第十話 いざ行かん銭湯へ
あやかしの里のメインストリートをアオキ一行が進む。道の幅は自動車が二台すれ違う事が出来る程度には広い。人通り(妖怪通り?)は、まばらで合ったが、それでも、サナリエンの目には珍しいものだらけだった
「ケットシー?!アレはミノタウロスっ!それに何なの、ミノタウロスと一緒に歩いている馬の頭をした魔物は!」
「ケットシーではない。アレは猫又だ。それにミノタウロスではなく牛頭だ。隣に居るのは馬頭という。元地獄の門番だ。大丈夫だ。皆いい奴らばかりだ」
現在、道を歩いている妖怪達の殆どは、人型であるとは言え、それでも体の一部や普通の人間とは違うことが多い。サナリエンは都会に出てきた田舎者のように周りをきょろきょろしながら観察した。ただし、アオキの背中にビクビクと隠れながらではあったが。
(何なんだ!この里は!コレほどまでに異種族の魔物が集まっているのに、喧嘩の一つも起きていない。油断なら無いな、この里は…)
あまりにもその様子が変だったので、通りかかる妖怪達の注目の的だ。サナリエンが見た妖怪達も、サナリエンを注目している。
(怯えるサナリエンちゃんもいいのう。かわええのう)
「うわ!この女ビビッてやがるっ!なっさけね~!クククッ!」
ヒビキは、そんな様子のサナリエンをからかった。
「びっビビッてなどいない!私は、誇りあるエルフの戦士だぞ!…こっこの程度!」
サナリエンは、一度はアオキの背から前へ出て、一人で歩き出すが、五歩も歩かないうちに、立ち止まりアオキ達のほうへ振り向いた。
「なっ何をしている!せっセントウとかいう場所に、いっ行くのだろう!」
強がっているが、足はプルプルと震え、表情も引きつっている。
「ああそうだな」
アオキは、特に気にした様子も無く歩き出し、ヒビキは腹を抱えて笑い、マロ爺は、懐からスマートフォンを取り出して、ムービーに記録した。何気にマロ爺がしている事が一番酷い。
「あら、その子が噂のエルフって種族の子?」
その時、アオキの横合いから声を掛けられた。
アオキが声の方をみるとそこには、巫女らしき金髪の女が腕を組んで立っていた。気の強そうな、つり眼に、すっと通った鼻筋。顔には不敵な笑顔が浮かべられていたが、どこか無邪気な感じがした。街に出れば誰も彼もが彼女を注目しそうな美女だった。'らしき'と付くのは、その女は巫女装束を盛大に着崩し、肩はむき出し、腕を組まれた事により、ただでさえ豊かな胸の谷間が強調され、巫女にあるまじき妖艶さをかもし出していた。
「獣人もいるの!?」
「獣人?アッハハハハ。違うわ。お嬢ちゃん。私は妖狐よ。妖狐のアザミ。よろしくね~」
サナリエンが獣人と見まごうのも仕方が無い。現在の彼女は、頭には狐耳、腰からはふさふさとした五本の尻尾が生えていた。その姿は、格好はともかく、この世界の獣人の姿とほぼ一致している。
「妖狐?」
「年経た狐が力を得て、あやかしになった狐の事よ。まぁ私は、親が妖狐だったから、生まれた時から妖狐だったけどね~」
「そういえば、昨日食べた蕎麦屋の人も自分は狢だって言ってた…」
「動物が年を経て妖怪になったのを、総称して経立とも言うわね。蕎麦屋の親父は、狢の経立であるけれど、人間からは'のっぺらぼう'っていう別の名前で呼ばれたりしてるわね」
「そっそうか。よろしく。私は、サナリエンだ」
サナリエンが感心して聞いていると、アザミの姿が気になったアオキが声をあげた。
「その姿は何だ。何時も耳も尻尾も隠していただろう?何故出したままなんだ?」
「あら、アオキ。今の世間様じゃ、あたしのような格好がモテるのよ」
