第八話 あやかしの里に泊まろう
「さて行くか」
アオキがそう言ったのは、掛け蕎麦を食べ終え、どんぶりに注いでもらった蕎麦湯を飲み干し、最後にコップに残っていた水を空にした時だった。
「ご馳走様。御代は、山ン本にツケにしておいてくれ」
「あいよ。まいど」
蕎麦屋の親父は、そう言うとどんぶりを下げた。
アオキは立ち上がり、傍らに置いておいた布団を包んだ風呂敷を左手で掴む。
食後の余韻でぼーっとしていたサナリエンもそれを見て、慌てて立ち上がった。
「また、どうぞ~」
ふよふよと蕎麦屋の行灯の隣に浮いていたちょうちんお化けを手に取ると、一行は再び長屋への道を歩き出した。
しばらくあぜ道を進むと、道の様子が変わる。今まで農村特有の田園風景の中を歩いていたのが、あやかしの里の住宅街に入ったのだ。道の左右には生垣や木の壁が張られ、家の中が覗けないようになっている。
地面は相変わらず土だが、左右には木製だが排水溝が作られ、雨水はそこに流れ込むようにされていた。
妖怪達が現代風の建築ではなく、木や土を多用する江戸時代の家を愛好するにはそれなりに理由がある。それはその頃がある文明が発展しながらも夜は暗いという事にある。そもそも妖怪とは基本的に暗い森、深い霧の中、そして夜と人間にとって見えない場所で現れるものであって、現代日本のように電灯で無秩序に照らされた場所には現れない。なぜならば暗い方が妖怪達にとって住み良いからだ。もちろん昼間でも活動できるが基本夜型だ。
暗い道でも、そこかしこに生活の息吹を感じ取り、にわかに騒がしくなって行くのをサナリエンは感じた。
「もう夜なのに騒がしくなっているわね。何かあるの?」
「何も無い。俺達妖怪は基本夜型だからな。妖怪にとって日が沈むのが朝のような物だ」
「ふ~ん。それにしても変な家ばっかりね」
板葺き屋根、瓦葺屋根、茅葺屋根、それに家々を区切る垣根に生垣そのどれもがエルフの里では見られないものだった。
エルフの家は基本的に精霊にお願いして、特殊な巨木を生やして貰い、その木の洞を改造して作られる。ゆえに基本屋根と言うものは存在せず、木自体が基礎であり壁であり屋根だった。
ゆえに、この里にある家々はエルフにとても奇妙なものとして映っていた。
そんな中を歩いているサナリエンは、自分が異世界にでも迷い込んだかのような錯覚に陥った。そのせいかサナリエンは良く空を見上げ、空に自分が毎日見ている二つ月がある事をしきりに確認していた。そうでもしていないと、それこそ自分が異世界に迷い込んでしまったのではないかと不安だったのだ。
「この長屋にしばらく住んでもらうことになる」
そう言うと青木は木で簡単に作られた、門の様な物のまで止まった。
門と言っても扉がある訳ではないが、左右に同じ木の壁でその施設を囲んでいるのがサナリエンには見えた。
門の先には道が続いており、道の両脇に長く連なった家屋が建てられている。
門の上にはサナリエンには、わからない文字で'鬼長屋'と書かれていた。
鬼長屋、それはあやかしの里に複数ある長屋の一つで、その名のとおり鬼が住んでいる長屋だ。同時にこの里の最大戦力がそろっている場所でもある。ある意味、山ン本の武家屋敷より場合によっては危険な場所だ。
サナリエンはそんな場所を知らず知らずのうちに山ン本とマロ爺によって選ばされていたのだった。
鬼長屋も基本的に江戸時代の様式を踏襲しており、木、紙、土壁、漆喰がメインで作られていた。
「ここだ」
アオキは、通路を進み、障子紙が貼られた戸の前にサナリエンを案内した。その戸を見たとたんサナリエンは激高した。
「何なのよ!ここはっ!どの部屋にも扉に紙が貼ってあるじゃないの!こんなんじゃ簡単に入ってこれるじゃない!」
「大丈夫だ。見知らぬ妖怪の家に勝手に入る様な無礼な奴は…そんなに居ない」
アオキは言っている途中で何かを思い出したのか、最後は歯切れが悪かった。その反応が気に入らなかったサナリエンは、アオキに食って掛かった。
