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第十二章 “Secret Night ,A Kind Of 「Slight Fever」”〔1〕




 一瞬ためらった後、私の足は彼のもとに向かい動き出した。


 まるで忠実に飼いならされたペットのようだ。

 皮肉にそんなことを思ってみても、結局私は先生に従ってしまう。

 言いつけを守って目の前まで来た従順な生徒を、彼は見上げた。





   第十二章 “Secret Night ,A Kind Of 「Slight Fever」”





 いつもとは違った目線の高さは、どうにも落ち着かない。

 無音の中、流れる親密な空気が私をそそのかしていく。

 先生はその心の中で、もしかしたら私を……。

 何度も何度もその可能性にたどり着いては、熱を孕んだ身体を持て余す。


 突然、彼の手が落ち着きを忘れた私に向かって伸びた。


 強くどきりとした私は、反射的に身をすくませる。

 そんな私のことなんてお構いなしに、彼の手は私の後頭部――首元近くを捕まえ、強引に引き寄せた。


 私の横髪が、座って見上げたままの先生の顔にぱらりとかかる。


 左右に落ちた髪で囲われた視界の中に見える、先生の瞳。

 それほど近い距離感。私はすぐにパニックに陥った。

 動けないようにしっかりと私の後頭部を固定したまま、先生は反対の手で、私の前髪を遠慮なくかき上げる。


 髪をよけた視界が、少しの広がりを取り戻す。

 同時に私よりも大きな男の人の掌が、額にぴたりと当てられた。

 熱を測られていると、気づいた時にはすでに手遅れだった。


「熱いな……」


 やっぱり、というような言い方で、彼は少しだけ苦い顔をする。

 最悪だ。隠し通そうと決意した矢先、あっけなくばれてしまった。

 すぐに私を開放した彼は、ソファから立ち上がった。


「ベッドを使っていいよ。風邪薬を探してくるから、大人しく寝ておくように」

「いいえ、私、ソファを借りて寝ようと思っていたんです」


 空いたソファに座りながら、私は先生の言いつけを断った。

 いくら従順であろうとも、こればかりは譲れない。

 先生は呆れたように小さくため息をついた。


「病人が言う台詞じゃないな。さっき言ったことが聞こえなかったのか」

「病人なんて、大げさです。熱だってほんの少しで、たいしたことないんですよ」


 鍵を忘れた自宅の前でごねた時と同じように、私は気丈に振る舞った。


 二度目なのだ。今度こそは絶対に甘えてはいけない。

 先生のベッドで私が寝れば、先生はソファで寝るしかなくなる。

 私は譲らないとばかり、かたくなにソファに陣取った。

 そんな私に、彼は強くたしなめるような視線を寄越す。


「聞き分けのない生徒にいちいち手を焼いてやるほど優しくないよ、俺は。君がそこまで強情なら、俺が連れて行って寝かしつけてやってもいいが……どうする?」


 そんな台詞を投げられようとも、私は怯まなかった。


 どうせまた、からかっているだけだろうと思ったのだ。

 いくら単純でも、私はそこまでお子様じゃないし学習能力くらいある。

 また動揺して彼に従えば、私は最悪に面倒な生徒になってしまう。


 かたくななまま反応を示さない私。

 黙ってソファの革張りを見つめているとき、それは急激に起こった。

 彼が私に手をかけた瞬間、ぐるりと回る視界。


「っ!?」


 驚いたあまりに、息をのんだ悲鳴は悲鳴にならなかった。

 ようやく落ち着いた視界に映る床は、一歩ずつ移動している。

 けれども私は断じて歩いてなどいない。

 それどころか、宙に浮いたような足は、床についてすらいない。


 つまり、先生が私を抱き上げて運んでいたのだった。

 抱き上げたというか、肩に担ぎ上げたというか。

 ゆっくりと移動する床と先生の背中だけが、視界に見て取れる。


「あの……下ろしてください」


 遠慮がちに言ってみても、彼は反応を示さない。

 無言のままマイペースに、そして強制的に私を運ぶ彼。

 先生に当たらないように気を付けながら、解放されようと足をじたばたと動かしてみたけれど、しっかりと固定した彼の腕は私を離さなかった。ついに私は必死になる。


「下ろしてください! 先生!」


 悲鳴のような声で叫んだ瞬間、私の視界がまたぐるりと揺れた。


 いつの間にかベッドルームにたどり着いていたらしい。

 されるがままにベッドに腰を下ろした私のために、先生が布団をめくる。

 布団とシーツのこすれ合う音が、妙にリアルに耳に届いた。


 先程よりも時間の遅い室内は、ずいぶん暗かった。

 そういえば特段意識はしなかったけれど、私が風呂から上がった時、すでにあちらの部屋には電気がついていたのだ。もう日も短い季節だ。


 大した距離でもなかったのに、彼は宣言した通りに私をベッドまで連れてきた。


 そっと彼に押されて、ベッドに沈む身体。

 抵抗する暇も余裕もなかった。触れるシーツの感覚に惑わされる。

 連れて行って“寝かしつけてやってもいい”と彼は言ったのだ。


「一人で眠れるか?」


 落ち着かない私の心を逆なでするように、彼が甘く私に問いかける。

 この人は、やっぱり大人で私なんかよりも一枚も二枚も上手だ。


 レースカーテンの向こう側からは、もう光は入ってこない。

 暗さを増したベッドルームの中の、頼りない視界。

 目を凝らすと彼の表情は伺えたけれど、その心の中までは読み取れなかった。




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