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第七章 “If You Please,”〔5〕




 その瞳に少しの揺らめきを湛えたまま、先生は測るように私を見ていた。まるで、張り巡らされた 甘い罠のように。彼にすべてを見透かされてしまいそうだと思った。


 熱に浮かされて我を失っていた私の感情は、意志を持った先生の視線にさらされて、巧妙に熱を奪われる。はっとすると同時に心臓が早鐘になり、私は戸惑いを思い出す。


 好きなように揺さぶられ、かき乱される私の心。意識したわけじゃないけど、結果的に自分から踏み込むようなことを言ったくせに、私はまたあっけなく翻弄されるだけ。


 けれど後に引くつもりはない。別に、私にとっては突飛なことじゃないのだ。先生に触れたいということ。ただ言葉にしなかっただけだ。


 私から触れることは叶わない、イメージに反して暖かい先生の手に触れたい。先生の頬に掌を当てて、その唇にキスをしてみたい。そんな想いは、絶えず私を支配し続けてきたのだから。


 ふと、のびてきた先生の手が、私の頬に触れる――


 一瞬ぎゅっと目を閉じてしまったけれど、すぐに私は目を開けた。いつも夢見ていた。こんな風に手を伸ばし、彼の頬に触れてみたいと。今は触れられた頬に、彼の温度を感じ取れる。彼を前に 緊張状態が続き、吸っている空気すら重く感じていた。


 見つめる先にいる愛しいひとは、少しの陰りを併せ持ちながらも、確かに私を認識している。


 見つけたい。踏み込むことになるのだとしても。驚くほど深い色をしている、その瞳の奥底に秘められたもの。汗をかいた自分の掌を握りしめ、私は唾を飲み込んだ。ごくりという私の喉の小さな音が、図書室に響いた気がした。


 捕らわれるのなら、寧ろ自分から。別にすべてを見透かされたって構わない。だって私はこんなにも、どうしようもなく……


「先生が、好きです……」


 まっすぐ彼を見つめながらはっきりと告げていた、唐突な私の告白。もう何度目かの告白なのに、先生は驚いた顔をした。


 タカシの告白が私の気持ちを動かさなかったのと同じように。私の告白もまた、先生の気持ちを動かすことはできないだろう。それでもタカシよりも、更木さんよりも、きっと誰よりも強く。この愛しさは、とめどなく溢れていく。


 静まり返った図書室の、沈黙を保つように。先生は黙っていて、私はそんな先生を見つめた。けれど張り詰めていた空気は、一呼吸の後、ふとゆるむ。先生の瞳に切ない色を見た気がして、私は はっとした。


 瞬間、頬にあったはずの先生の手が動き、肩を引き寄せられる。されるがままになりながら、私は目を見開く。見える全てが、スローモーションのよう。わけのわからない中、彼の胸のあたりに私の顔が当たった。


 あの日、キスをされそうになったときのように、乱暴じゃなく。けれどやさしいわけでもなく、ただ単にゆっくりとした彼の動作で。いつの間にか私は、その胸に抱きとめられていた。


 心臓が止まるかと思うほど、大きく鳴り響いて。それを最後に、すべての音をシャットアウトしたかのように、何も聞こえなくなる。どうすることもできず、私はひたすら硬直した。


 ……こんなの、夢ですら有り得ない。


 センセイと生徒の壁を、どうしても越えられないと思っていた。彼は大人で、私は子供で、簡単にあしらわれるだけだと。私があがいても、最後には彼に背中を向けられるだけだと。


 時折“男の人”の一面を私に見せようと、“感情的”になろうと、彼はあくまでも“センセイ”なんだと。そう思っていた。それはわかりきった事実だった。だからこそあがいていた。それなのに……


 ――“だけど麻耶、考えたりしないの?”


 いつかのユキの声が、私の脳裏に鳴り響く。なすすべなく立ち尽くす私の背に、彼の腕が回されている。包まれるような暖かさに、思考は完全に停止状態になっていく。真っ白な頭の中、浮かび上がったユキの声が続ける。


 ――“つまり、先生にとって特別なのは……”


「君が……生徒じゃなかったら」


 ユキの声の途中で 頭の上から降ってきた、先生の押し殺したような声。嬉しいのか、切ないのか、泣きたいのか。どれか分からなくなるくらいに、ぐちゃぐちゃな自分の気持ち。思わず、彼と同じように彼の背中に腕をまわし その服をつかんだ。


 もう、だめだと思った。私はどうしてもこの人が好きだ。コントロールできない、自分の感情の渦に飲まれていく。


 この人が、愛しいと。私のすべてが訴える。震える指先を、悟られたくない。どうか彼に伝わらないで。





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