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第一章 ”Yes,I Long For You.”〔5〕




 自分で自分の気持ちがわからないなんて、どうかしている。掃除の時間、ゴミの分別の手を動かしながら、私はそんなことを考えていた。

 今まで、こんなことは経験したことがないから、どうしていいかわからないのだ。


 対処の方法があるなら、誰か教えてほしい。――彼に聞いたら教えてくれるだろうか。だって彼は、教える師と書いて“教師”なのだから。そう思ってすぐに、私は自分のその考えの馬鹿らしさに心の中で笑った。


 彼が教えてくれるはずがない。第一自分でも不可解なこの感情を、他人にどう表現できるというのだろう。相談しようにもできない。

 

「麻耶、最近ちょっと変だよ? 熱でもあるの」


 一緒にゴミを分別している、ペットボトルとプラスチック担当のユキが、手を動かしながらも私の顔を覗き込んできた。少し考え込みすぎていたみたいだ。


「え、そんなことないけど……」

「だってぼーっと考え込んでること多いもん。やっと好きな人できた?」

「あはは、……まさか」


 ユキはさらに私に顔を近づけて、いぶかしむような目をする。一瞬何故かどきりとしたけれど、私は笑みを作ってユキに向けた。表面的には平静を保っていたけれど、内心、私は完全にたじろいでいた。


「ユキ、担任が呼んでるよ! かなり怒ってる。今日日直だったでしょ」

「げ! どうしよ忘れてた!」


 教室に入ってきたクラスメートから突然大きな声で言われて、焦ったユキもまた大きな声を出した。


 無理もない。このクラスの担任は、厳格という言葉がぴったりといった感じの50代の男で、日直を忘れたら次の日も日直をさせられる上に、朝早く来て教室掃除という特典までつけてくれるのだ。


「どうしよう、行かなきゃ。ああ、でも今日あたしがゴミ出し当番の日なのに。ゴミ、掃除の時間内に持って行かなきゃなんないよね……」

「あ、いいよ。私が持ってくから」


 面白いくらい動揺しているユキが気の毒で、私は助け船を出した。ユキは天の助けとばかり目を輝かせる。


「え、いいの? ……でも麻耶、場所わかる? 結構わかり辛いとこにあるんだけど、ゴミ捨て場。麻耶はまだ行ったことないでしょ、ずっと体育館掃除やってたから」

「大丈夫、多分わかるよ。それより早く行ってきなって」


 にっこり笑ってあげると、ユキはありがとうとごめんねを何度も言いながら走って教室を出て行った。それを見送ってから、残りの分別を手早く終えて、私はまとめたゴミ袋を持って教室を出る。


 この学校は改築したばかりで、もう教室等は全部新しい校舎に移っているけれど、隣接したところにあるもう使われていない旧校舎が、取り壊しを待ってまだ残っている。


 ゴミ捨て場は新校舎と旧校舎の中間の位置にある。

 友達に聞いたその情報と道順、勘を頼りに探してみたけれど。いつの間にか、私は人気のない旧校舎まで入り込んでしまっていた。


「あーあ……」


 誰も居ないのをいいことに、私は疲れた間抜けな声で呟いた。ゴミ袋は重たくて、持っている指が千切れそうな勢いだった。

 ゴミ袋をドサリと地面におろして、辺りを見回す。私が入学したときにはすでに新校舎が使われていたからここに来るのは初めてだ。


 あたりは静まり返って、空気がしんとしている。地面にへこんだバレーボールがさみしそうに転がっているところをみると、体育館か何かの裏だろうか。


 そんなことを思ったその時、ふと近くに人の気配を感じ、ぞくりと背筋に悪寒が走った。


 掃除の時間に、こんな場所へ生徒が近づくはずがない。工事だってまだ あっていないはずだ。じりじりと心に警戒心と恐怖心が湧き上がってきているのに、変な正義感が私を駆り立てている。


 確かめなくては。確かめて、変な人だったら誰かに知らせないと。怯える自分を叱咤して、足を忍ばせながら近づく。壁の陰に隠れ、慎重に気付かれないように、決死の思いでそっと覗いた。


 ーーその瞬間の私の心の驚きと高揚を、どう表現できるだろうか。そこにいたのは、まさか夢にも思ってもみなかった人物。教室という空間の中、誰よりも大人で、誰よりも冷めた目をして、不可解な感情を私に与えた人。


 月原先生。彼は壁にその長身を預け、もたれかかるように立っていた。ポケットに突っ込まれた片手。気だるそうな表情。投げやりな視線。教室では見せない、だれも知らない彼の姿。


 さっきまでの恐怖心や警戒心は一瞬にして消え去り、その代りに私の頬が、心臓が、どうしようもないほど反応している。


 彼は私に見られていることになどまるで気づいていない様子で、ポケットから突っ込んでいた手を出した。その手に握られていたのは、一箱のたばこ。見覚えがあった。それはこの前タカシから没収した、あのたばこだったのだ。


 箱を軽く振り、頭を出した一本を取り出した先生は、それを右手の人差し指と中指ではさんで口にくわえた。


 目が離せない。彼の長い指が取り出したライターをかちりと鳴らし、くわえたたばこの先に火がともる。ほどなくして、立ち上がる小さな煙。授業中は虚ろなはずの彼の目に光を見つけてしまったから、私は一瞬で魅了されたのだ。


 “――落ちるもんなのよ、恋は。”


 どうして、今、ユキのこんな言葉を思い出したの。自分で自分に問いかけてみても、その答えは出なくて。私は固まったように、身動きひとつできなかった。唯一動かせる目だけが、自然に追いかけている。彼の仕草を。知りたくてたまらなかった、教室じゃ見たこともない表情を。


 きっとあれがセンセイじゃない、彼自身の顔だ。


 恋に落ちる瞬間があるというのなら、今、まさにこの瞬間こそがそれだと思った。否、もしかしたらもうとっくの昔に恋に落ちていたのかもしれない。先生に向いた、不可解な感情。すべてのつじつまが合うのだ。


 自分がそんなに子供じみているとは信じたくない。信じたくないけれど。でも、この気持ちは――……


「……のぞき?」


 突然こっちを向いた彼が、私に向かってそう言った。ぶつかる目線。心臓を鷲掴みにされたような衝撃に、私は思わず、息を呑んだ。




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