第六章 “Waviness”〔7〕
その夜は、眠れなかった。次の日、例によって私の目の下のクマをユキが発見する。お決まりの流れで、私は昼休みに質問攻めにされていた。
混乱した頭の中は、一夜明けても整理されることはなく。私はありのまま、起こったことのすべてを、包み隠さずユキに話してしまった。
「先生が、全然わからない」
食欲もなくて、あまり手をつけていない弁当を眺めながら、私はユキにもらした。先生の考えていることが、全くわからないのだ。先生の様子がどこかおかしいことはわかっているのに。結局彼のことを何も理解できない自分が、もどかしくて仕方なかった。
ユキはそんな私をちらりと見てから、うーん、と考えるように唸ってから口を開く。
「根拠を掴んでから、相手の思ってることを予想する。そういう確実で冷静な考え方、麻耶らしいとは思うよ。今の時点で、月原先生の心の中は不明だね」
言って、ユキが私の瞳をのぞきこんできた。
「だけど麻耶、こんな可能性は考えたりしないの? 先生に変な態度とらせてるのは、麻耶のせいかもしれないってこと」
ユキの言った意味は分からなかったけれど、なぜかどきりとする私。ユキは神妙な顔をしていた。冗談を言っている顔ではない。けれどその言葉を鵜呑みにしないように 慎重に、私はユキに問いかけてみる。
「……どういうこと?」
「つまり先生にとって特別なのは、更木さんでも、他の誰でもない。特別なのは――麻耶だ、って」
核心を突くときのような、ユキの話し方。考えもしなかったその可能性に、私は一瞬 放心してしまった。
先生にとって特別なのが、私――……?
一瞬さっきよりも もっとどきりとしたけれど、すぐに思い直し、私は心の中で苦笑する。そんなこと、馬鹿らしいほど あり得ない話じゃないか、と。けれどユキの言葉は、簡単に私の心を強く揺さぶっていた。
今日は、先生の授業はなかった。彼の姿を見ることもなく、戸惑いの中 迎えた放課後。今日から実行委員は、放課後に学祭の準備が入っている。私は仕事の内容を先輩に聞いた後、ひとりで図書室に向かう。本を紹介する張り紙を作ったり、感想文を選んで表示するなど、地味だけど大変な作業だ。
だけど地味なだけに、人数が少ない。やっぱり私一人だけでやるなんてあんまりな話だ。せめてもう一人でも増やしてくれたらよかったのに。この人数配分も、図書整理係がみんなに避けられてしまった要因だろう。
実行委員以外の生徒たちで部活をしてない人は、できるだけ手伝いに入ることになっている。でもこの地味さじゃ、存在自体気付いてもらえないだろう。ユキが部活が終わったら手伝いに来るって言ってくれていたけど、ユキはいつも帰りが遅いのだ。いつになることやら。
誰もいない、ひっそりとした図書室。しんとしたまま作業を行っていると、後悔は尽きない。あのとき、代表を決めるとき、立候補すればよかったと。今頃更木さんは、先生と一緒に打ち合わせ中だろうか。私はこんなところで一人で苦労するだけで、ユキの好意を無駄にしてしまった。
落ち込んでいく気持ちを、無理やり叱咤する。落ち込んでいてもはじまらないのだ。
ふとその時、入口のほうから扉の開く音がした。そのまま 誰かが入ってくる気配を感じる。本棚で死角になっていて見えないけれど、多分ユキだ。
「ユキ、早かったね。来てくれて助かっ――」
入口に向けて発せられた私の声は、私の息を呑む音とともに 不完全なままそこで途切れた。 彼の姿を認識するといつも、私は一瞬、言葉を失ってしまう。
本棚の陰から姿を現したのは、ユキではなく月原先生だった。
どうしてここに彼が来たのだろう。更木さんと準備しているはずだ。驚く私と同じように、先生もまた、意外な目をして私を見ていた。
きっと先生のことだから、どの生徒がどの係りか、なんて、覚えていなかったんだろう。勿論、私が図書整理係だということも、先生の表情を見れば、知っていてここに来たとは思えない。もしかしたら、図書整理係の存在すら知らなかったのかもしれない。
すぐに彼の視線は逃げていくと思ったけれど。先生は、私から目をそらさなかった。お互いの視線が、正面からまっすぐに交わる。昨夜 雨の中見た彼と、今日のユキの言葉が、私をより一層惑わせて。