第五章 “ A Tender Heart,”〔3〕
あれから私たちを追ってきたんだろう。私と同じに上履きのまま出てきたタカシは、半ば前のめりのような、怒りをそのまま表した歩き方で、先生の至近距離まで歩を進める。車のドアにかかっていた先生の手をつかみ取り、詰め寄るように睨みを利かせた。
当然、先生はその程度で動じない。けれどそんな先生の態度は、タカシの感情を逆なでしてしまったようだった。
「どこに行くつもりだよ」
苛立たしげに顔をゆがめ、タカシが先生に 吐き捨てるように言った。
「……君に関係はないだろう」
対する、先生の熱のない声。まるで授業の内容を述べるときのように、淡々と。いつもどおりの、有無を言わさぬ つめたい声音だった。けれどもさすがにそのくらいでは動じないタカシは、皮肉な笑いを浮かべ、握っていた先生の手を 投げ捨てるように乱暴に離した。
「ああ、関係ないね。……ここに麻耶がいなかったらな」
言って、タカシが私にちらと視線をよこしてきた。一瞬でも不快な感情をストレートに投げつけられて、どきりとする。
すぐに私から外れた視線は、再び先生を攻撃する。けれど先生は特に動じた様子もなく、腕組みをして背中で車に もたれかかった。タバコの煙を吐くときのように、気だるげな仕草で。そしてその仕草だけで、タカシを煙に巻いてしまった。タカシの苛立ちが増していくのが、その表情でわかる。
巧妙に隠され、ひとかけらも見抜くことができない、彼の感情の色。けれどもやっぱり先生の様子は変だ。いくら態度が完璧でも、感情が見えなくても、行動自体がおかしいのだ。
いつも明白な目的のもとでしか行動しないはずなのに。一体何がしたいのか、もはやその行動の趣旨が――目的が見えない。彼は準備室のカギだって持ったままだ。あれを持ち帰ってしまったら、カギがないことに気付いた他の先生たちが、探し回って騒ぎになることくらい 先生もわかっているはずだ。
後先考えない、衝動的な行動――“月原センセイ”にはもっとも無縁と思えるその言葉でしか、彼の行動の理由を説明できないのだ。
この状況の行方が、全く読めない。そしてそれはタカシも同じようだった。先生は、明らかにおかしな行動をとったのだ。その余裕を崩せる手がかりはつかんだと、タカシは確信していたはずだ。だからこの状況――駐車場で車に乗り込む決定的な場面で、声をかけたんだろう。
それなのに、全く崩せない先生の余裕。精神的に幼いタカシが、苛立ちを募らせてしまうのも当然だ。それも先生の計算のうちだろうか。
この状況で、タカシじゃ彼に及ばないかに思えた。けれども追い詰められたタカシはついに、この状況に置いてもっとも効果的と思われる台詞を吐いた。
「“教師が生徒に”何の用だよ。オレが黙って見過ごすとでも思ってんの?」
夕暮れの空気が、一瞬にしてしんと静まり返る。不快な視線を投げつけられようと、睨みつけられようと、決して動じなかった先生。
けれどたったその一言で、まるで言葉を失ったかのように、先生はその動きの一切をぴたりと止めた。