アザミは、軽く尻尾を振り、耳をぴこぴこ動かしながら、腰に手を当てて胸を張った。胸を張った反動で胸がタヌンと揺れ、マロ爺の目がそこに釘付けとなる。
「そうなのか?」
「いいのう、ケモ耳っ子。いいのう、ケモ耳っ子」
マロ爺は、先ほどからアザミの周りを回りながらパシャパシャとスマートフォンで写真を撮っている。
「ほら、マロちゃんにも大うけじゃない」
「はっ!あんたみたいなのに擦り寄ってくるのは、脂ぎったオタクとか、そこに居るような変態爺だけだろ」
「あらヒビキちゃん酷い。ねぇアオキは、どう思う?」
アザミは、ヒビキの皮肉を、軽くスルーするとアオキの桶を持っていないほうの腕に擦り寄った。アザミの腕がアオキの腕によってクヌリと形をゆがめる。普通の男だったら、その時点で理性が爆発してしまうだろう。
「ああ、かわいいと思うぞ」
だが根っからの朴念仁である信じられない事にアオキは、それに平然と返した。
「フフフ、ありがとう」
「くっ!」
その様子を
「そうじゃ。アザミ、ワシらはこれから銭湯に行くんじゃが、おぬしも一緒に行かんか?」
「それは、いいけど、何で?」
「サナリエンちゃんに銭湯の入り方を教えてやって欲しいんじゃ。ヒビキだけだと、ちと心配でな」
「なるほど」
ちらりとヒビキのほうを見ると、アザミは納得した。見られた方であるヒビキは、ちっと舌打ちをして、地面に落ちていた小石を蹴った。
「ヒビキがいるが?」
一人だけ異を唱える鬼が居た。アオキだ。そもそもサナリエンに風呂の入り方を教えるようにお願いしたのはアオキだ。その役目を勝手に変えられるのは、彼にとって不本意だった。
「ひねくれ者の天邪鬼が、ちゃんと普通に風呂の入り方を教えれると思っているのかの?天邪鬼式翻訳など出来ないサナリエンちゃんに?」
アオキがそれに反論する前に、ヒビキがぶっきらぼうに言った。
「はっ!何処の者とも知れない女のお守りなんてこちらから、ゴメンだね!」
「だが…頼んだのは…」
「いいさ。面倒ごとが一つ減ったんだ。問題なんてありゃしないぜ。じゃあな!」
そういうとヒビキは、だだだーと走っていってしまった。
「おっおい!」
アオキが呼び止めようとするが、それを無視して曲がり角を曲がり、姿が見えなくなった。
「行ってしまったが、アレでいいのか?」
「マロ爺…」
アオキが抗議の視線をマロ爺に向けるが、ひょうひょうとそれを受け流す。
「大丈夫じゃ。さて、銭湯に向かうとするかの」
一行はゆっくりと歩き出した。
ヒビキの変わりにアサギを加えた一行が、目当ての銭湯へと到着した。銭湯は、お寺のような大きな瓦葺の屋根を持った建物だった。入り口には当然、藍色に白抜きで'ゆ'と書かれた暖簾が掛かっており、古きよき銭湯そのままの姿をしていた。
「これが銭湯。大きい」
サナリエンは、銭湯の大きさに驚いた。山ン本の屋敷も大きかったが、あちらは面積として大きく、こちらは建物の高さが大きかった。これほどの高さの建物は、サナリエンの居た村には無い。
「あっあれ!」
「ほら、大丈夫じゃろう?」
「あらあら」
すると、サナリエンが銭湯の前を指差した。
銭湯の前にはヒビキが仁王立ちして待っていた。いかにもイライラしてますといった風に足で地面を叩いている。
一行が銭湯の前まで来ると、ヒビキは正面から相対した。
「遅い!俺がどれだけ待っていたと思ってるんだ!」
「お前…」
アオキが驚きで眼を丸くして、ヒビキを見た。ヒビキは正面からアオキを見返す。
「ふん!俺は、そいつのお守りはしねぇが、俺が風呂に入らないとは、一言も言ってねぇ!」
