第七章 “If You Please,”〔2〕
まるで意外なことでも聞いたかのような表情で。機械的にページをめくっていたはずの先生の手が、止まった。そんな先生の様子を、私もまた、意外な目をして見ていた。しばらく考えているようだったけれど、やがて彼は 再び自分を取り戻したらしい。
「ただの、気まぐれかな」
適当に一言で片づけて、先生は再び読書に入る。するとまた、しんとした空気がのしかかってきた。もうあきらめて、私も作業に戻ったほうがいいかもしれない。でも どうしてもあきらめきれない私は、未練たらしく話題を考え出す。
「更木さん、大変なんじゃないですか?」
先生は反応を示さなかったけど、私の声はちゃんとその耳に届いていたらしい。ページをめくりかけていた、彼の手が止まって。読書を邪魔されたからか、何度も質問を投げつけられたからか。その口から、少し重い ため息が出てきた。
「彼女はやる気があるようだったし、仕事を任せておくのに不足はないから」
淡々と述べる、その建前はいつも一流だ。そしてやっぱり、彼は生徒に対して容赦なくつめたい。更木さんは先生と一緒にいたいがために、代表になったのだ。この間告白されているんだし、先生だってそんなことわかっているはずなのに。
「冷たいことするんですね」
思ったよりも低い声が自分の喉から出てきた。別に更木さんのことを気にしていたわけじゃないけど。昨夜車の中で、先生に対して反抗的になった自分と今の自分が、似ていると思った。
だけどどうしてだろう、私は矛盾している。あの時私は、センセイであろうとする彼を非難した。けれど今は、あまりに薄情なまでに“センセイとしての優しさ”を放棄した彼を、非難している。
いつかトイレで洗い流せなかった、下手な化粧とか。初めて乗った車の中、告げもできなかった私の想いとか。彼に与えられた愛しさと同時にある、たくさんの涙。きっと更木さんも今、私と同じ思いをしている。
ややあって、少しためらいがちに 先生が口を開いた。
「希望に満ちた生徒たちの将来を、摘み取るような真似はしないさ。君も例外じゃなく……ね」
男の人にしては長いまつげが、彼の端正な顔に小さく影を落とす。先生のその言葉は、しんとした学校の図書室に違和感を残していった。
いつも彼が前提としている、教師の建前とか義務とか。今彼が言ったことは、それらとは また違う意味を含んでいるような――そんな感じがした。
何が言いたいのか分からないまま、私は先生、と彼を呼んでいた。それを合図にしたかのように、先生はパタンと本を閉じる。
「他で仕事があるんだ。ここは君に任せるから、適当にやっておいて」
立ち上がって、本を本棚に戻し終えた彼は、そう言い捨てて本棚の陰に消えていく。仕事なんてきっと口実だ。さっきまで本を読んでいたんだから。
彼が扉をあけて出ていく音が、しんとした図書室に寂しく響く。窓際にポツンと取り残された椅子が、私みたいだと思った。