閑話:吟遊詩人と魔法嵐
朝起きたら女だった。
自分でも何を言っているのかがわからないけれど、実際そうなんだから仕方ない。冒険者ならよくある事故で片付く程度のことだが、あいにく僕は冒険者ではなく、お嬢専属の詩人で冒険なんぞここ数年まったく出ていない。
「……うん、全部女だ。間違いなく」
全裸になって全身鏡に映して確認してみたが、どこからどう見ても女だった。うーん、これはどうしたものか。
腕組みをして考えていたらドアを乱暴にノックされた。この叩き方はエリアスだろう。僕はにやりと笑って「空いてるよ」といつものように声を掛けた。とたんに、がちゃりと躊躇なく扉が開く。
「なんだ、甲高い声を出し……てえええええ?! だっ、誰だっ!」
「やだなあ、僕だよ。何慌ててるのさ。男の裸がそんなに珍しいの? まさか君そっちの趣味じゃないよね?」
扉を開けたとたんにすごい勢いで後退るエリアスがあまりに面白くて、ついにやにやと笑いながらじっと見てしまう。
「……な、なんだと」
そう言いつつ真っ赤になってこちらを直視できないエリアスに、僕はこいつ免疫ないなと思う。これはおもしろい。
「で、朝から何さ」
「お、お嬢が呼んでるから、来い」
「わかった」
エリアスがばたばたと慌てて部屋を出て行くのを見て、僕はお腹を抱えてひとしきり笑った。ほんとうにおもしろい。あんなに慌てるエリアスが見られるなら、もっと早くやっとけばよかった。
さっきのエリアスの慌てぶりを思い返しつつ、僕は手早く身支度を整えた。とはいっても、さすがに女の体格に合う服は持っていないので、手持ちの中からなるべく融通の利くものを選び、裾やら袖やらをまくって適当に長さを合わせただけなのだが。靴がガバガバなのは少し困る。何か調達したほうがよさそうだ。
それにしても、これはいつまで続くのだろうか。どうせ魔法嵐の影響なんだろうけど、長期間ならさすがに困るな。
「お嬢、何の用ですか」
ここまで来る間、お屋敷の使用人やら警備兵やらにじろじろ見られたが、まあ想定の範囲だ。なんせ女になっても僕は美女だったし。
お嬢付の侍女が扉を開けるのを待って、中に入ると……。
「アートゥ、さっきまでは魔導書のことをって思ってたのだけど、もういいわ。エリアスの報告どおりね」
ふふふ、と笑うお嬢になぜだか嫌な予感がする。
「あの、報告どおりって? お嬢、魔導書とかじゃないなら、いちど……」
「ホホホホホ! 逃がさなくってよアートゥ! さあメアリ、用意したアレを持ってくるのよ!」
「はい、ユーフェミアお嬢様」
扉の脇にいたエリアスが僕の腕をがっちりと掴むと同時に、お嬢付の侍女たちがわらわらわらと、手にドレスやら靴やら何やらを持って現れた。
「げ、お嬢、マジですか」
「ホホホホホ! いちどお前を女装させてみたかったの。女なら女装にはならないけれど今がお誂え向きというわけね! 覚悟なさい!」
いやお嬢、そこは勝ち誇るところじゃ……いや、勝ち誇るところか。
このままではヤバイ。お嬢の着せ替え人形兼淑女ごっこに付き合わされることになってしまう。
「ちょ、やだエリアス、どこ触ってるんだ、このスケベ!」
「えっ?!」
言い掛かりに見事引っかかったエリアスが思わず腕を緩めた隙に腕を振りほどき、僕はダッシュで逃げだした。お嬢の声とエリアスが慌てて追いかける足音が聞こえた気がしたけれど、構ってなんかいられるもんか。コルセット締めるとか冗談じゃない、死んでしまう。
僕は全力でお屋敷を抜け出して、ジャスパーの塔へと向かった。
「ジャスパー、ジャスパー、変なことになってるんだけど!」
「いきなりどうしたのさ」
「僕なぜだか女に……うわあああ! なんで君まで!」
塔に飛び込むと、ジャスパーまでが女になっていた。というかなんで君はそんなに巨乳なんだ。
「どう?」
「どうじゃないよ! なんで君まで変わってるのさ!」
「さあ?」
「──まさかとは思うけど、君の仕業じゃないよね?」
「さあ? まずは落ち着きなよ」
落ち着きはらってにやにやと笑う彼に、あれ? と思う。
「いや、僕落ち着いてるよ? でもさ、エリアスは目を合わせないし、お嬢は嬉々としてドレス出してくるし、早く元に戻らないと大変なことになりそうなんだけど」