「そうか。では、入ろう」
アオキは、微笑むと銭湯の暖簾に手を掛けた。
一行は、銭湯の下駄箱までくると立ち止まった。ただし、ヒビキだけは、「んじゃ、お先~」と言って先に靴を下駄箱に放り込むと一人で中に入って行った。
「さて、改めて説明するが、この建物は銭湯という場所じゃ。この建物の中で、お湯での沐浴をするんじゃ。ここは入り口で、ここで履物を脱ぐんじゃ」
マロ爺は、草履を脱いで、それを空いている下駄箱の棚に突っ込む。そうすると、サナリエンも見よう見まねで脱いだ靴を下駄箱に入れる。
そして、二つに分かれている入り口の前に立った。
「本当はワシが手取り足取り、風呂の入り方を教えたいんじゃが、銭湯は男女が別れて入るのが通例でのう。ここで男女が別れるんじゃ。サナリエンちゃんは赤い暖簾…布が掛けてあるほうに行くんじゃ。そっちが女風呂。反対側は、ワシらが入る男風呂じゃ。そこから中に入ってからの事はアザミに聞くとええ」
「分かりました」
「アザミ頼んだぞ」
「は~い。ちゃんとお風呂の入り方を教えてあげるわよ。けどマロちゃん。覗いちゃダメよ」
「なななな、何の事かの?」
「はぁ。アオキ。そっちもちゃんと監視しといてね」
「分かった」
「何をするんじゃ!」
アオキは、マロ爺の襟を掴むと、ひょいと持ち上げて、男湯の入り口へと入っていった。
アオキ達が男湯の方に行くのを見送った
「さて。エルフのお嬢ちゃんも行くわよ」
「お嬢ちゃんではない。サナリエンだ」
「そうだったわね。サナリエンちゃん…長いわね。いいわ。これからあなたの事、サナちゃんって呼ぶわ」
「なっ!神聖なる名を何だと思っているんだ!」
サナリエンは抗議の声を上げるが、アザミはそんな事は一切聞いちゃいない。
「なんなら、あたしの事は、あーちゃんって呼んでもいいわよ。じゃー行きましょー」
アザミは、サナリエンの手を掴むと、女湯の入り口の暖簾をくぐった。
「いらっしゃ~い」
中に入ると、横から声がした。驚いて声のした左に顔を向けると、一段高い位置、番台に一人のおばちゃんが座っていた。
「は~い、垢舐め!今日の湯加減はどう?」
この銭湯の主は妖怪垢舐めだった。垢舐めとは、古い風呂屋や荒れた屋敷などに住む妖怪で、妖怪画とかでは、良く舌の長い人型の妖怪として、よく描かれている。その名の示す通り、生き物の垢や塵を食べる妖怪だ。ある意味垢舐めが、この里で自ら銭湯を経営しているのは当然といえるだろう。とはいえ、さすがに妖怪達も、垢舐めに直接舐められた風呂に入るのは嫌だったので、風呂掃除をした時の排水から、垢を取るようにと、山ン本によって取り決めが作られている。
「今日もいいですよ。あら、その方は、もしかして…」
「ええ、そうよ。この世界のエルフさん。しかも初めてお風呂に入るそうよ」
「サナリエンだ」
ある意味、今までで会った妖怪の中で一番普通の人族に見えたサナリエンが、少しほっとした様子で自己紹介した。
「じゃあ自慢の風呂をごゆっくり楽しんでいってください…ねぇ~」
最後の「ねぇ~」垢舐めがでろんと長い舌を出した。その舌は、垢舐めの下半身に余裕で届くほど長く、途中で曲がってサナリエンの前でちろちろと上下した。
「ひっ!」
「ふふふ、ごめんなさいね。私達妖怪は、人を驚かせるのが好きなのよ。お詫びに風呂上りに飲み物をご馳走するわ」
サナリエンの驚きで引きつった顔を確認すると、垢舐めは、直ぐに舌を引っ込めて謝った。
(本当に、油断なら無い)
サナリエンは、いい笑顔をしている垢舐めを見ながら、改めてそう思った。




