第三話 座敷牢のエルフ
アオキがエルフの女を担いで里の前にある橋にまで戻ってくると橋の上に誰かが居た。その人物はフードを目深に被っていて表情は見えないが、アオキが帰ってきたのを見ると口元を皮肉げに吊り上げて言った。
「よぉ。アオキその女何処で攫って来たんだ?」
アオキがその甲高い声のしたほうを見ると、そこには橋のパーカーのポケットに手を突っ込んで欄干に寄りかかった小柄な人物が居た。
「ヒビキか」
背はアオキと比べるとかなり小さく、大体160cm位だろうか。胸に大きく髑髏の書かれたパーカーに迷彩柄のハーフパンツを履いている。
ヒビキと呼ばれた人物の額には一本の角が生えているのが見え、鬼であることが分かる。
「斧を取りに森に入ったら、こいつに襲われた」
アオキは担いでいるエルフを軽く揺すって見せた。
「くくく、じゃあ今夜はお楽しみか?」
その口調は挑発的だったが、アオキにはその中に苛立ちの様な物を感じた。その事を疑問に思いながらもアオキは否定する。
「そんな事はしない」
「フン、どうだかな?」
そこへ壷装束に市女笠と言う、今ではイベントやアミューズメント施設位でしか見られない古い旅装を身にまとった女性がヒビキの後ろに突然現れた。そしてヒビキの後ろから抱きつく。
「ウフフ、お帰りアオキちゃん。ヒビキちゃん、ずっとここでアオキちゃん帰ってくるのを待ってたのよ!健気よねぇ」
「ううううるせぇ!橋姫!余計な事言ってんじゃねぇ!俺は、里長が里から出るなって言ったから、出てやろうと来ただけだ!」
橋姫、主に古い橋に宿る女神とも鬼女とも呼ばれる事もある存在。基本的に他所の土地の噂を嫌うといわれているが、この里に居る橋姫は噂好き、特に色恋沙汰が大好きな珍しい橋姫だった。この里では、浮世とこの里を繋ぐ橋を管理し、何か異常があれば直ぐに里長や神主に知らせる事を仕事としていた。が、現在はその繋がりが断ち切られ、完全に暇になっていた。
「本当に天邪鬼なんだから」
天邪鬼、由来としては仏教の金剛像に良く踏みつけられている鬼の一種。地方の民話では人の心を読んで、口真似をしながら人を馬鹿にする妖怪となっている。現代日本では、わざと人の神経の逆なでする鬼、本音を言わない捻くれ者の鬼として知られている。
この里に居る天邪鬼であるヒビキも例に漏れず捻くれ者だ。危ないから行くなと言えばそこに行き。一緒に行こうといえば一人で行ってしまう子だった。
「でもダメよ。女の子がそんな口調じゃお嫁にもらって貰えないわよ?ほらほら、いい天気なんだから、そのほっかむりを取りましょうね」
「ほっかむりじゃねぇ!フードだ!あっ!やめろっ!」
天邪鬼のヒビキがフードを取られまいと抵抗するが、橋姫によって簡単に外されてしまう。
その瞬間、フードからこぼれ出たのは長い白い髪だった。その髪はヒビキが暴れるのに合わせて宙を舞った。髪は異世界の太陽の光を浴び、美しく輝く。
そして太陽に照らされ、勝気そうながらもパッチリとした目をした可愛い顔が現れた。
ただ最近、天邪鬼は、よくアオキの周りをうろちょろしているのを里の妖怪達に目撃されている。
そしてぬらりひょんのマロ爺には最近妖怪'ツンデレ'と呼ばれていた。
「ほらほらヒビキちゃんも綺麗な髪をしてるんだから偶には女の子の格好をしましょうよ?絶対似合うわよ!アオキちゃんもそう思うでしょ?」
「ああ、俺もそう思う」
アオキが橋姫に捕まっているヒビキの目を見てそう言うと、ヒビキの顔は面白いほど赤く染まった。頭からは湯気が出ているような気さえする。
「あ、う。あう。うわああああああああああ!」
ヒビキは死に物狂いで橋姫を振りほどくと、急いでフードをかぶりなおし、橋を渡って里の方に走っていった。走っていく様子は、まるで韋駄天のようだった。
「きゃ」
一気に橋を里方面に渡りきると、一度振り向いて「おおおおおおおお俺は、アオキの帰りなんて待ってなかったんだからな!心配なんてしてないんだからな!バーカ!バーカ!」と捨て台詞を言って里の方へと走って逃げていった。
「まったく素直じゃないんだから…」
そのヒビキの背中を少し困った様な顔で見送りながら橋姫はつぶやいた。
「?天邪鬼なら当たり前だろう」
そういうアオキを更に困ったものを見るような目で見ながら言った。
「ならアオキちゃんは、あの子になんて言われたと思ってるの?」
「そうだな…捕虜を大切に扱え。あとお帰り。だろう」
「はぁ。貴方も大概ね」
橋姫は、ため息をついた。
「うっ!あ」
エルフが目を覚ました時、最初に思った事は'まだ寝ていたい'であった。今自分が寝ている"地面"は柔らかく体を支え、体の上には心地の良い重みのある何かかかぶさり、耐え難いぬくもりを与えてくれている。
