4.お嬢と商人
例によって僕はジャスパーの塔で茶を飲んでいる。ここのところ穏やかな毎日が続いていて、すこぶる調子がいい。
「ところで、あれ君だろ?」
ふと思いついたようにジャスパーに聞かれて何のことだろうと考え、「ああ」とようやく思い至った。
“あれ”というのは、ほんの半月ほどまえに“悪魔崇拝に手を出して本物の悪魔を呼び出した挙句、事故で悪魔の支配が外れちゃったせいで、いろいろされて亡くなったんだって”という噂で持ちきりの某貴族様の話だろう。ついでに、“そのうえアレな魔導書を悪魔王カルトから奪ったと誤解されてお屋敷まで襲撃を受けるなんて、ほんと踏んだり蹴ったりだよね”とまで噂されている某貴族様でもある。
いやー、悪魔崇拝って怖いよね、クワバラクワバラ。
「ちゃんと呼び出せたんだ。よかったね」
にこにこと笑顔でそんな物騒なことを言ってのけるジャスパーは、最近、“神混じり”ってのは嘘なんじゃないかと思える黒さだ。ちなみに彼自慢の“アイアンくん”はこの塔を襲撃したひとたちの活躍により、8号まで改良が進んでいる。改良資金は、もちろん、襲撃した人たちがここへ持ちこんだお土産により賄われている。
「1年分くらいの気力使ったよ。もう当分やりたくない。悪魔相手とか神経ガリガリ削られてたまらないよ。よくみんな平気で対峙できるなって感心するね」
少し前に“淫魔”を呼び出した時のことを考えるとまだ冷や汗が出る。悪魔に舐められたら付け込まれるから気をつけろと散々言われてたこともあって、悪魔を相手にする間じゅう必死でハッタリをかましてたのだ。
「もう、とにかく必死だったよ。必死すぎてあの後しばらく体調悪かったし、実際1日寝込んださ」
あははと笑うジャスパーに、はあ、と溜息を吐いて見せる。
「ついでに言うと、エリアスもなんか冷たくなったんだよ。僕のおかげで安眠できるようになったのに、酷いと思うんだ」
「正義と騎士の教会の信徒なら仕方ないんじゃない? 目の前で悪魔混じりが悪魔呼び出すとか、お嬢の専属じゃなかったら問答無用でしょ」
「まあ、そうなんだけど、それにしてもねえ」
「なら全部バラしちゃえばいいのに。あの召喚は全部私の仕込みだって」
「ええ……あんなドヤ顔でやっといて、それはちょっとかっこ悪いよ。エリアスのことだから、今更何言い訳してるんだ斬るぞって言うに決まってる」
もう一度僕は溜息を吐いてから、本題に入ることにした。
「……まあ、それはそれとして、例の書物のおかげで馴染みの商人が死んで本物が手に入らなくなったから、ここしばらく安泰だったんだけどさ」
「ああ、お嬢の魔導書の話か」
茶を飲みながら、ジャスパーはまたあははと笑う。
「死んだ商人の息子が後を継いだって言って、魔導書持ち込んだんだよ。それもまた本物を」
「へえ?」
「もうやだ。僕の安定した生活を返して欲しい」
「よくもまあ、そんなに魔導書見つけてくるね」
「まったくだよ。今回はたいしたものじゃなかったけど、またアレみたいなそのスジの人受けがいいやつ掘り出してきたらとか思うと、気が気じゃないんだ」
「……どこかの魔術師の物品整理でもやったのかな」
項垂れる僕を放置して、ジャスパーは古い蔵の整理に入った古物商を羨ましがる蒐集家のような口調で呟いた。
「この近辺で魔術師が死んだとか消えたとかなんていう話は聞いてないけど?」
「じゃあ、魔術師関係の遺跡にでも潜った冒険者がまとめて持ち込んだとか?」
ああ、やっぱりあの頻度で本物を持ってくる商人は、何かがおかしいってことか。
「この辺に、そんなに魔導書がありそうな遺跡なんてあったかなあ」
うーんと考え込むと、ジャスパーは、「まさか、狂魔術師の迷宮?」と呟いた。
「ええ? あそこ? 今更あそこ潜ろうとか考える冒険者なんている?」
「だって、そこくらいしかないじゃないか」
“狂魔術師の迷宮”というのはそのまんま、何がきっかけなのかは知らないけど頭の狂った魔術師がある日突然作り始めた地下迷宮のことだ。その魔術師が死ぬまで延々と作り続けたという迷宮は、どのくらいの規模なのかもさっぱりわからず、一説ではこの“深淵の都”の地下深く何層にも折り重なって続き、その先は異界にまで繋がっているのだという。
浅い階層はだいたい漁り尽くされてるし、深いところは危険すぎて潜ったものはほぼ戻ってこないし、今更あそこへ潜ろうと考える冒険者は、それほど多くない。
「本気で“狂魔術師”の遺産だとしたら、この先何が出てくるかわからないじゃないか……」
これはエリアスにも覚悟を決めておくように言っておいたほうがいいだろうか。エリアスの剣も、もうちょっと強い魔法がかかった、悪魔もさっくり切れる剣に変えたほうがいいんじゃないだろうか。
「けど、そんなに首尾よくあそこから魔導書をいくつも見つけられるなんて思えないんだけどな」
ジャスパーはまだ首を捻りながら呟いた。たしかにそれはそうなんだけど。
