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第七章 “If You Please,”〔6〕



 すぐ近くに、息遣いを感じる。鼓動を、ほんのわずかな身じろぎを。


 時間の感覚を忘れてしまう。ほんの数秒なのか、それとも数分経ったのか。そんなことも気にならないくらいに必死になって、私は先生にしがみつく。先生は、そんな私を拒絶しなかった。


 やっと届いたのだろうか。私が、“生徒じゃなかったら”……? そのあとに続く言葉は、私の思っているのと同じだろうか。


「先生……」


 昂ぶる愛しさもそのままに、思わず彼を呼んだ。すると私の声に反応したように、先生はほんのわずか、身じろぎした。やがて彼は私から体を離す。一緒に離れていく、暖かな愛しさ。


「……先生?」


 少し不安になった私は、今度は疑問の意をこめて再び先生を呼んだ。まだ至近距離で私を見ている先生の表情に、見え隠れする不安定な色。つなぎとめるように、私はとっさに先生の腕を強くつかんだ。


 先生は小さく笑った。自嘲的なような、陰りを含む笑い方。そんな笑みを見せられるたび 私が惹かれてしまうことを、彼はきっと知らないだろう。


「限界かな……」


 その唇から小さくこぼれていった、言葉の意味は。私の見上げる愛しいひとは、今一体 何を思っているのだろう。


 何か言おうと、私が口を動かしかけた、その時。それまでの静寂を破るように、ふいに機械音が図書室に鳴り響いた。私のスマートフォンの着信音だ。学祭でユキと連絡を取り合うために、ポケットに入れていた。そのままマナーモードにし忘れていたようだ。


 彼は一応センセイだから、私は一瞬戸惑いの視線を彼に向けた。けれども彼は、取り上げるようなそぶりは見せなかった。そうだ、誰も見ていないこの場所で、彼が職務を実行するわけがなかった。


 すぐ止むかと思ったけど、着信は意外にしつこい。無視することもできず、とりあえずポケットから取り出した。ユキだと思ったのに、着信はタカシからだった。こっちから切ってしまおうかと思ったけど、さっき告白をされたときの罪悪感が邪魔をする。


「着信なんだろう。出ていいよ」


 困惑する私を察したように、らしくもなく先生がフォローしてくれた。フォローと言うか、うるさい着信音を止めてほしかっただけかもしれないけど。とにかく先生の後押しも手伝い、ためらいがちに、私は通話ボタンを押した。


「……もしもし?」

『麻耶? 今いいか?』


 スマートフォンの向こう側から聞こえたタカシの声は、いつもどおりだった。それにちょっと安心した私は、もう 早く電話を切ることを考えていた。


 目の前には先生が居るのだ。それにやっと彼に近づいてここまできた。今こそが貴重な時間だ。用事があるなら後にしてもらうしかない。


「今はちょっと……」

『いいから、ちょっとさっきの場所に来い。今すぐだ。……来ないなら、お前にとって良くないことになるぞ』


 私の言葉を遮り 脅迫のようなことをまくしたて、電話は一方的に切れた。電話の切れた後の規則的な電子音を聞きながら、私は唖然とする。さっき告白された時のしおらしさは、どこに行ったというんだろう。


「呼び出しか? 行ってくるといい」


 やっぱり察しの良い先生が、そんなことを言った。本当は行きたくない。けれどタカシの脅迫まがいの言葉が気になった。タカシには知られてしまっているのだ。私が先生に思いを寄せていることや、英語準備室に通っていたこと。やましいことなんて何もなかったけど、噂にでもされたら大変だ。


 それに今、……抱きしめられたのだし、もう以前とは違う。わかるのだ、そんなことは。わかるけれど、理屈だけじゃ動けない。どうしても今、ここにいたい。


 今部屋を出たらまた、無かったことにされてしまうんじゃないかとか。不安が不安を呼び、気持ちがごちゃまぜになって私の足を引き留める。


「でも……」


 不安をそのまま吐き出したような、情けない声が出た。言ってしまってからすぐに、まずいと思った。先生は甘くない人だ。すがるようなことを言ったら突き放される。けれども彼の口から出てきた声は、予想に反した言葉を紡ぐ。


「俺はここにいる。どこにも行かない……」


 静かな声音にどきりとする。


 先生は多くを語らない。けれどその一言だけで、大丈夫だと言われたようで。そのまなざしに、いつかと同じやわらかい色を見た。切なさは確かな愛しさになって、私を支配していく。


 静まり返った図書室の、静寂を一時 抜け出して。私は理不尽に呼び出された場所に向かう。もう一度ここに戻ってくる時を、何度も思い描きながら。



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