちで、けれども私はばれていようとも寝たふりを続行することに決めた。ばれたからと言って、あっけなく寝たふりでしたと認めるのも気まずい。
すると瞼の向こう側で、彼が見透かしたようにふっと笑った。
「もう少し、演技は上手くやらないとね。……俺が試してやろうか?」
またも彼の台詞が、意味深な響きで私の動揺を逆なでする。
自らの鼓動に踊らされながらも、私はかたくなに目を閉ざす。
寝たふりの顔を見られることすらも、恥ずかしい。
ふと、突然額にひやりとしたものがそっと触れて、ぎりぎりだった私はひどく心臓をやられた。
前髪をよけて私の額の熱を感じとっているのは、どうやら彼の掌。
演技に集中しなければならない私は、されるがままでいるしかない。
かたくななままの私の前髪を、彼がなでつけて整える。
もう一度小さく笑いをもらした彼は、立ち上がる気配の後、ついに部屋を出て行ったらしかった。
眠気なんてみじんも感じていない目をそっとあける。
ずいぶんと暗闇に目が慣れていた。暗くても大体のものは見える。
人の家の人の布団だというのに、遠慮という言葉を忘れた私は、頬まで布団をかぶりこんだ。寒気がするのだ。
毛布があればもっとよかったのだけれど。
この季節に毛布を使っている人なんていないだろう。
そんなことをぼんやりと考えながら油断していたその時、彼が再び現れたので、私は内心で慌てふためいた。
一応、私の中では寝たふりを貫き通したことになっていたところだ。
完全に目をあけたままの私の視線と、愛しい視線が真っ向からぶつかる。
けれども私が寝たふりを完全に暴かれて狼狽していることなんか、彼にとってはどうでもいいことだったらしい。元のようにすぐ近くの椅子に座って、彼は持ってきたグラスをベッドのサイドテーブルに置いた。
続いて彼がとったのは、驚くべき行動だった。
突然伸びた彼の腕が 遠慮なく布団の中に差し入れられ、私の背中を捕まえる。
「っ、あのっ!?」
切羽詰まった私の叫び声が、薄暗い部屋に浮かんで消えた。
布団の中で温まっていた体に、彼の腕はひどく冷たく感じて。
奪われていく体温と一緒に、心も奪い取られそうな気持ちになる。
彼が横になった私の背中に片腕を回しているので、ずいぶんと距離が近い。
暗闇に慣れた目に、いつものようにとてもきれいな先生の顔が映る。
片腕で抱きしめているとも言えるような格好で、なおも私の顔をじっとのぞきこむ彼。
この距離は落ち着かない。いっそ暗闇で見えない方が動揺が少なかったかもしれないと思った。