第六章 “Waviness”〔1〕
職員室から荷物をとってきた先生は、そのまま何も言わず、駐車場に向かう。私も何も言わず、黙って彼の後を追った。緊張と、期待と、不安と。ごちゃ混ぜになった自分の心を持て余す。そうしながら私は、いつか先生の車に乗った夜を、思い出していた。
第六章 “Waviness”
先生の車に乗って、想いすら告げることができなかった あの苦い夜。もうあの時の、なにもできない私じゃないんだ。車の中でなら、きっと聞くことができるだろう。準備室で先生が言いかけた言葉の続きが知りたいのだ。彼の心をつかむためなら、私は何だって出来そうな気がしていた。
そうやって意気込んでいた私だけれど、ふと自分が上履きのままだったことに気がついた。先生に言って履き替えるのを待ってもらおうかとも思った。けれどマイペースに歩く彼を引き留めきれない。
仕方なく先生の後を追うのをあきらめ、生徒用玄関にひとりで向かう。そこで履き替えたはいいけど、玄関はすでに閉まっていた。途方に暮れた私は、靴を脱ぎそれを持って 靴下のまま元来た道を戻ることにした。
電気の場所も分からないから、暗くてあまり周りが見えない。さっきまでは先生がいたからよかったけど、こんな状況でひとりは嫌だ。比較的怖がりな私は、駐車場まで恐怖心に耐えられないかもしれない。
でも早くしないと、先生は車で帰ってしまうかもしれない。そうでなくても、待たされて苛立ってしまうことだってあり得る。せっかく送ってもらえることになったのに、この二度とない機会を逃したくない。
早く先生に追いつかなくては という焦りが、私の足を急がせていた。けれどもすぐに、私の足は動きを止めることになる。薄暗い廊下の先に、誰かが壁に背中を寄り掛からせて立っているのを、遠目に見つけてしまったのだ。
頼りない視界では、それが誰なのか全くわからない。やがてその人物は、私に気づいたらしくこちらに近づいてくる。コツ、コツという足音が近づくたび、恐怖心がじわじわと私を支配していく。ぎゅっと目をつむり、私は恐怖に耐え抜こうとした。
「神島」
やがて至近距離まで来たその人物は、私の名前を呼んだ。びくりとしながらも、私の耳は冷静にその声を聞いていた。目を開ければ 何のことはなく、その人物は月原先生だった。校舎の暗さと恐怖に、私はひとりで空回りしていたらしい。
「車を回そうと思ったけど、もう玄関は閉まっているから……悪いけど、これで我慢して」
言いながら、先生が私に何か手渡してきた。見覚えがあった。確かこれは、来賓用のスリッパだ。まさか先生が私のために取ってきてくれたのだろうか。意外だった。そんなこと、気にすることもないような人なのに。第一、先生が私を待っていてくれたことが驚きだ。先生は、後ろを歩く私が居なくなったことにすら、気づいていないと思っていた。
スリッパをはいた私は、再び歩き出した先生の後を追う。彼が居るというだけで、校舎の暗さも気にならなくなった。程なくしてたどり着いた、校舎から駐車場へ続くドアは開いていた。靴に履き替えて出ていく先生に続き、私はスリッパを端っこに寄せて、手に持っていた靴を履き校舎を後にする。
駐車場には、もう車は数台しか残っていなかった。その数台の中の一台、先生の車を目指して彼は歩いていく。やがてドアロックを解除した先生が、私を置き去りにマイペースに車に乗り込む。以前と全く同じ状況に 思わず口元を緩ませながら、私も遠慮がちにドアを開けて 助手席に座った。