「何よ!その無責任な発言はっ!」
「大丈夫だ。隣が俺の部屋だから、何かあったらすぐに駆けつける」
そう言いながら入り口の障子紙に○の中にアと大きく書かれている引き戸を指差した。
「だけど、進入できるのは変わらないじゃない!」
その時アオキの部屋の向かいにある障子に○の中に朱と書かれた引き戸が「うるせぇ!」という怒鳴り声と一緒に勢い良く開かれた。
「ひっ!レッドオーガ!」
「あん?なんだてめぇ。変な耳しやがって」
出てきたのは、ちょうちんに照らされている程度の明かりでもわかる、赤銅色の肌をした鬼だった。
寝巻きに着ていた浴衣が崩れ、だらしない格好ではあったが、細いながらもしっかりと筋肉がついた体が妙な色気を出している。そんな鬼がぼりぼりと胸をかきながら出てきた。
野性味あふれた姿ではあったが容姿が整っており、どこか貴人めいた雰囲気があった。
次の瞬間、サナリエンはすばやくアオキの影に隠れた。アオキの巨体は、サナリエンの体を隠すには十分だった。
「今起きたのか朱点。…まさか、昨日から今まで寝っぱなし出は無いだろうな」
「よう朱点。ひひひ」
「よう、アオキ、ちょうちんお化け。あったりめぇだろ。昨日は朝まで飲んでたんだからよ!」
「じゃあ、あの事も知らないんだな?」
「あの事?」
アオキは無言で人差し指を天に向けた。
その指につられて朱点は満天の星空を見上げて、今までぼりぼりと胸をかいていたのも、そのままに固まった。
「なんじゃこりゃー!」
朱点の叫び声が長屋中いや、里中に響き渡った。
「どうなってんだ?何だってんだ?オイ!アオキ!お月さんが二つあるぞ!」
そう言うとアオキの肩を掴みガクンガクンと前後に揺らす。
「ひひ。いまさら気づくとはな。さすが朱点」
アオキに持たれていた、ちょうちんお化けがブンブンと揺られながら言った。
「どうやら俺達は、異世界に里事、飛ばされたらしい」
「何だそれ?どういうことだ?」
「どうもこうもない。今この里は、今まで存在した日本ではなく異世界にあるということだ」
「わけ分からねぇ」
朱点はアオキを開放するとぼりぼりと頭を掻いた。
「そう言いたいのは、むしろ山ン本と神主のほうだと思うぞ」
「そうだ神主だ。あいつ何かやらかしたのか?」
「いや、何もしていない。現在異世界に来た原因を調査中だ」
「ふ~ん。で、その女は何だ?どう見ても妖怪じゃねぇし人でもねぇだろ。俺の事をれっどおーがとか言いやがるし」
顎に手をあて、下から上まで舐めるようにサナリエンを眺める。
「俺が里山に斧を取りにいったら襲ってきたので捕まえた」
「襲った?アオキを?」
アオキがそういった瞬間朱点は目を丸くしてサナリエンを見ると次の瞬間、爆笑した。
「あーっはっははは!いーひゃひゃ!うーくっく!あっアオキをおっおっ襲った。あーっははははは!」
朱点は、これはたまらんといった様子で腹を抱えて大笑いする。
「何がおかしいのよっ!」
たまらないのはサナリエンのほうも同じらしく、アオキの影から顔を出し怒鳴った。
「だってアオキを襲ったんだろ?笑わないでいられるか、この里で一、二を争う猛者だぞ。野生動物ならアオキの気配がした瞬間に逃げるってーのに。そんな奴を…プクク」
「俺をオーガと勘違いしたそうだ。俺は鬼なのに…」
「オーガ?そういえば俺の事もレッドオーガとか言っていたな」
「しょうがないじゃない!角の生えた大きな人型何て見たらオーガだって思うじゃない!攻撃して当然よ」
「ククク、それで逆にやられてとっ捕まったって訳か」
「クッ」
サナリエンはアオキの影で悔しそうに、手を握り締めた。
「それで何で、こんなとこにいんだ?普通なら山ン本の所に突き出して終わりだろ?」
「…いろいろあってな。一週間ほど隣で預かることになった」
説明が面倒になったアオキはそれで済ませた。
「…そらまたご苦労さん。ククク、ヒビキの奴がへそを曲げるな」
察した朱点はいたわりの言葉を言うと、ここに居ない天邪鬼の心配をしだした