「何にしても、やっぱり商人は調べておいたほうがよさそうだな……」
自分の安泰な老後のためとはいえ、なんでこんなに僕ばかりいろいろ神経すり減らさなきゃいけないんだろう。
帰ったらちょっとエリアスとも話をして……と考えながらお屋敷の離れに戻ったら、お嬢が待ち構えていた。
「アートゥ、待っていたわよ」
「お、お嬢。何かあったんですか?」
慌てて帰宅が遅くなったことを詫びると、「構わないわ」と鷹揚に返されて少しほっとした。
「それよりアートゥ、わたくしも少し魔術語を学ぶことにしたの」
「……へ?」
慌ててエリアスを見ると、彼は諦めた顔でこめかみを揉みほぐしていた。
「それは、また、どうしたんですか?」
一口で“魔術語”といっても、通常の言語を学ぶのとは相当勝手が違う。はっきり言えば、魔術語の習得は魔術の習得と同じくらい困難なことだったりもするのだ。
「悪魔王を召喚するのに、いつまでもアートゥの翻訳頼りではよくないのではないかと考えたのよ」
「お嬢……いきなりどうしてそんなことを?」
「いつもの商人……ああ、先日から息子が後を継いだと言って代替わりしたのだけど、彼が、やはり自分で読めたほうが質の良いものを手に入れられると言っていたの」
……商人の息子は絶対締めよう。いや、潰したほうがいいな。変に後継が出てこられても困るから、一族郎党全部だ。方法はあとでエリアスとジャスパーにでも相談しようか。
「でも、魔術語といっても一朝一夕には……」
引きつった笑いを浮かべる僕に、お嬢は無情に告げる。
「だから、教師を雇ったわ。魔術の教育には定評のある魔術師よ」
その魔術師は、今すぐ事故で死んでしまって構わない。いやむしろ死んでくれ。いっそ闇にまぎれて僕が……。
眉を顰めてそう考えていると、いきなりお嬢が高笑いをした。
「オホホホホ! アートゥ、何を憂いているのかしら? わたくしにとって魔術語の習得など容易くてよ! 今に、お前が驚くほどの成果を見せてあげるわ!」
いや、そんなサプライズはいりませんし、どちらかといえばさっさと挫折して習得諦めてほしい。
夕食時、例によって僕は食堂でエリアスを探し出し、すぐ目の前の席に座った。だからそんなに嫌そうな顔で睨むなよ。
「エリアス、あれどういうこと。なんでお嬢が魔術語習得とか言い出してるの」
「……商人が変に乗せたんだよ。見所あるからすぐに魔術語も身につきそうですねとかなんとか」
エリアスは苦虫を噛み潰したような顔で言う。僕の心の殺すリストの筆頭はやはり商人だな。余計なこと言いやがって。
「お嬢が魔術師になるっていうならまだマシなんだよ。それなら、嫌っていうほど悪魔召喚のヤバさとか魔導書のヤバさとか叩き込まれるし、正しい対処法だって学ぶからさ。変に半端に魔術語だけ習いましたっていうのがいちばんマズいんだって」
「そんなこと、俺に言われたって困る」
「言われなくたってわかってるよ」
他人事のように言うエリアスに溜息を吐く。っていうか、お前のお嬢でもあるのにそんな態度でいいのか。
「エリアスさ、今からその雇われた魔術師闇討ちしてこない? 商人でもいいけど」
「なんで俺がそんな夜盗みたいなことやらなきゃいけないんだ。やるならお前がやれ」
目を眇めるエリアスに僕は慌ててぶんぶんと首を振る。
「やだよ。僕の非力さ知ってるだろう」
「また悪魔を呼べばいいじゃないか」
「冗談じゃないよ。あれ1回で十分だ。ジャスパーへの貸しだってあれでチャラになったし、あの後寝込んだのも知ってるだろ」
「……お前、あれひとりでやったわけじゃなかったのか」
「え、そこ? 当たり前だろ。僕は吟遊詩人で魔術師じゃないんだから、ジャスパーの懇切丁寧な指導と準備あってこそだよ」
「なら、その魔術師ごと斬るか」
「なんでそんな話になるんだよ」
テーブルに突っ伏す僕の目の前で、エリアスは涼しげに食後の茶を飲んでいる。なんでそんなに落ち着いているのだ。
「いっそ、指導役の魔術師をジャスパーに挿げ替えるか」
突っ伏したままふと思いついて呟くと、エリアスが「ん?」と眉を上げる。
「──そうだよ。ジャスパーならいいかもしれない。彼ならいい感じにふんわり適当に、肝心なところには触れずにぼかしつつ時間稼ぎしてくれるよ。そこらの変な魔術師よりは腕がいいし、万一なんかあってもそこそこなんとかできる。おまけに“神混じり”だから世間の受けもいい」
「いやまて、相手はお嬢だ。“神混じり”はまずくないか」
「あ」
お嬢のことだから、変に拗らせて……。
「いや、そこは、神すらも従えるとか天界の僕すらお嬢の前にとか適当に言えばクリアできる気がする」
僕は顔を上げてエリアスと顔を見合わせた。
「ちょっと、僕、明日ジャスパーのとこ行ってくる。今ならアイアンくん開発費の安定供給で釣れると思うし」
「俺は旦那様に話を通しておこう」
僕とエリアスはがっちりと握手し、頷いた。