第四章 “Love For love”〔2〕
その日、日直だった私は、音楽の授業で使う楽器の準備を頼まれて、昼休みの終わらないうちに教室移動していた。道中、階段に足をかけようとした時、階上に目敏く彼の姿を発見して足を止める。踊り場にいる月原先生。と、ひとりの女子生徒。
私は階段の下から彼らを眺めた。見たことのある顔だ。彼女の名前を聞いたことがある。可愛いと有名な、同じ学年、隣のクラスの“サラキ”さん。大きな瞳と茶色っぽいふわふわの巻き髪。女の子らしい仕草。同性の私から見ても、彼女はとても愛らしかった。
サラキさんは楽しそうな表情で、先生に何かを話している。その様子を黙って見ている私。すると気配で気付いたのか、先生は私に視線を落とし、そこで目が合った。
先生の様子が変わったせいだろうか。話し続けていたサラキさんも、私にちらりと視線をよこす。そしてすぐに先生に向きなおり、すねたような可愛い声を出した。
「月原先生ってば! 聞いてるの?」
「あ、ああ……」
我に帰ったような先生の声。一瞬だけ私のものになった先生の視線は、すぐにまたサラキさんに向けられ、そしてまた二人の会話が再開した。嫌な気分でいっぱいになる。それ以上見ていたくなかった私は、俯き加減で階段を上りはじめる。
すれ違うとき、階段の踊り場は三人並ぶには狭くて、先生の服の裾と私の袖が少しすれあう。表情を殺し、私はそのまま階段をのぼり切った。早歩きでそのまま進んで、確実に先生から見えなくなってから、私は立ち止まる。
何を話してたかなんて知らない。先生のことだから、必要な話だったんだろう。そうに決まってる。
教師と生徒が話していただけのこと。たったそれだけなのに、馬鹿みたいにうろたえている自分が、自分でも滑稽で笑えてくる。
頭の中で妄想が膨らんでいくのを止められない。先生は先程のように、私と仲良く話してくれたことなんてあっただろうか。彼女と自分を比べ、張り合おうとする醜い自分の心を持て余し、制服のスカートの裾を思わず握りしめる。
この制服を着ている生徒だから。大人の先生とは違って、子供だから。そう言い訳して初めて、私は想いを受け入れてもらえない自分を支えていたのに。
昼休みが終わっても、次の授業中も、その次も。黙って座っているとあの場面、あの子のことを考えてしまっていた。
気分の晴れないまま迎えた放課後、私は学祭の実行委員集会に向かう。室内に入ると、女子と男子が半々くらい、開始時間を待って、それぞれが数人ずつ輪になって楽しそうに話していた。私は特に仲のいい子もいなくて、すでに出来上がってる輪の中に入ってく気にもなれなくて、仕方なくあいている席にひとりで座った。
固まって話してる女の子たちの中に、ユキが仲良くしてる子を見つけた。きっとユキはあの子と一緒に参加したんだろう。
引き受けなければよかった、という気持ちが強まっていく。疎外感を感じながら、周りのざわめきを耳からシャットアウトしようとしたとき、ふと聞いたことのある声が耳にはいってきた。
鼻にかかったような、独特の可愛い声。集団の中でも目立って可愛いあの子――サラキさん。注意を向けてしまった私の耳に、その会話が意図しなくても入ってきてしまう。
「やっぱり代表になるのが、一番近づける方法でしょ?」
サラキさんが得意げにそんなことを言っている。代表と言うのは、実行委員のということだろうか。
「月原先生はさぁ……」
彼女が彼の名を挙げたので、私は体をびくつかせて反応してしまった。気取られないように平静を保ちながら、今度は意識的に会話を聞こうと耳を澄ます。ざわめいているからよく聞こえない。
彼女が気になって仕方ない私は、扉を開けて誰かが教室の中に入ってくることに気がついていなかった。