第七話 ちょうちんお化けと蕎麦とエルフ
アオキとサナリエンが外に出ると、もう外は真っ暗だった。
山ン本の武家屋敷はあやかしの里の住宅街からは少し離れた小高い丘の上に作られており、玄関を出ただけで昼間なら里を一望できる。しかし現在は夜となっており、住宅街の方には頼りない明かりがちらほらと灯っているのが見えているだけだ。
里が暗いのは、そもそも住んで居るのが、闇の住人たる妖怪達だからだ。妖怪達にとって明かりはそれほど重要なものではない。それに明かりがほしければ自らの妖力で鬼火を出す事が出来るので電球やランプと言った照明器具は、この里に殆ど無い。あるのはちょうちんや行灯などの部屋を薄暗い程度まで明るくする照明器具ぐらいだ。
妖怪達にとって、薄暗いと言う状態が一番居心地が良いらしい。
「道が暗いですので、コレをお持ちください」
そう言って山ン本の屋敷に仕えている女中が差し出したのは、ちょうちんだった。既にちょうちんの中には火が入っており、ぼんやりとやわらかい光を発している。ただ古びており、所々紙が破れている。
アオキも自分で鬼火を出せるが、ここでちょうちんを出したのは、山ン本の指示で、このような照明器具に対してサナリエンがどの様な反応を示すのか調べる為だった。
「ありがとう」
「これは…明かりか?」
「そうだ。こうやって持つ」
アオキは、ぼろいちょうちんの持ち手の棒を掴み実際に持ってみせる。
「ふん。随分暗い明かりね」
「暗いか。ならお前達はどうやって明かりを取っているんだ?」
「決まっているわ。光精石よ。光精石を使えば、夜でもまるで昼みたいに明るいんだから」
「光精石?」
「知らないなんて、これだから未開の種族は。光精石は光を発する石の事よ。私も一つ持っているわ。…今は預けた荷物の中にあるけどね」
「何故その石は光るんだ?」
「長い時間魔力を浴びた石に光の精霊が住んでいるからよ」
「何故長い時間魔力を浴びた石には光の精霊が住むんだ?」
「何故光の精霊が住むと石が光るんだ?」
「それは何処で取れるんだ?」
今まで殆ど無口だったアオキが矢継ぎ早に質問をサナリエンに浴びせた。突然の事にサナリエンは狼狽して答えた。
「しっ知らないわよ!私はそう教わっただけで、自分で調べた訳じゃないんだからっ!」
「そうか…。では案内しよう」
そうかという言葉に若干の残念な雰囲気を滲ませてそう言うと、アオキは里の方へと歩き出した。
「…」
サナリエンも黙ってアオキに着いて行った。
暗い夜道を二人は会話も無く歩く。
距離は、付かず離れずの微妙な距離。サナリエンはアオキを警戒して、何かあっても直ぐに行動に移せるようにしているのだ。
夜風が草草を揺らしサラサラとした音がする。その音にあわすように気の早い蛙がゲココゲココと鳴いた。
ちょうちんの弱い明かりを頼りに二人は進む。
アオキとサナリエンは、山ン本の武家屋敷と長屋がある里の中心部の間にある田んぼの横を歩いていた。
水田にはまだ稲の苗は植えられておらず、水面にいつの間にか離れた二つの月が映っていた。
その沈黙に耐え切れなかったある物がとうとう声を上げた。
「おいおいおいおい、アオキ。別嬪さんと二人きりで歩いているのに、気の利いた会話の一つくらい出来ないのか?」
「誰っ!」
声に驚いたサナリエンが更にアオキから離れ、構えを取った。
声の出何所は、アオキの持っている、ぼろいちょうちんだ。
「客人を驚かすな。ちょうちんお化け」
「けけけ、何を言ってやがる。俺達妖怪は脅かして何ぼだろうが」
「時と場合を考えろ」
アオキがちょうちんお化けをたしなめると恐る恐ると言った様子でサナリエンが近づいてきた。
「そのちょうちんとか言うのがしゃべってるの?」
「ああ、そうだ」
アオキがちょうちんをサナリエンのほうに向けると、ちょうちんに目と口があるのが見えた。
「よお別嬪さん。俺がちょうちんお化けだ。よろしくな」
そして目と口が生きているように動き、サナリエンに話しかけた。
「ひぃ!化物っ!」
「けけけ良いねイイネェ。その反応!久しぶりだ!それこそ俺様達妖怪を見た時の反応だ!」