「何故ヒビキがへそを曲げるんだ?」
アオキはそこで何でヒビキの話が出たか疑問に思った。
「わっかんねぇか?ほんとお前は重症だ」
「ひひ。だが、それでこそアオキだろ?」
「そらそうだ」
「?」
「気にスンナ。じゃあ俺は、着替えて八尾で飯でも食ってくるぜ」
「ああついでに、客人が里に居る事も話しておいてくれ」
「ククク。こんな面白い話、話さないと思うか?」
「そうか。頼んだ」
「あいよ~」
そういうと朱点は部屋に戻っていった。
「部屋を案内する」
アオキはサナリエンの部屋の引き戸をすっと開けながら言った。
アオキが部屋に入るとサナリエンは、すぐその後に続き、ぴしゃりと引き戸を閉めた。そしてそのまま扉に張り付いてしゃがみこみ外の様子を伺っている。
「どうした?」
「何やってんだ?」
その行動が不思議に思ったアオキとちょうちんお化けがその様子を見下ろしながら質問するが、「しっ!」といってアオキに静かにするように促し、外の様子を伺っていた。
外では朱点の着替えが終わったのか、引き戸がすっと開いてぴしゃりと閉まった音が続いた。そして草履の歩く音が里の中心部へと続いていくのが聞こえた。
「ふぅ。行ったか…」
そこでようやくサナリエンは立ち上がり息をついた。
「一体何がしたいんだ?」
「なぁあいつは、本当に大丈夫なんだろうな?夜私の部屋に来て突然襲ってきたりしないだろうな?どう見ても粗暴なレッドオーガだぞ」
「それはない。それにあいつは俺と同じ鬼だ」
「いいや、ああいう血気盛んな若い奴は、何をしでかすかわからないわ」
「若い?ひひひ。あいつはもうに数百年を生きているぜ。若いというにはちょーっと年を食いすぎているな。ひゃひゃ」
「え?」
「妖怪に寿命はない。この里に居る妖怪達の殆どが、生まれてから三百年以上たっているな」
「な…に」
この世界のエルフも多聞にもれず長命な存在ではあったが、それは人間と比較してだ。妖怪達は古より存在し、妖怪によっては神代の時代より存在していた猛者も居る。ただその姿は時の移り変わりによって変わっているが。
サナリエンは、妖怪という存在に改めて恐怖した。
「馬鹿な長老ですら300歳くらいだと言うのに…」
「ひひ、そうなのか?じゃあ俺と大体同い年だなぁ。ひひひ」
ちょうちんお化けはいつの間にかアオキの手から離れ、土間の上をふよふよと飛んでいた。
「お前たちは…死なないのか?」
「死か。死ぬ死なないで言ったら死ぬな」
つまり、殺さなければ死なないという事だった。不老ではあるが不死ではない。だがそれだけで十分想像の埒外のそんざいだ。
「それよりだ」
アオキは持っていた布団を畳の上に置いて真剣な表情でサナリエンを見た。
「それより…何よ?」
一瞬アオキの雰囲気に呑まれかけたサナリエンは、ごくりと唾を飲み込んで聞いた。
「今日は寝ろ。お前は自分で思っているより消耗している。ああ、ここに上がる時は靴は脱いでくれ」
アオキは靴を脱いで部屋に上がると、手早く風呂敷を解いて中にあった布団を畳の上に敷いた。
「でも…」
「さぁ寝ろ。俺が居ると眠れないか?なら俺達は外に出よう」
「あっいや」
アオキはそういうや否や靴を履き、土間に立っていたサナリエンを押しのけて外に出て行ってしまった。ちょうちんお化けも有無を言わさず持っていってしまった。
だが出て行きはしたが、アオキはサナリエンの部屋の前で仁王立ちしているのが、戸に映った影でわかった。
「何なの?あいつ」
その後、サナリエンは、諦めたかの様に息をつくと、履いていた靴を脱いで畳の上に上がると手探りで布団を探し、もぐりこんだ。
(それにしても変な事になったわ。しばらく、村には帰れないけど。身の安全はある程度確保できたみたい。これからどうしようかしら…。そうだ。この里や妖怪とか言う者達の情報を集めましょう。そして開放されたら、お父様に伝えて…対策…を…)
アオキの影が映っている障子を見ながらサナリエンは眠りについた。




