第六章 “Waviness”〔3〕
油断したら、気を失ってしまいそうだとすら思った。なすすべもなく翻弄される。彼の瞳に、そしてうるさく鳴り響く 自分自身の鼓動に。言葉を失い何も言えない私を眺めながら、先生が再び、くすりと小さく笑った。
「俺が怖い?」
試すような言い方で、先生が私に問いかける。彼が怖い? そんなこと、考えたこともなかった。
「いいえ」
きっぱりと言い放った、私の言葉。言い放ったというよりは、言葉が自然に出ていった感覚だ。今度は先生が、目を大きくする番だった。
私がひるむと思っていたのなら、先生は私を見誤っている。このまま連れて行かれたって別に構わないのだ。先生と一緒にいられるのなら、家に帰れなくてもいい。怖くなんてない、ただ先生のことを知りたいだけだ。そう考え至ったところで、ようやく私は少しの落ち着きを得る。
それでもまだ うるさい鼓動の中、彼の視線を 真っ向から受けてみた。しばらくそのままの状態が続くと思ったけど、先に目をそらしたのは先生だった。
「……冗談だよ。真に受けなくていい」
少しの間を置いてから そう言って、先生はハンドルを握り 再び車を発車させた。無表情。先生はいつもの調子を取り戻したようだった。ずいぶん落ち着いてきた私も、少しずつ冷静さを取り戻していた。
それでも さっきの先生の笑みが、ちらついて離れない。きれいな瞳に、少しの陰り。彼があんなことを言うなんて、誰が想像しただろう。ずっと彼の様子はおかしかったけど、今が一番変だ。冗談なんて。そんなの、全然らしくないのに。
あんなことを言って、彼は何がしたかったのだろうか。彼の心はあまりに遠くて、全然読めない。
先生の横顔が、対向車とすれ違うたび、ヘッドライトの光に小さく照らされる。運転中の彼は、授業中と同じようにストイックだ。――その瞳の奥で、一体何を考えているの。
「早く帰らないとね。ご両親が心配しているだろう」
ふと、先生がセンセイらしいことを言った。今さら教師面をしようとする彼に、私はむっとする。さっきセンセイとしての義務を、放棄するようなことを言ったくせに。
「センセイみたいなこと、言うんですね」
私らしくなく 少し反抗的に、ぽつりと告げた私の言葉。意外だったのか、先生はちらと一瞬、私を見た。けれどもすぐに また、マイペースに運転に集中するふりをする。
「当然だろう? 君は生徒だ。教師みたい、じゃなく俺は教師だ」
前を向いたまま、先生が静かな声で淡々と告げた。英語の教科書を読む時と同じ、熱のない声。まるで言い聞かせるような言い方だった。言い聞かせているのは、私に? それとも、彼自身に……?
「先生……?」
彼の真意を測りかねて、思わず呼んでしまったけれど、彼の返答はない。
少し回り道をしたけれど、車は元来た道を戻っていく。このまま行けば、やがて目的地にたどり着くだろう。この愛しい時間の終わりが見える。私の家に到着するのも、もうすぐ。