下
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「せいちゃんせいちゃん!」
「うっせー。せいちゃんって呼ぶんじゃねーっていつも言ってるだろ」
「ぶーぶー。なんでだよぅ。ずっとそう呼んでたじゃん私」
「うっさい。それに、あんま自分に付きまとうなよな。一人で帰れ一人で。女と一緒に下校なんてカッコわりーぜ。自分は孤独な男なんだよ。男は背中で語るんだよ」
「どーゆー意味?」
「やれやれ。これだから餓鬼んちょは困る。日傘よ、もう六年生の三月だけどさぁ、お前本当に小学校卒業出来るのかね?」
「… ひどい。酷いよせーちゃん。せいちゃんのばかっ! アホー! ピェー!」
「いや、ぴぇーって何だよ。お前、相変らず意味分からん言語使うよな。けっ。どこにでも一人で行きやがれっての。自分は知らないからな」
「もういいもん!」
「……… あいつ、本当に一人でどっか行っちまいやがった。いや、まぁ、うん。自分の知ったことかよ。自分はあいつのおもりじゃないってんだ。知らん知らん…………… あー糞。駄目だ。気になる! 長年の習慣ってのは恐いぜ。心でそう思っても、身体がそれを拒否しやがる。糞ッ。折角今日は、午前授業で終わったってのに」
それは、小学校生活最後の締めくくりである、卒業式を近くに控えた、そんな良く晴れた午後の出来事でした。
少年は探します。友達として、幼馴染として、最も身近な異性として共に数年間を過ごしたその少女の後ろ姿を。
「悲しいかな。あいつの行動パターンなんてたかが知れてる。奴の居場所なんて、だいたいの見当はつくってもんだ」
少年と少女の住む街から、バスを使って一時間ほど移動し行き着いた場所。
そこは、彼女にとっての、少年にとっての特別な場所でした。
「ほらな。やっぱりここに居た。なぁ、日傘。もうすぐ春って言ったって三月だぜ、まだちょっと寒いだろ? こんなとこにいたら風邪ひいちまうぜ?」
「… いーもん。風邪ひいてもいーもん」
「良くない。駄目だ」
「せいちゃんには関係ないじゃん!」
「いや、ある」
「それって、私が心配だから? 私の事心配してくれたの? だからせいちゃん、ここまで来てくれたの?」
「あ、い、いや。ほら、んー。あれだ。かんとくふとどけ? かんとくふゆけ、とどき? とにかく、かんとくなんちゃらだよ。お前のおもりは自分の仕事だからな。仕方なくだよ、仕方なく」
「バカッ!! せいちゃんのバカッ!!!」
「おぉお、なんでそんなに怒ってんのお前。どーでもいーから帰ろうぜ。もうすぐ三時のおやつの時間だよ。こんなとこ、いつまでも眺めてたってしょうがないだろ?」
海。蒼い海。大きな海。果てしなく、終わりなき海。母なる海。穏やかで、しんと静まり返った海。そう、それはまるで…。
「だいたいさー。ここだって元々、自分だけのお気に入りスポットだったのに… ま、自分もこんな性格だからな。転校生だったしさ。一人になりたいときもあった。思いっきり弱音を吐いたり、大声出したい時もあった。そんな時は、良くここに来てたよ。元々、低学年のときに親父に連れてこられたのがきっかけだったけどさ」
「… うん」
「高学年になって、一人でここまで来れるようになったら。いつの間にかお前も追いかけて来てさ。結局一人になれる場所が二人の場所になっちゃったってオチだ」
「… うん、うん」
「でもなぁ、日傘。お前は何も分かってないぞ。いいか良く聞け。海ってのはな、眺めるもんじゃない…… 叫ぶもんだ!」
「え~?」
「ドラマとかでも良くあるだろ? あんな感じな。折角だしやってみるか?」
「んー。やめとく。だって、恥ずかしいもん」
「あっそ。ふぅー、にしてもやっぱ寒くね? 自分、どっか店にでも入って暇つぶししてくるからさ。日傘も気が済んだらこっち来いよ? そしたら一緒に帰ろう」
「えへへ、うん!」
少女は海岸線へと残り、少年は街へ。
それが、二人を別つ距離であり決定的な分かれ道となります。
二人を別つ、運命の不可逆不可侵性。
「ったく。あいつも変に強情なところがあるからな。まぁ、腹が減れば日傘も帰る気になるだろ…… ん? 今、揺れ…」
『地震だぁあああ』
『きゃぁああああ』
『落ち着け、落ち着いて行動しろ』
『どこでもいい、しがみつけぇえ』
『うわああああああ』
今も、昔も。恐らくこれから先も、変わる事無く。
日本は地震大国です。それは明日起こるかもしれないし、明後日起こるかもしれません。一週間後、一ヵ月後。一年後。十年後。百年後。それはある日唐突に。或いは相応の予兆を伴って。
ですが、その運命の日を完全に予測する事は出来ません。どんな技術、どんなESP能力を持ってしても。
そう、神様を除いては。或いは、その運命の日すら、神様の気まぐれだったとしても。