そうだ、このままじゃお屋敷に戻れないじゃないか。エリアスはともかく、お嬢は間違いなく捕獲の準備を万全に整えたうえで僕を待ち構えている。
「そうかもね」
「そうかもねじゃなくて、なんとかしてよ」
「私は別に性別が変わったところで障りはないんだけどな」
「えええ」
だからなんとかする必要性を感じないというジャスパーの態度に、僕は目を眇める。たしかにジャスパーなら性別とか飾りだと、間違いなく普段から思っているだろう。だが僕はそうじゃない。
「それに、今のうちエリアスを誑し込んでおけば、後々役に立つかもよ? ちょうどいいんじゃない?」
「……確かにそうかもしれないけどね。僕、女になってもイケてるなとは思ったし……だけど無理。いくら僕でもそんな倒錯した関係は勘弁だ」
一瞬だけそれもいい考えかもしれないと思ってしまった。今朝の反応を見るかぎり、隙をついて彼を誑し込むのは簡単だろう。だが役に立つだけでめんどうくさいエリアスを誑し込むとかはない。何しろ男だし、男は僕の趣味じゃないんだから。
「損得でいけば得の方が大きいと思うんだけど」
「……いや、少なくともエリアスは僕の好みじゃないから嫌だ」
「残念だなあ」
にこにこしながら全然残念そうじゃない顔のジャスパーに、ちょっとイラッとする。
「そうか、残念だと思うなら、君がエリアスを誑し込んでくれよ。ぼくの代わりにさ」
「やだよ、彼、めんどくさそうじゃないか」
「それは否定しない」
「でも、アートゥはめんどくさいの嫌いじゃないだろ?」
「いやまあそれは……いや、一番の問題はエリアスが男だということだよ。女の子のめんどくさいならともかく、男のめんどくさいはウザいだけだ」
「君、今、女だし問題ないと思うんだけどな」
僕が女なら余計にエリアスみたいなのは嫌だ。それにしてもなんでジャスパーはそんなにエリアス押しなんだよ。
「嫌なものは嫌だ。だいたい女になったからって僕が迫ったところで、問答無用に決まってるだろう」
「意外に彼のタイプかもしれないよ? ああ、これあげようか」
「何これ」
「あっちの薬。私の特製だから効き目はばっちりだ」
あっち……つまりこれを試す機会が欲しかったと。
「……遠慮します。それより元に戻せないかな」
「楽しんでもバチ当たらないと思うよ」
首を傾げてジャスパーが言う。彼の今の見た目と胸のサイズだけなら好みだけど、ジャスパーだと思うとやっぱり無理だな、となんとなく考える。
「楽しむって何を」
「いろいろ?」
「いろいろって何だよ」
「君、意外に固いよね」
「君が臨機応変過ぎるんだよ。それに、僕は別に固いんじゃなくて、虎視眈々と斬ろうと狙ってるやつがいるとこでやらかすのが嫌なだけだ」
「つまらないなあ。詩人なんだしこれも経験とか言ってやりたい放題やればいいのに」
くそ、ジャスパーは完全にこの状況を楽しんでいる。くすくすと笑う彼をじろりと睨むと、仕方ないなと肩を竦めた。
「ま、実際のところ魔法嵐の影響だろうから、長くても数日もすれば、自然に元に戻るよ」
「数日か……じゃ、戻るまでここにいさせてもらうよ」
結局、魔法嵐が過ぎて元に戻るまで、3日ほどかかった。その間、エリアスはじめお嬢の使用人が僕を探し歩いていたようだったが、なんとかやり過ごした。
それからさらに数日後、僕はまた所用でジャスパーの塔を訪ねていた。
「というわけで、こないだの女アートゥのことなんだけど」
「……あれは僕の中ではなかったことになってるんだけどな」
「あの女性は誰だという問い合わせが15件、紹介してくれという依頼が8件ほど来ている」
「だからあれはなかったことに……」
「さらに3件がアレな依頼として私に入ったよ」
「人の話聞いてるのか? それと、アレな依頼ってどんな依頼だよ」
「そりゃ、どストライクだしあんなことやこんなことがしたいからなんとかしてくれって依頼だよ」
いつもどおりの笑顔でジャスパーがさらりと言う。あんなことやこんなことって、つまり性的に好き放題したいってことですねわかります。
「……マジ?」
「すごくマジだった」
「断固断ってくれ」
きらりとジャスパーの目が光った気がして、即座に告げた。こういう顔の時のジャスパーは何か企んでいる。
「ちなみに上級貴族もいる」
「えっ?」
まさかジャスパー、金目当てか?
