第三章 “Look My Heart.”〔6〕
学校を休んでしまえるくらいのずるさが、私にあったらよかったのに。そう思いながら学校に来ている自分に嫌気がさす。
誠意を見せて、気持ちを信じてもらうことは難しいし、とても時間のかかること。でも、信用をなくすことは一瞬でできる。
昨日の出来事を思い出しては、沈み込む心。こんな状態で、私は5時限目まで良く頑張ったと思う。いっそ保健室の布団にうずくまるか、今すぐ帰ってしまうかしてしまいたいくらいなのだ。
今日、月原先生の授業がなくてよかった。運よく廊下ですれ違ったりもしていないから、一度も顔を見ていない。
先生はどう思っただろう。あれだけ好きだ好きだと言っていた私が、陰であんなことを言っていたなんて。それとも先生にとっては、やっぱりどうでもいいことなんだろうか。どちらにしても、今まで必死に先生に伝えようとしていたことを、自らの手で壊してしまったことが悲しかった。
でも。だって。先生を守るためだった。仕方なかった。そうやって必死に自分に言い訳する自分が哀れに思えてくる。
私は自分の気持ちを捨てたくなかった。例え先生が迷惑がっても、想いを貫きたかった。だからセンセイとか生徒とか、噂とか、そんなことでこの気持ちを壊したくなかった。自分の気持ちを守りたいばかりに、周りの目を気にしてびくびくして、うわべだけ取り繕って、嘘で覆い隠そうとした。だから、罰が当たったのだ。
そこに考えついてしまったとき、我慢できないくらいに無性に泣きたく、なった。
5時限目の終わりを告げるチャイムが鳴り、掃除が始まると、私は急いで席を立ち、自分の掃除場所とは違う方向に向かった。掃除をさぼるなんて、今までの私じゃ考えられないことだ。でも今日は、今だけは一人になりたい。
足の向くまま自然と向かった先は、あの場所だった。旧校舎、体育館の裏。先生がたばこを吸っていた場所。私がはじめて、先生の素顔を見た場所。先生に恋をした場所。辛くなるだけなのに、自分でもどうしてここに来たのかわからなかった。
相変わらず人気のないこの場所に立つと、鮮明にあの日のことが思い起こされる。
先生のことを考えるだけで、幸せなのに切なくなってくる。泣きたくなるような、いとおしいような、不思議な気持ち。
私は以前先生がいた場所に立って、指先で壁に触れる。この壁にもたれかかって、彼はタカシから取り上げたたばこを吸っていた。思わず寄りかかった壁に、彼のぬくもりは感じない。
その時、わずかに物音がした様な気がして、私は誰かの気配があることに気づいた。きょろきょろとあたりを見回してみると、随分年季の入った古いベンチが目に入る。よく観察してみれば、むこうを向いたそのベンチの端から、はみ出す誰かの長い足。
それが誰の足なのか、私にはすぐにわかった。突き動かされるように、ベンチの正面にまわりこむ。
彼は眠っていた。綺麗でつめたい瞳を伏せて。普段は決して見せない、隙だらけで、どこかあどけない寝顔。一気に胸が高鳴った。もう一度見ることができた、先生のありのまま。それまでの葛藤は全て飛んで行って、好きの気持ちだけが私の心を占領した。
込み上げてくるいとおしさを抑えられない。私は、彼にキスをしたいと思った。そっと先生の前にかがんで、目線の位置を合わせる。近くで見る綺麗な顔に、胸がきゅんと踊る。
自分の心臓の鼓動がやけに大きく聞こえてきた。こんなことをしてはダメだ。わかっているのに自分を止められない。
恐る恐る、顔を近づける。吐き出す息すらも震えるよう。お願い、どうか目覚めないで。心の中で必死に祈りながら、近づく距離。あとほんの少しだ。今にも唇が触れ合いそうになり、私の緊張がピークに達したその瞬間。眠っていたはずの先生が、ゆっくりと目を開いた。