こんな寝心地の良い寝具は、エルフの里を回っても何処にも無い。
眠りに至る前にある、至上の快楽の様なまどろみを享受してしまう。
だが、ズルズルと再び眠りへと落ちて行きそうになるエルフの頭に、自分が気を失う前にあった事がフラッシュバックする。
ハッと目を覚ましたエルフは、自らに覆いかぶさっていた掛け布団を跳ね飛ばすと、勢い良く立ち上がり、構えを取って飛び退る。
「何だ、ここはっ!?」
エルフの目に飛び込んできたのは、四角く切られた木が組み合わさって出来た格子、そして草が編み込んで作られたと思われる絨毯。部屋の隅には穴の開いた奇妙な箱と小さな衝立。
それは日本人が見れば座敷牢だと分かるが、異世界の人間には今まで見たことも無い不気味な牢獄にしか見えなかった。
格子付きの窓から光が入っては来ているが、薄暗い座敷牢が未知の恐怖を呼び覚ますのには、十分な演出だった。
何とか、出入り口らしき場所を見つけるが、当たり前だが大きな南京錠が掛かっており、むなしくガチャガチャと音を立てるだけだった。
当然身に着けていた道具や武器は全部取り上げられていた。
「くっ!」
(私は、あのオーガに捕らえられ、この牢屋に入れられたという事か…。!?)
その時、座敷牢の正面にあった引き戸の向こうに生き物の気配を感じたエルフは格子戸から離れた。
「やぁこんにちは、麗しいお嬢さん。起きたようだね」
座敷牢の前に来たのは里長とエルフを捕らえた張本人であるアオキだ。
里長は、軽く笑みを浮かべながら牢の中に居るエルフへと話しかけた。
「お前っ!出せ!私をここから出しなさいよっ!ヒューマン如きが!」
エルフは、アオキの姿を見ると憎い敵でも見る様に睨み付け、次に里長を睨み付けた。
「フム。本当に話が通じるんだね…。いやいや興味深い」
しかし、そんな事はお構いなしに里長はつぶやいた。
「これでは、マロ爺さんの言っていた事は、あながち間違いではなさそうですねぇ」
そこまで言うと視線を牢の中のエルフに戻した。
「さてお嬢さん。君は何処のどちら様かな?」
「はっ!名乗る時は、自分から名乗るんだな!礼儀知らずがっ!」
「おやおや、そういう礼儀は知ってるんだねぇ。けどそれは使う場所を間違っているよ」
「何だと!」
「いいかい。君は僕の治める里の住人を、問答無用に襲った罪人だよ?礼を持って遇する相手かな?それとも君の故郷では罪人相手でも礼をもって持て成すのかい?ククク。ああそれは無いな。問答無用で人を攻撃するような連中がそんな事する訳無い」
里長は、最初は物分りの悪い子供に諭すように、最後のほうは断定的に言った。
「貴様!我らエルフを愚弄するか!」
そこで、ただでさえ細い目がさらに細くなった。しかしその事を正面に居るエルフは気付かない。
「まぁいいさ。それがこちらの流儀と言うなら名乗ろう。僕はこの'あやかしの里'の里長をしている山ン本五郎左衛門と言う。いや、こちらでは五郎左衛門山ン本と言った方がいいのかな?君は?」
「ヤマン…変な名前。……サナリエン」
「そうですか。…ではサナリエンさん。貴方は何故うちのアオキと突然襲ったんです?」
「アオキ?」
「私の隣に居る彼ですよ」
「知れた事。我らが守護する森に無断で立ち入ったオーガを排除しようとしただけだ!当然だろう!」
「俺はオーガではない。鬼だ」
オーガと呼ばれるのが嫌なアオキは、憮然とした表情で訂正した。
「つまり、あなた方が守護する森にアオキが不法侵入したから襲ったと」
そこで一旦区切ると里長は隣に立っているアオキの方を向いて言った。
「アオキ。お前里山から出たのか?」
「いいや。襲われたのは、いつも世話している山の中だ」
「だそうですよ」
「ふざけないでよっ!そうよ!そもそもあの森は何よ!突然我々の森の中に別の森が現れて!調査に入ってみれば変なオーガが居るし!精霊魔法は使えないし!一体何なのよ!ここはっ!」
とうとう緊張が限界に着たのかサナリエンはパニックになって喚き散らした。
「ここは我々の里ですよ。後それは私達の台詞です」
「何よ!」
「我々も、里事突然こんな場所の飛ばされ戸惑っているのですよ」
「何ですって!?」
「だが、丁度良かった。こうしてここに詳しそうな者が飛び込んで来てくれたのですからね」
そう言うと、里長は薄く笑った。しかしその目は笑ってはおらず、冷徹にサナリエンを見つめていた。
「ひっ!」
ただでさえ、オーガに捕まり見知らぬ場所に監禁されていると思っているサナリエンは怯えた。
「何を言っておるのじゃ!」
バンッ!