「ところで今日出したお茶なんだけどね」
「えっ……ちょっと待って?」
「聞きたいかい?」
「……僕もう帰るよ」
上級貴族が誰なのか、突然変わった話がなんなのか、嫌な予感しかせず、すぐにでも帰ろうと考える。もう遅いかもしれないが。
「私が特別に調合したアレコレを飲むとどうなるかというとね……」
「あれ、なんで立てないんだよ。もしかして一服盛ったのかジャスパー!」
気付くのが遅かった。足に力が入らない。
「私は一度契約したことは完遂する主義なんだ」
にこにこと微笑み続けるジャスパーが憎い。いつまでも根に持って絶対仕返ししてやる。
「これも契約なんだよ、諦めてくれ」
「君、友達売るのかよ」
「上級貴族様に逆らうと後が怖いしね」
笑みを浮かべながら肩を竦めるジャスパーは、たぶん絶対、貴族が怖いとかじゃなく、このほうがおもしろいからそうしているだけだ。間違いない。
「くそ、社会的に抹殺してやる。絶対やってやる」
「その対策は既に立ててあるよ」
「これだから上方世界の生き物は信用できないんだ! そうだよ、これだから神だの天使だのが関わるとロクなことがないんだ。この“神混じり”め、ちくしょう、ちくしょう!」
「泣くなよ」
「君こそなんでそんなに爽やかに笑ってるんだよ」
涙目の僕に、ジャスパーは笑顔で頷く。
「世の中にはパワーバランスというものがあるからね、諦めてくれ」
「嫌だ! 絶対嫌だああああ!!」
僕はどこへ売られてしまうんだ。変態貴族の慰み者にされてしまうのか。それとも倒錯した口に出せない性癖の貴族のおっさんが相手なのか。
ジャスパーが仕上げをしないと、と魔術を使い「オッケーだよ」と奥に声を掛けるとエリアスが現れた。すっかり痺れて動けなくなり、しくしく泣くだけの僕を軽々と肩に担ぎ上げて、ジャスパーに一礼する。
「お嬢がジャスパー殿に感謝すると仰っておりました」
「うん、約束のもの、よろしくって伝えといて」
「はい」
脱力したままエリアスに担がれて、僕はお屋敷へと搬送された。
「ホホホホホ! アートゥ、やはりわたくしの見立ては間違っていなかったわ! とても似合っていてよ!」
ジャスパーの魔法で再び女になってしまった僕は、絶賛お嬢の着せ替え人形中だ。侍女勢に隅々まで洗われ磨かれ塗られてもうわけがわからないことになっている。このまま魔法が解けるまで、これは続くのだろう。コルセットきつすぎて動けないし、このままではほんとに死ぬ。
だいたいなんで女になった僕に合うドレスに服飾小物まで揃えてあるんだ。いつから用意していたというんだ。
恐るべしお嬢。
「エリアス、なんでお前、止めないんだよ……」
打ち上げられた魚のようにぐったりと恨めしげにエリアスを見上げると、「俺はお嬢の僕だからな」と、しれっと言いやがった。死ね。お前は死ね。
「ちくしょう、この格好でお前に迫って噂になってやる」
「やってみろ。斬るぞ」
「斬るとか言ってれば僕が何もできないと思ってるんだろ。見てろよ」
お嬢はともかく、エリアスには絶対八つ当たりをする。
そう決めた。
やらないでか。
専門用語の基礎知識
【魔法嵐】
世界を襲った“大災害”が過ぎ去ったあと、不定期に起こるようになった魔法的な“嵐”。だいたい、魔術師や魔法的な生き物が、その時々で様々な影響を受ける。
どんな影響かはその時までわからないが、だいたい変なことになる。
【上方世界】
いわゆる天上の国々。善なる神々がいる世界を指す。
対して、地獄など悪なる神々がいる世界は下方世界と呼ばれる。