第五章 “ A Tender Heart,”〔5〕
私に袖をひっぱられ、先生は仕方なくこちらを振り向いた。目を合わせた私は思わず絶句する。教室での彼よりもずっと、その瞳に感情の色がないのだ。受けるイメージは、まさに無機質そのもの。すべての感情を 完全に押し殺してしまったようなつめたい瞳。
「麻耶!」
タカシの苛立った声が、とがめるように私の名前を呼んで。再び後ろから腕を掴まれ 引き寄せられたため、私の手は先生の袖を解放することになる。解放された先生は、校舎の中に入って行った。かたくなに閉ざされた彼の心。とても声をかけることなんてできなかった。周りの一切を拒絶するような、彼のすべて。
「放してタカシ。……放してよ!」
先生を追うことができなかった私は、八つ当たりのようにタカシに怒鳴りつける。ごねるかと思ったら、タカシは簡単に手を離した。さっきまであんなに強気だったくせに、タカシは傷付いたような表情をしていた。
「……オレとおまえ、間違ってんのはどっちだよ?」
何も返すことはできなかった。彼は、“センセイ”――私の中の後ろめたさは、なにも消えてしまったわけじゃない。
「帰るぞ」
強引な口調で、タカシは黙っている私を連れて行こうとする。先生が気がかりだったけれど、私がついて来ないことをタカシは許さないだろう。
少し距離を置いて、タカシの後を歩く。タカシは私の教室から私の鞄をとってきて、三組から自分の鞄も取ってくる。終始 無言のタカシ。その有無を言わさない態度が、逆に私に圧力をかけていた。先生に会わないように、タカシは私を家に帰してしまおうというつもりだ。
あきらめたような心境で、タカシの思惑通りついていき、玄関で靴を履き替える。帰路を歩いていても、先生のことは頭から消えない。先生はまだ学校にいるだろう。家に帰ったふりをして、もう一度学校へ戻ろうかとも思ったけど、タカシの家と私の家は近いのだ。帰ったふりとか、ごまかしは効きそうになかった。
それに私の家はけっこう遠い。往復していては、先生が帰ってしまうかもしれない。そこまで思い至って、私はついに意を決し、立ち止まった。すぐに気付いて足を止めたタカシが、私を振り返る。怖いほどの真顔だ。
「私今日、ユキと約束があるから」
「あいつ、部活じゃねーの?」
言うが早いか、間髪いれずタカシが切り返してきた。ユキはいつも、放課後は部活に忙しい。もう少しましな言い訳ができればよかったんだけれど、この状況で思いつけなかった。
けれど例え見え見えでも、嘘だとばれていようとも、私はどうしてもこの場をしのぎ切らなければいけなかった。明日じゃ駄目なのだ。彼に再び会うと決めたのなら、今日でないといけない。
「今日は部活、早く終わるって。すぐそこの店で待ち合わせなの。じゃあ、またねタカシ」
タカシに口をはさむ隙も与えないようにまくしたて、言い終わってすぐ私は進行方向を逆に向ける。ちょうど近くに喫茶店があってよかった、言い訳にはばっちりだ。明日、ユキに口裏を合わせてもらおう。
「あいつのとこに、戻るのか?」
背中から飛んできたタカシの低い声が、また 私を邪魔しようとする。私は振り向き、もっともらしく苦い笑みを浮かべて見せた。
「戻らないよ。タカシも見たでしょう? 先生のあの、つめたい表情」
「……。わかった、気をつけて帰れよ」
タカシはまだ怪しんでいるようだったけれど、そんなことに構っていられない。気持ちの急くまま、私は今歩いてきた道を走って引き返す。なぜだろう。わからないけれど、私は確信していた。先生は、準備室でも職員室でもなく、あの場所にいる、と。
今後はなるべく毎日更新で行きたいと思っています。
が、土日は作者はあまり家にいないため、更新できないことが多いです。
平日はだいたい更新しておりますので、また読みに来てやってくださいませ☆