第六章 “Waviness”〔5〕
先生の手を強く握った私の手。そんな状態のまま、しばらく二人とも動かない状態が続いていた。開いた傘の上を、雨粒がボタボタと強く打っている。
頭は空っぽだった。ただ、彼への想いを募らせて。彼の手に触れる 私の手が、ゆっくりと熱を持ち始めていた。
そのイメージとは対照的に、先生の手はあたたかい。学校では本当に、遠く冷たい存在なのに。アンバランスにも思える その手のあたたかさが、なんだかすごく“近い”気がして。もどかしい気持ちに支配され、思わず私は顔をゆがめる。何故だろう。とても愛しいのに こんなに切なくなるのは。
ふとその時、それまで動くことはなかった 先生の形の整った唇が、静かに動いた。
「……神島?」
彼の声が、少しいぶかしげに 私の名前を紡ぐ。瞬間、私ははっとして我を取り戻した。そして我に返った途端、私はものすごい焦りを感じていた。
私に引き留められたせいで、傘からはみ出た先生の服の肩のところが、少し雨にぬれている。彼の背中までは見えないけど、きっと濡れてしまっているだろう。こんなところで無意味に引き留められて、不愉快なはずだ。
せっかくわざわざ傘を持ってきてくれたのに。これじゃ彼の行為を台無しにしてしまったようなものだ。
もしかしたら、手を振り払われるかもしれない。今度は傷つくことへの恐れで、動けなくなって行く私。そうしながらも、これまで彼に与えられたつらい経験から、私はうつむき 瞬時に覚悟していた。
けれどもいくら待っても、私の手は振り払われることはなく。恐る恐る彼を見上げてその顔色をうかがった瞬間、どきりとした。深い色を湛えたその瞳が、私を静かに映し出している。冷たいわけじゃない。怒っているわけでもない。どこか優しいような、でも優しいわけじゃない、やわらかなまなざし。
「あ……、何でも、何でもないんです」
彼の手を開放しながら、私は上ずる声でなんとかそう言った。