その時、里長達が入ってきた引き戸が大きな音をたてて開かれた。
「うひょー!エルフじゃ!エルフじゃ!本物のエルフの娘っ子じゃ!」
そう言いながらマロ爺は牢へと走り寄った。その途中、掛けていたカメラ付きサングラスを外し、サングラスの蔓を帯に引っ掛ける。
「ヒッ!」
サナリエンは一気に反対側の壁まで下がった。
「めんこいのぅ!めんこいのぅ!おお、おお、かわいそうにこんなに怯えて」
(いや、それは突然皺くちゃのマロ爺が牢に突撃したからだろう)
アオキはわれ関せずといった表情をしながら里長…山ン本の隣に立ちながらそう思った。
実際、恐怖に震え始めたサナリエンの視線は、マロ爺に向かって固定されている。
一通り、サナリエンを鑑賞したマロ爺は、すごい勢いで振り返ると山ン本に向かって言った。
「こりゃ!山ン本!かわいいお嬢さんを捕まえて座敷牢とは何事じゃ!」
「彼女は、里山でアオキを問答無用で襲いました。当然の事では?」
山ン本はしれっと言う。
「馬鹿もん!そん位でアオキが死ぬか!だからお前もアオキを外にやる許可をしたんじゃろうが!」
「だからとて、彼女がアオキを襲った事に変わりはありません」
「ほう、ならばアオキが許せば問題なかろう?」
「…例えアオキが許しても、彼女が里で暴れないという保障はありません」
「それは彼女がそう言ったのかの?」
「それを聞く前にあなたが来たのでしょう」
若干苛立ちの入った口調で山ン本が反論する。
「ほうほう、なら聞くかのぅ!お嬢ちゃん、今牢から出したら暴れるかの?」
マロ爺の突然の申し出に目を白黒させながらもサナリエンは首を横に振った。
「それは、エルフの誇りとやらに誓えますか?」
山ン本がマロ爺の台詞に付け足すように言うと今度は首を縦に振った。
「なら決まりじゃ!アオキも許すじゃろ?許すと言え!」
「…許す」
マロ爺と山ン本のやり取りをぼんやりと見ていたアオキは、あっさりとそう言う。
それを聞いたマロ爺は、飄々と山ン本に近づくと腰に挿してあった牢の鍵を取るとさっさと南京錠を外して牢の扉を開く。
「今この瞬間からお嬢ちゃんは、この屋敷の客人じゃ。ささ、こんな辛気臭い場所じゃお嬢ちゃんも話辛かろう。そうじゃ。庭に面した座敷がいいじゃろう。茶も用意せんとなぁ。おい、山ン本!準備せい!」
「あっありがとう」
思わず、お礼の言葉が出た。その様子を見たマロ爺は、にたりと笑いながら言った。
「いいんじゃいいんじゃ。可愛いは正義じゃ。ひょひょ」
「?」
「はぁ、ここはマロ爺の家じゃないんだぞ。まったく。聞いていたな!準備を!」
山ン本はそう言いながらも、誰も居ない空間に声を掛ける。
牢から出たサナリエンは、マロ爺に連れられて、開きっぱなしだった戸から廊下へ出る。
その時、マロ爺がサナリエンに見えない様に手を後ろにやりながらVサインを作った。
それを見た山ン本は一瞬だけ笑うと、いかにも不機嫌ですといった顔に戻して二人の後について行った。
「ぬらりひょんだが…狸だな」
アオキはそのやり取りを見て一言つぶやいた。