第十一章 “Secret Night ,A Kind Of 「Accomplice」”〔8〕
いつかも経験したような状況の中、けれども今回渦中にいるのはタカシでなく私だった。
あの時は、先生の視界の真ん中に自分が映りたいと思った。
けれど実際その状況に置かれてみると、どこか穴を見つけて入りたくなるような耐え難さがある。
まただと思った。彼の大人の余裕を前に、生徒は無力にさせられる。
タカシのたばこを見つけた時も、彼は高見の見物を決め込んでいたのだ。
今回も、私が最も追いつめられるタイミングを見計らい、彼は声をかけたのだろう。
けれどもセンセイのくせに説教する気配もない彼は、いつものように口角をちょっと吊り上げ、背中で壁にもたれかかって腕組みした。
「やはり君は優等生のふりをしていただけらしい。完璧な演技力だ」
「……、別に私は、いつも吸ってるわけじゃありません……」
と弱い口調で言ってみたものの、まだ私の手の中にはたばこがある。
今まで優等生でいい子にして生きてきたのだ。
悪いことをして咎められる状況には慣れていない。
気まずさとばつの悪さに、私は隠しきれないまま表情を崩した。
潔く認めて反省するべきなのに、彼の嫌味にもとれる直接的でない責め方を受けては、つい狼狽してしまう。
じわじわとした風邪の痛みが喉に張り付いていた。
単刀直入に、センセイらしく怒ってくれればいいのに。
緩く教師である彼の前では、みっともなく言い訳するしかなかった。
「これは、その……やってみたかっただけです」
「どうしてそんなことをやりたがる? よりにもよって教師の家で。……また、背伸びしてみた?」
先生は容赦なく私を追いつめる。対する私は何も言えない。
どうしてたばこなんて吸ったのか、それは先生が好きだからだ。
いつか私は、背伸びしてみても子供だった、と彼に告げた。
だからその台詞を使われると、やっぱり子供だなとでも言われているように感じる。
「悪いことをした生徒には、それなりの処分が必要かな……」
処分、という重い言葉にどきりとした私は、思わずひるむ。
たばこを見つかった生徒への処分。謹慎とかだろうか。
それともまさか、停学とか……。深刻な展開を覚悟して彼を見ると、深刻と思ったこの状況とは不釣り合いに、彼は面白そうな顔をしていた。
そういえば彼は、学校内でたばこを見つけても見逃していたのだ。
その上私は先生の自宅にいるのだし、学校に知らせるとしても、状況の伝え方も難しい。
当然、そんな面倒は彼も避けたいところだろう。
つまり先生は、私を脅して面白がっているだけなのだ。
私がいちいち動揺するのをいいことに、彼は私を手玉に取るばかり。
悔しいけれど、私には対抗する手段はない。
第一今はたばこを吸おうとした私が悪い。自業自得だ。
風呂上がりの彼は素足だった。
フローリングの床の上をひたひたと歩き、私の眼前まで来た彼は、私が手に握ったままだった一本のたばことライターを奪った。
まるで手本でも見せるように。
慣れた彼は、たばこをくわえて易々と火をつける。
さっきまで私がくわえていた、少し短くなったたばこ。
それが今は、先生の口元で煙を立ち上らせている。
彼は私が使ったものだとか、少しも気にした様子もない。
逆に気にしたのは私の方だ。
至近距離で、いつもはワイシャツの襟の下に隠れている彼の首元が、ラフな服によりさらけ出されているのが見えて それが妙に気になる。
適当にドライヤーをかけたのか、彼の髪はまた少し濡れ気味だ。
男の人相手に、こんなに色気を感じることがあるなんて知らなかった。
彼の手元から上がる細い煙、苦いたばこのにおい。
お子様な私には、たばこの味は知ることはできなかった。
もし彼とキスをしたら、苦いその味を知ることができるだろうか……?
そんなことを考えてしまい、私は自分で自分に驚いた。
一体何を考えているの、と頭の中で叫ぶ。
熱を孕んだままの体がさらに過熱していくようだ。
ついに自分の思考にまで動揺を誘われはじめる、お粗末な私。
さっきの処分という単語が、頭にまとわりついている。
そういえばユキは彼氏の家に行ったとき、掃除とか洗濯とか、いろいろやっていると言っていた。
「私っ、なんでもします! たばこを吸った罰として、掃除でも洗濯でも何でも……」
私はセンセイである彼に必死で訴えた。
別に彼女を気取る気はないけど、とにかく“処分としての”仕事がほしかった。
彼が学校に告げ口しなければ、私には何の処分もない。
だからせめて“処分として”何かしないと、私の気が済まないのだ。
悪いことをした後の罪悪感は、想像よりもはるかに重かった。
それにどこへ向かっていくかわからない自分の思考と動揺を、他のことをしてどうにかごまかしたかった。
……片付いているこの部屋を前に、掃除も洗濯も無いとも思ったけれど。
「いいよ、そんなことは。君はただ、そこにいるだけでいい」
ガラステーブルからさっきのチューハイの缶を掴んで、移動しながら彼は言った。
気だるげにソファに座った彼は、すっかり灰皿と化した缶に灰を払う。
マイペースな彼に話を流されてしまいそうでも、私は引き下がらなかった。
このままいけば、先生はまた読書をはじめるだろう。
そうなれば間が持たないし、彼の近くにいては、どうしていいかわからないのだ。
「そうはいきません、何かしたいんです」
必死な私の訴えが通じたのかどうなのか。
彼はまた、もう少し吸えそうなたばこを、惜しげもなく缶に押し付けた。
少し考えるような間をあけてから、彼は私を観察するようにじっと見る。
「そうだな、君がそこまで言うなら……俺の望みを叶えてもらおうか」
またも降りかかる意味深な台詞に、私は勢いを失う。
あからさまなまでの私の表情の変化をしっかり見つけ出し、彼はふっと息を吐き出すように笑った。
「望み、って……?」
「おいで、神島」
彼が私を招く。彼が私を呼ぶ。彼が私をその瞳に、映す。
その心の中を推測してしまっている私は、必要以上に心をかき乱していた。
彼の行動から推測される、彼の心の中。
彼の存在意義とはかけ離れた、ありえない可能性。
私が彼を想い、求めるのと同じように。――彼もまた、私を求めているかもしれない、と。