サナリエンの反応が余程気に入ったのかふらふらと左右に揺れる。
「こりゃ里の連中に教えてやんねぇとな!久しぶりに脅し甲斐のあるネェちゃんだ!」
「ほどほどにしておけ」
「ねっねぇ。こんなのがこの里にはたっ沢山いるの?」
「ああ、いるぞ」
その答えを聞いてサナリエンは座敷牢のほうが、良かったかもしれないと後悔した。顔から血の気が引き、顔が青ざめるのを自覚する。
アオキはその様子を見て、少しでも安心させるように言った。
「別にとって食いはしない。そんな無分別な奴は里にはいない。もし襲われたとしても俺が守る」
ただ、その顔もちょうちんお化けの明かりに照らされて闇夜に不気味に浮き上がってはいたが……。
「けけけ、この里じゃアオキの腕っ節に敵う奴なんてそうは居ないから安心しろや、ねぇちゃん」
「行くぞ」
二人(一人と一個?)がそう言い、しぶしぶと言った様子でサナリエンは歩き出そうとした時突然、ぐ~と言う音が夜道に響き渡った。
アオキがその音の出何処を探すと案の定サナリエンの腹部から聞こえてきた音だった。
「しょっしょうがないじゃない!朝ごはんは食べたけど!お昼はあんた達に捕まって食べられなかったし!急いで帰ろうと思って森の中じゃ食事どころじゃなかったのよっ!」
「俺は何も言ってない」
「いい音だ。ねぇちゃん。丁度いい。あそこに蕎麦の屋台があるぜ」
ちょうちんお化けがほれという風に体を振った方を見るとそこにはちょうちんをぶら下げた屋台があった。江戸時代にあった方に担いで持ち運ぶタイプの屋台ではなく、リアカーで移動するタイプだ。こちらにも電球は無く、蕎麦とかかれた行灯が屋根の両側に付けられている。
「ソバ?ヤタイ?」
「蕎麦と言うのは食べ物の一種だ。そして屋台とは移動可能な店の事だな。つまり食い物を出す移動店舗だ」
幸い暖簾が掛けられており営業中である事を示していた。
アオキは、蕎麦の屋台へと歩き始め、それに気付いたサナリエンは慌ててアオキの後を追った。
「らっしゃい」
アオキは慣れた様子で屋台の暖簾を潜り、置いてある長いすを跨いで座る。長いすがアオキの体重を受け止めてギシリと鳴った。ちょうちんお化けは勝手にふよふよと浮いて蕎麦屋のちょうちんの隣に浮いている。暖簾を潜ってもその先は薄暗く蕎麦屋の親父の顔は良く見えない。店主の格好はに浮世絵でよく描かれている波がデザインされていた青いシャツにズボンに前掛け。そして頭には野球帽をかぶっていた。
アオキは慣れた様子で注文した。
「掛け蕎麦二つ」
「あいよ。掛け二つ」
店主は俯いて、早速そばを作る作業を開始した。それだけで蕎麦屋の親父の顔は席に座ったアオキには見えなくなった。
サナリエンが暖簾を潜って席に着いたのはその時だった。暖簾を珍しそうに掻き分けて、アオキの隣に腰を下す。
「ねぇ。蕎麦とは、どんな食べ物なの?」
「おや、蕎麦をご存じない。って事はお客さんは外から来た人ですかい?」
サナリエンの質問に答えたのは、蕎麦屋の親父だった。
「そうだ」
「なら、ご説明しましょ。蕎麦って言うのは麺料理なんですよ。麺はご存知で?」
「ああ、たまに来る行商人から買って食べた事はあるわ。味も素っ気も無くて、あんまりおいしくなかったけど」
食べた時の事を思い出したのか、軽く顔を顰めた。
「それでしたら話が早い。簡単に言えば、蕎麦はそば粉で作る麺なんですよ」
店主はそうやって蕎麦についてサナリエンに説明しているが、ずっと俯いて作業をしていた。麺をぐらぐらと煮える鍋の中に入れ、その間に葱を刻む。
「ゆでた蕎麦を魚介でだしを取った醤油スープに付けて食うって簡単な料理なんでさ」
慣れた手つきで鍋の中で踊っていた蕎麦を笊に上げ、菜ばしを使ってあらかじめお湯を入れて暖めておいたどんぶりに入れる。そして、蕎麦を茹でていた鍋の隣の鍋の蓋を開け、中に入っていたつゆをひしゃくで汲むと手馴れた様子でどんぶりに注いだ。仕上げに刻んだ葱を乗せる。
この一連の作業の間、アオキは屋台の隅においてあったグラスを二つ取り、そばにあったキャンプ用品であるウォータータンクから水を汲んでいた。意外にまめな男だった。