「おいおいおい嘘だろ? 嘘だろお! 待て、落ち着け自分。こーゆー時のためにだるい避難訓練を毎年してきたんじゃないか! どっか頑丈そうなテーブルか机の下に避難して、揺れが収まるまで慌てずに待つんだ。確かそんな感じだったよな、日傘?」
当時の少年はただの小学生でした。そう、ただの、極々普通の小学生だったのです。そんな極々当たり前の事実の、なんと残酷な事か。
「…… 糞っ。そうだ、日傘はまだ海岸だった。しかしこの地震、相当長くてデカイな。あいつの事がなけりゃ、自分もパニックになってるとこだぜ」
けれど、少年はそうなりません。それは日頃の習慣か、もしくは少年の性格によるものか。少年は、自身の事よりも、幼馴染の少女は今頃どうしているか? 無事だろうか? どうやって合流して、どうやって帰ろうか。周囲の人々が半ばパニックに陥る最中、彼は、脳裏にそれを考えられるだけの冷静さと合理さを持ち合わせていました。或いは彼が、小学生相応の純真さ、もしくはまっすぐな情熱を持った人物であったならば、また違った結末が用意されていたのかもしれません。
「や、やっと収まった、か? 五分以上揺れてやがった。あーあ、店ん中えらいことになってんなこりゃ。日傘のやつ、無事かな。ケータイも何故か通じないし。こんなことなら、ちゃんと待ち合わせ場所決めとけばよかった」
『おい、皆、余震が来るかもしれん。××避難場所まで避難した方がいい』
『今のよりもっと大きな地震が来るかもって、誰かが言ってるぞ』
『おかーさーーーん。うぇええええん』
『まだ中に居た方がいいって、下手に動くよりマシだ』
「… 避難所か。確かウチの小学校もこーゆー時の避難所に指定されてたっけ。お袋やおばさんも今頃避難してるのかな。日傘…」
少年は考えます。この先まだ余震が来るかもしれない、もしくは更に大きな地震だって来る可能性も有る。ただでさえパニック状態の周囲にありながら、少年は必死に考えます。自分はこの先、どう行動するべきなのか? と。
「とりあえず外に出てみたけど。流石に皆も慌ててるな。怪我人も出てるみたいだ…」
恐怖や不安は伝播します。周囲の不安は、やがて少年の脳内にも伝染。このまま皆と避難所に向うべきか? 少女を探しにいくべきか? 逆にここで少女を待つべきか?
彼は超能力者でも、映画の主人公でも、ましてや一人前の大人でさえ無かったのです。今はただの小学生。それは、誰に責められるわけでもない、至極真っ当で当然の判断でした。
「…… 日傘の奴も、今頃避難所に移動してるかもしれない。もう少しだけ待ったら、そこに行ってみよう。ここでずっと待つより安全だろうし」
小高い丘に建てられたとある福祉会館。もしかしたら先に先に着いてるかもしれない。少年は、避難所に指定されていた会館に到着するや否や、少女の姿を探して廻ります。しかし、どれだけ探しても彼女の姿は見つかりませんでした。もしかしたら、海岸で待っているのではないか? 街中で、自分の姿を探して廻っているのではないか? 本当に、自分の判断は正しかったのだろうか?
かつて体験した事の無い恐怖と不安、込み上げてくる後悔が、少年の脳裏を満たさんとしていた、正にそんな時でした。
誰が予想できたでしょうか? いえ、誰もが予想できなかったのです。
これほど大きく早く、残酷な《津波》という存在を。当然のように、それは、少年の予想の範囲外の出来事であり、彼にとっての、否、大勢の人々にとっての… 決して癒えることのない、消える事の無い、深い深い爪跡となりました。
少年と少女を隔てた一瞬の判断。結論。思考。あの時ああしていれば、すぐにこうしていれば。
ですがそうはならなかった。そうはならなかったのです。
だからこそ……………
少年は数週間後に変わり果てた姿となった少女と対面することとなり、少年はその身に大きな大きな《枷》を背負い込んでしまう事になってしまった。
これは、そんな《ゐ異誠意》という、《とある世界》のとある少年が辿った足跡。
これは、そんな私が視た《過去視》。過ぎ去ってしまった過去の、どうする事も出来ない歴史。そんなお話でした。
未来が千変の変容を内包するように。過去もまた、無限の可能性を孕んでいるとしたら。
例え《未来視》の力を持っていようと、何も出来なかった《私》とは違い。もしも、過去を無限へ。そして、世界を数珠繋ぎに出来る様な、そんな力《ESP》を持った人物が存在するとしたら…。
さぁ、私のお話はこれでおしまいです。話を《今》へと戻しましょう。
突如として現れたもう一人の《ゐ異誠意》。彼と、そしてもう一人の彼がこの先一体どんな物語を私に視せてくれるのか?
それだけは未来視である私にも分からない事、なのですから。
… ちなみに私、貞子ではありません。
第四訓 END
《今日の四字熟語》
「梧桐一葉」(ごどういちよう)
ものの衰えのきざしの意。また、些細な出来事から、全体の動きを予知することの例え。