「へいお待ち」
店主が出来上がった掛け蕎麦をサナリエンの前に置く。
「きゃああああああああああああああ!」
そして今日一番の悲鳴が里に響き渡った。
「かかかかか顔ががががががっ!」
サナリエンは片方の手でアオキの袖を引っ張りながら、もう片方の手で蕎麦屋の親父の顔を指差した。指差された方は、きょとんとしている。
「落ち着け。のっぺらぼうは、お前に危害を加えない」
アオキが落ち着いて、サナリエンに言った。
「ででででも、顔が無いのよっ!」
そう、確かに彼には、顔が無かった。本来顔があるべき場所には凹凸何一つ無く、まるで剥き立てのゆで卵のようなつるりとした肌しかそこにはなかった。
「えっ?しまった。そうだった。つい、いつもの通りにしてましたよ。すみません」
蕎麦屋の親父が合点がいったといった様子で額をペチリと叩くと、その手をそのまま下して顔を撫でて行く。すると驚くことに手が通過するとそこには気の良さそうな中年男性の顔があった。
「えっ何で?」
「蕎麦屋の親父はのっぺらぼうだ」
「のっぺらぼう?」
「先ほどの貴方が見た通り、顔の無い人間に化けた妖怪の事を言うんですよ。ちなみに私の本性は狢です」
「狢って、森の中をちょろちょろしてるあれの事」
「ええ、多分あってると思いますよ。今は私の作った蕎麦を食べてください。早くしないと麺が延びて食えたもんじゃなくなってしまいます」
「あっはい」
落ち着きを取り戻したサナリエンは、そこでようやく自分の前に出されたどんぶりの中に目をやった。
どんぶりの中にはサナリエンにとっては見慣れない麺という物が暗いせいで、余計どす黒くなったように見えるスープに浸かっているのが見えた。薬味のねぎが唯一の緑だ。
このような麺料理は、サナリエンにとって初めてだった。
隣を見ると、アオキが「頂きます」とつぶやくと二本の箸で面を掴み上げ勢い良くずぞぞぞ!と啜った。
有り得ない様な物を見る視線に気がついたアオキは「こうやって音を立てて食うのが蕎麦の正しい食い方だ」と言い、二口目を啜り上げる。
「棒を二本って変わった食器ね。っと糧を与えてくださいました。森の精霊と大地に感謝します」
サナリエンも食前の祈り(?)を行うとテーブルにおいてある箸立てから箸を二本取り出すと見よう見まねで持って蕎麦を持ち上げようとした。だが、少し持ち上げると、するりと蕎麦がどんぶりの中へと落ちていった。
それを三回ほど繰り返した時、とうとうサナリエンが切れた。
「こんなの、どうやって食べればいいのよ!」
「お客さん。良かったらこれ使ってください」
それを見かねた蕎麦屋の親父はフォークを棚から取り出してサナリエンの前に差し出した。
「あるなら、はじめから出しなさいよ!」
それを奪うように受け取ると、勢い良くどんぶりの中に突き刺すとクルクルと蕎麦を巻いてさっさと口の中に入れた。
その瞬間、口の中にしょっぱさとサナリエンの知らない風味が広がった。それはけして不快ではなく純粋にうまいと思えるものだった。
そして咀嚼しいくうちに今度は蕎麦の味が舌に乗り始める。次に蕎麦をフォークに巻いた時に紛れ込んだねぎが噛まれ、口の中に一種の清涼感を運ぶ。蕎麦汁一色だった口の中に変化をもたらす。
最後に蕎麦を飲み込み、言った。
「おいしいっ!」
そして、再びどんぶりを突っ込んで蕎麦を絡め取っていった。
蕎麦屋の親父はその様子をうれしそうに眺めている。
サナリエンは蕎麦がなくなると、どんぶりを持ってぐぐぐいっと汁まで飲み干した。
「何これ!行商人から買った麺より何倍もおいしい!」
サナリエンが食べた麺がまずかったのは、ただ単に正しい調理の仕方を知らなかったからだ。彼らは、麺を茹でた後、味を付けて食べる程度の事しか行商人から調理方法を聞いていなかった為、茹で過ぎてぶよぶよになった麺に塩やらハーブやらを適当にぶっ掛けただけの代物だった。そんな麺がうまいはずが無い。
「それは、良かったです」
サナリエンの顔には、今日初めての笑顔が浮かんでいた。